はじまり

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 なんでわからないことを、批難されなくちゃならないのだろう? そう思うとやはり、ますます他人が苦手になってしまう。 好きがしょうがないなら、好きじゃないもしょうがないよね…… 好みを押し付けるなんてやっぱり気が合わない。 ありがたいとも思わずに礼を言う方が失礼だと思ったから拒否したのに。だって、なーんにも知らないし…… 伝わらないんだもん。 みんな、誰かの言葉をなぞるようなことばっかり言ってて、何も聞こえてこない。  愛なんてわからないし無くっても生きられたせいで、今さら要らない。我慢してといわれて我慢したりはするけど…… それがなんだっていうんだろうとも思う。 私を批難したいから、あえて好きだと言うんじゃないか、なんて。 困った顔をさせたいから、好きだと言うんじゃないか、なんて思う。 「なんでわからないのよ」 と言われたときなんてさ、 「好きになったあなたが悪い」 と思った。 その気持ちも、本当に 『貴方の』もの? ………… 私は、そこまで日記を書いて、手を止めた。 「言葉だけでも、嘘をついた方が良かったのかねぇ」 フィルローグには、『それ』が、理解出来ない。何人かに告白されたって嬉しくもなんともないからきっぱり断っている。不思議なのは、きっぱり断ると悪く言われることだった。 しかし、そうしないと、つきまとわれるだけなのだ。 「うーん……」  友達に相談したら、なぜか友達を失ってしまうし、悩みの種でしかないとも言えないから、ひとりで抱えるしかないわけだ。  考えてたら、部屋のドアがノックされた。 「はぁーい!」 机に置くものを、日記から、教科書に変えてからドアを開ける。 瞬間、何かがさっと振りかざされ、フィルも慌てて避けた。 「ストックマニア……!」 ストックマニア、ストックコレクター、あらゆる呼び方をされる『彼ら』は、頻繁に純血狩りをしているチームのことだった。 黒い影は、身を翻すと、すぐに持っていた鎌を彼女に向けてきた。 先ほども、これで狙われたらしい。 「なぜ、此処に……」 警備員はいないのだろうか。そもそも、女子寮にどうして。 「ストックが、無くなりましてねぇ?」 ハハハ、とストックマニアが笑う。 「私としては、ストックフィリアと呼ばれたいですが」 「あんたの嗜好なんか、知ったこっちゃないのよっ」 真っ黒なマントで全身がおおわれ、姿はわからない。  バチが当たったんだろうか。元々、人がそんなに好きじゃないことを隠していたのは悪かった。 けど…… だからって無理に好きにならせようとしなくていいんじゃないだろうか。きみはきみ、私は私と割りきればいいのに。 「恋をしなきゃ、死ななきゃいけないわけ!? ねぇ、そのぶん優しくしてきたよ、そのぶん、周りをてつだったよ、キューピッドだってやった。 それが幸せで、それが私の代わりに、なってくれるなら、良かった、なのに……っ」 あんまりだ。 私は、他人ならいい。 気持ちがなければいい。私を好きにならないならそれで、いいのだ。 なのに、間違っていたんだろうか。 こんなとこで…… そのとき。 シュン、と風を切る音がして黒い影が体勢を崩した。 「え……?」 隙ができた。 なんかわかんないけど。 フィルはいそいで立ち上がると、握りしめた分厚い辞書を振りかざす。 「えいっ」 と、やろうとして、手が一瞬止まる。 愛を持たない相手なら、私も愛せるんじゃないかと、フィルは迷ったのだ。 「薔薇め……」 唸っているストックフィリアが倒れたままつぶやいたのは、純血を花に例えたときの言葉。 「諦めなさい」 それを聞いたとたん、急激に気持ちが冷えていく気がしてフィルは再び本を掲げる。 「そうだ、なにか、嫌いな『植物』を、紹介してくれ。 買わないと、明日の食事も出来ん」 「知らない」 その場に、ガツ、と強い音がした。 「あ、フィル、大丈夫?」 ドアの向こうから、メイルが顔を出した。 「さっき、あいつの体勢を崩してくれたの?」 「え?」 メイルはきょとんとしている。 「不思議だな、じゃあ、なんで……」 「なんでって?」 「ストックフィリアが現れたという情報を聞いて、今駆け付けてきただけなんだけれど」 メイルではないなら、誰が、あいつを。 「そう、会ったの。