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学園や自分のおさらいという新たな現実逃避の方法を身につけた俺は、急にしんと静まり返った食堂に、ぱちりとひとつ瞬きをした。
いつも煩い場が静寂に包まれるのはかなり不気味。ちら、と水無瀬を見れば、かなり眼光鋭く一点を見つめていた。その視線を追って見ると、もじゃもじゃ頭の……、おそらく例の転校生——いやマジでもじゃもじゃ、すごい、逆に芸術的。どうやってあのボリュームと密度を保っているんだろう。鳥の巣と同じ原理か? 彼の目の前には、例の生徒会御一行がいた。
どうしてあんな勢揃いなんだろう。絡まれちゃったらしいあの子のメンタルが屈強であることを願いながら合掌しておくか、と他人事のように考えていると。
「ふっ……ははっ、ははははっ!!」
聞こえて来たのはまさに悪魔のような笑い声。いや、悪魔を束ねる魔王の方が近いか。
今どきその笑い方する奴は浮いちゃうよ……と心配してしまいそうだがそれは無用、彼はこの学園の生徒会長なので。彼の一挙手一投足、たったひとつの言動で黒いカラスも白になる。
「お前、おもしれぇヤツだなぁ? ……気に入った」
静かな食堂に響く会長の声。最後の部分だけ転校生の耳元で囁いていた。絶妙なキモさはここでは胸キュンになり得るらしかった。彼の声は低く吐息を含み、やたら色っぽい。
そして会長は、転校生に——、キスを、した。
黄色い悲鳴がキャー、なら、今聞こえてくるのはギャー、だ。濁点つきまくりの怒声にも似た叫び声。
阿鼻叫喚。断末魔のような悲鳴が飛び交う。ああもうこれなんて地獄絵図。
ちゅーだ。キス。キッス。接吻である。
それも、しっかりマウストゥーマウスの。
数秒間、少し長めだった。離れる瞬間、会長の唇から濡れた赤い舌が覗く。えっ、ウッソ、ディープでしたの!?
ニヤニヤしそうな口元を手で隠した。変態のレッテルを貼られてはかなわない。
人の恋路を見るのは楽しいものである。たとえホモでも。そりゃフォーリンラブまでが超特急だったが一目惚れと考えれば譲歩できる。たとえホモでも。でもさすがに手が早すぎるので段階を踏んで同意の上及んで欲しい。たとえホモでも。
アーッ♂が通常運転なこの学園では性別なんぞ気にしていられないわけだ。
イチャつくカップルを見て、ヒューヒュー! お熱いネ! と冷やかすのも青春だろう。遠野、青春したい。
「っな、何するんだ!!」
と言いつつ顔を真っ赤に染める転校生。芸術的な髪型とこちらも同じくらいに芸術点の高そうな瓶底眼鏡で見える肌の面積は少ないが、首まで赤いから丸わかり。なるほどウブか……!
ここでキーッス! キーッス! と俺の天才的リズム感による宴会ノリをかましてもよかったのだが、そんなことをすると俺の学園生活はお先真っ暗になるのでしない。遠野、平和に生きたい。
「悪い、またな」
「え、あ、うん」
胸中で冷やかし隊に徹していた俺に水無瀬が一声かけて、颯爽と去っていく。和食セットは米一粒残さずきれいに食べられ、米の妖精が喜んでいるのが見えた。ささやかな幸せが降り注ぎそう。ただ一切手をつけられていない沢庵が泣いている気がして、まとめて口に運ぶ。哀れな沢庵よ、俺の糧となれ。
気づけば水無瀬は例の転校生のもとにいた。同学年の一匹狼も転校生の隣にいる、気付かなかったがおそらくはじめから。
周りの悲鳴で彼らの会話が聞こえない。それでも水無瀬が転校生を守るように二人の間に割って入ったのと、一匹狼の彼が会長の胸ぐらに掴みかかるのは目に入った。それによりまた一層大きくなる悲鳴。しかも副会長が会長の脇腹をドス、と手刀で攻撃。他の生徒会役員は面白がって見物。かと思いきや、双子の庶務が名物の双子クイズなるものをはじめ、これをおそらく転校生が一発成功し、懐いた。会話が聞こえないながらも、テンションの高い彼らの身振り手振りで割とわかる。俺の趣味、人間観察ですし。ボクは影だ。
うーんカオス。
何とも言えない気持ちでそれらを眺めていれば、食堂の出入り口付近から悲鳴があがる。こちらは黄色いタイプの。
そちらに視線を向けるより先、凛とした声が食堂に響き渡った。
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