1,記憶

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 摂北大学附属病院のレジデントとして勤務する中川圭志が当直の日に、幼なじみの加瀬晃希が運ばれてきたことは奇妙な縁だった。圭志は幼いころから二つ上の晃希を実の兄のように慕っていた。  そんな晃希を一番に担当することになったのは圭志にとって不幸中の幸いだった。医者としてのキャリアは浅かったが、自分が医学を目指したのはこの日のためだったのではないかという思いさえ湧いてきた。  圭志の専門は脳神経内科という一般の外科や内科に比べると専門家の数の少ない希少なものだった。特に圭志の師事した教授、河原征四郎はよく混同されがちな脳神経内科と心療内科の双方にまたがる特殊な研究を進めている。  圭志が河原教授のもとを選んだのは、純粋にその研究に興味があったからだが、まさかその研究がこんなにもすぐに役に立つ日が来るとは思いもしなかった。  一時期、脳波の乱れなどもあって気を揉んだが、ここ数日は安定している。担当看護師の報告によると昨日、意識の回復の兆候も見られた。残念ながら圭志が駆けつけた時には再び眠りに落ちてしまっていたが、じきに晃希は目を覚ますだろう。  白衣から着替えて薄手のブルーのジャケットに着替える。五月の中旬となってもまだ夕方になると肌寒い。今週は研究室の方も忙しく、河原教授と打ち合わせすることが多かった。医局への泊まり込みにも慣れたものだが、たまには自分の部屋でゆっくりと休みたかった。  それに医局の中ではできない話もある。当直の医師と看護師に声をかける。当直の松原は別の専門だが大学時代の三つ上の同じクラブの先輩だ。担当の看護師も今日はベテランで気心も知れている。 「中川先生、珍しいですね。こんなに早く帰られるなんて」 「ああ、例の患者の様子も少し落ち着いたからね。たまには帰らないとどっちが自分の家かわからない」 「中川は大学時代から研究室にこもりっぱなしだったからな。河原教授のところの研究にすごい予算がついたんだろ? また帰れない日々が続くな」  ご愁傷様といった表情で松原が会話に加わる。河原教授の研究については病院内でも噂になっているらしい。もっともその内容の詳細までは多くのものが理解していないが……。 「ええ、だから帰れるうちにしっかり帰っておきます」 「そうそう、仕事もいいけど、ほどほどに息抜きもしなきゃな」 「松原先生と違って、中川先生は浮いた話も聞きませんもんね」  看護師のからかいをおいおいといってたしなめるが、あながち間違いでもない。この松原という医師はどこか飄々としていて要領よく、仕事とプライベートを調整しているようだった。その点、圭志は不器用な方だ。うまくバランスをとることができない。 「大丈夫だと思うが例の患者に何か変化があれば、すぐに連絡するように」と看護師に言い残して圭志は病院を後にする。  仕事用ではない方のスマートフォンを取り出し、通知を確認する。メールが二件、不在着信が一件残っている。  さて、どちらから処理するべきかと思案した圭志は、待たせるとうるさそうな方から連絡を取ることにした。赤く表示された不在着信の欄に残る名前をタップし、スマートフォンを耳にあてる。  スマートフォンの画面には「金城姫子」という文字が表示されていた。
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