そいつに……明日の食事も出来ないと言ってた」 「純血を、所有物にして売り飛ばす気だったんだ」 「それ以外に、無いのかな、ご飯を食べる方法」 メイルは寂しそうな顔をした。 「そうやって食べてきた自分に、誇りを持ってるんだと思うから。プライドをかけて狩ってるんだよ」 プライドって、なんなのだろう。 煙のように消えてしまった、黒い影の居た場所をじっと見たまま、フィルは、とても苦しい気持ちになった。 愛せるかもしれないと、思いかけたことまで含めて。 けれど、違う。 フィルは、我に返ったときを思い出す。 (生きるためという理由で私を狩りに来たあいつを、私は拒んだ……) 変に強い覚悟や愛情を感じてしまって、不気味に見えたのだ。 あんな冷たそうなのに、そうではない。 私が、愛情以外ならもらおうと生きるなかで、真逆だ。自分のなかに芽生えたのは、純粋な嫌悪感。 「私も、不思議なことがあったのよ」 メイルは口にした。 「結界を張っておいたにも関わらず、昨日、廊下でも、黒い影を見た。だから警戒してたんだ。スイッチャーと呼ばれるものを、本人情報のよりしろにすることで、結界を逃れようとしてるのかもしれない」 「なに、それ?」 フィルは驚いた。 結界があったことも、メイルが常になにかと戦う気でいることも。 知らない単語にも。 「結界の仕組みは、その人物の血を照らし合わせて、成分の混じり具合から相手を弾いてる……でもね、意識的に血の成分をごまかす薬品が出回ってる」 「ほ、本当に?」 「なんてことがあったって、不思議じゃないと思わない?」 メイルがにこにこ笑って言うので、フィルはびっくりした、と息を吐き出した。 「こういう事件って昔もあったのよ。血液型をごまかすために、違う血液の入った管を埋め込むとか」 ストックマニアは純血狩りに、本当に、プライドを賭けてるんだ…… と覚悟を知る思いだった。 此処はお互いの気持ちを知り合い、わかりあうために、共学になったという。 「ストックマニアには、ただコピーしたい欲しかなくて、考えを持たない」 メイルが、冷えた声で呟く。 「自分が、相手に成り代わればうまくいくと思い込む劣等種」 「メイル……?」 淡々としている声からは、感情が読み取れなかった。 「紹介された先生のなかに、幽霊先生いるでしょ」 「うん」 たしかに、入学式でそのようなひとを、見かけていた気がする。 「混血クラスの『一般生徒』が、殺したって噂だよ。校舎から離れられないんだって」 「それは怖いね」 「分かりあおうなんて考え、これっぽっちもない。だから、 無防備な私たちの同族を、殺すの。そのあと、なんて言ったと思う?」 「悪かった?」 「大笑いして! 『無防備だからいけないんだよ。 ひとのせいにするんじゃない、 人間ってのは狩るか狩られるかだ!』」 「……っ」 それは、そうやってしかいきられない人間の台詞じゃないだろうか。 やっていることは、分かり合う気がないから殺した。それだけ。 無防備だったのが、わかりあえると思っていたからかもしれないという考えすらなく、嘲笑い、一方的に、沢山の命を蹂躙した。 「考えを持たないから、罪悪感を持つ必要もないの。害悪」 フィルは、メイルのようになにもかも奪われたことはない。 だからこそ、そんなことないなどと下手に意見を述べられなかった。 「メイル、私も、戦う」  戦ってどうなるわけでもない。けれど、それしかないような気がした。それに…… 本を持ち上げた感触が、まだ残っている。 恋、と呼ぶ感情があるなら、まさしくこれだった。 ドキドキと高鳴って震えている。 振りかざすだけなのに、どうして、こんなに、忘れられないのだろうか。 「フィルの力を借りなくても、平気だよ、戦うって辛いんだから」 メイルは困ったように笑う。 「私みたいに、なにもかも身軽じゃなきゃ、苦しむだけだから」  夜中、フィルは夢を見た。 彼女は、夢のなかに箱庭を持っている。 森があって、海があり、山があり、町があり、 イキモノが自由に生きていた。 そこで自分には全く関わらない形で、日々を営み、思いを叫ぶイキモノたちを眺めていることで、安心している。  愛や恋なんて、お話にしか出てこない茶番、他人事。 誰だってそうだと思う。家の事情だとか、やむを得ない繋がりがあるから結婚したり付き合うのだ。 