実験室と少女

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実験室と少女

 それは人魚の恋に似ていた。ただひたすら叶わぬ恋に想いを馳せる、究極の片想い。この薄暗い部屋が海だとするならば、私は淋しい人魚姫。あの人に私の声は届かない。    何も無い部屋。あるのは金属製の重い扉と申し訳程度のトイレと洗面台。そして小さなガラス張りの窓。まるで牢屋だ。  朝、いつもの様に決まった時間に起こされ扉の南京錠が外される。シャワー室で軽く体を洗い、食堂で家畜の餌のような朝食をとる。白い布に穴を開けただけのような薄っぺらい服に着替え、今日もあの部屋に連れられて行く。入り口の上に赤いランプが点く。 『実験中』 物心ついた頃から見慣れた景色。今更この牢獄から出ようとも思わない。私は被験体。このよく分からない実験のためだけに産まれてきた存在。被験体は他にもいるけれど私が最年長。こんなに長く生き延びられている者は居ないらしい。実験室でベッドに張り付けにされ、スキャンされたり注射を打たれたり、たまには電流を流されたりと拷問のような実験をする。ボロボロになって部屋を出て、またシャワーを浴びて餌を貪り牢屋に放り込まれる。そんな日常。これが私にとっての「普通」だから、この生活から逃げたいと思う気持ちなんてとうに失せていた。 そう、あの日までは。  週に三日、スケジュールが休みの日がある。いや、実験が休みというわけではなく私が"当番"じゃないだけだ。休みの日も防音壁の向こうから、顔も知らない同士の悲鳴が聞こえてくる。もう何とも思わないけれど。  休みの日も一応いつもの時間に起こされる。シャワーと朝食を済ませたら一日中部屋に籠る。何もしない。何も出来ない。そんな時、私は小さな窓を覗く。唯一外の世界と繋がっている窓。開けることは出来ないが、この何も無い部屋で何もせず一日を過ごすより、外の世界を眺めているほうがずっと良い。実は人通りは結構多い。都会かと言われたらそうでもないかもしれないが、一日を通して老若男女、様々な人が見える。道路を挟んだ向かいには小さな花屋がある。2階は住居になっているようだ。花屋の息子であろう少年が今日も自転車を漕いで学校へ向かった。私は窓に張り付いて少年が見えなくなるまで静かに見送った。 名前も知らない少年。私が恋をした人。
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