好きとか、愛してるなんて現実的じゃないものに憧れるのは、現実を知らないからに過ぎない。 事実、まわりの既婚者に話を聞いたって「事情があったから」「なんでかしらね」 という、いやそうな回答しか得られないのが、現実。  本気で、愛や恋やの素晴らしさを語るのは精々創作家か、子ども。 または精神が未熟に違いないと考えている。 はたまた、頭の中が、ただのお花畑なのかもしれない。 現実の日常じゃ、誰一人、その幸せを感じさせないのに。 彼女は、現実で意味もわからず好かれるときもあったけれど、何一つ響かなかった。 誰だって、幸せばかり、夢みたいなことばかり語るだけで、いまひとつ何がしたいかわからなかった。 「本気で言ってるの?」 と彼女は問いかけた。 何人にも問いかける。 「本気で、愛なんかあるわけないじゃない」 その叫び声で目が覚めた。 入学してから浅い眠りで、何度も起こされている。 どうやって眠っていたのかさえ、わからない。 今まで眠っていた自分は、どんなリズムで呼吸をして居たのだろう。 「信じらんないよ、見えもしない感情も、この身体も」 叫びたくなって、またすぐに眠くなる。 ああ眠れると身を任せたら、また起きてしまう。その繰り返しだ。 いっそのこと、眠れるなら寝たいし、起きれるなら起きたいのに…… フィルは、ぼんやりした足取りで近くにある冷蔵庫へと向かった。 なにかを食べたかった。そこから適当に取り出してきたチーズを食べる。 美味しいのか、そうじゃないのかはよくわからないが、とりあえず空腹は紛れる気がした。 彼女は、 甘いとか、辛い、とか苦い、とか。 わかっているけれど、どう言葉で表すかわからないときがあった。 食事への感想は、大抵が『美味しい』で事足りたせいだし、常日頃そのくらいしか言わない子どもだったため、感受性が独特になっていた。 チーズは美味しかった。けれどそれはなぜなのかはよくわからない。 甘いからなのか、辛いからなのかもわからない。 そして。 こういうときに、どことなくモヤモヤした気持ちになる。 自分の感情なのに、欲しい言葉が出てこない。 そもそも、味というのは何処で教わるんだろう?誰が正しい? 「あぁ……嫌だっ、私は、私だ」 きっとどんな本を読んでも、どんな作家でも、私のこれを表してくれやしない。フィルにはそう思えたし、それは光の無い暗闇が続くかのようで息苦しく、もがきたくなる。 個人としての、なにかが、味がわからない、とか感覚がわからない、とかで縛られていくかのようだ。 周りは、美味しいとか、素敵だとかで料理の写真を互いに見せあったりするけれど。 (私はそれにさえ自信がない…… 自分が『美味しい』を表していいのかがわからないし、馬鹿にされるかもしれないし『味覚がおかしい』と笑われる可能性さえある) それは、フィルにとっては、とても恐ろしいこと。 どうにかして、同じ想いをする誰かを見つけないと、自分が何を基準に感覚を養えばいいか、わからない。  だからこそ、フィルは料理をしたらさっさと食事に移るのだった。 「こんなものを録って」「たいしたことのない」と嘲笑う幻聴が常に付きまとうせいで、自分の情報の一部としてでも、料理や、食べたものを他人に見せることなどとても出来ない。  学園という閉鎖空間も、本当は、息が詰まってしまう。 周りと自分が違うことを、嫌でも自覚させられるし、その上仲良くすることを強要されるからだ。 (はぁ……肩身狭いよなぁ) 純血と混血を分けたりしたら、いやでも際立ってしまうじゃないか。 でも同じクラスにいたなら真っ先に妬みやからかいの対象になりやすい。どっちにしろ、疎まれる。  目を閉じると、嫌なことばかり浮かんだ。 少しくらいは、楽しいことを考えたいものだけど…… 寝返りを打っていると、フィルローグが数年前に亡くした祖母のことを思い出した。 特には病気らしいものも無くて、だけれど、ずいぶん前から体温管理が出来なくなっていたり、足腰が弱っていたのが、或る日骨折したのを境に、悪化を繰り返した結果だという。 (その身体は、私が見たときには既に珊瑚みたいになってしまっていたのもあって、珊瑚はあまり好きになれないや……) それからいろいろと悲しいことが多かったが、フィルは無事に学園へと入学している。
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