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私はシャベルを持って省吾に抱えられ、ふわっと〝月田山〟に降り立った。
暗い木々に囲まれた地面の上には、靄がかかった月空。微かな月明かりが照らす焦茶色。
この場所はだだっ広い。ここから探すのは難しい。確かに向かいの山には、点々と光る明かりがゆるりと動いている。そして、工場の一本の煙突には薄い弓張月が重なり合っている。
「この場所から探すの大変だね」
〝そうだなぁ……〟
シャベルを引き摺る様に、2人で歩き出す。
この地面の中に省吾が埋まっているんだと思うと、私は足がすくんで、震えて、上手く地面を蹴れない。
〝菜摘、大丈夫?〟
きっと、涙で顔がぐちゃぐちゃなんだろう。見上げた美しい顔の向こうからは、妖美な月光が顔を出して、瞬く間に地上を光のヴェールで包み込む。すると……。
一部だけ淡いブルーが光に包まれて輝くのが見える。それは、小さな小さな花が地上を埋め尽くしていて、揺れる様に咲き乱れている。
まるで、私たちを導くように手招きするみたいに、咲く。
「ワスレナグサ!」
その花の名は〝勿忘草〟わすれなぐさ。
花言葉は「私を忘れないで」
確か、繁殖力が強い植物だ。まさか、見つけて欲しいって省吾が願っていたから、この場所に咲き誇ったのだろうか。
〝ここを掘り起こそう!〟
「うん」
焦茶色の土が舞い上がるたびに、儚く散っていくワスレナグサ。涙で目の前が滲んでも、空気が上手く吸えなくても、私は不思議と省吾に会いたい、そう思っていた。
この現実を受け止める残酷さから目を背けたくなるけれど、彼の願いを叶えてあげたい。最後に彼が私に渡したかったものを知りたい。
金属の先端が何かに触れる。
それは柔らかい様な、硬い様な感触。シャベルを離し、手のひらで少しずつ土をどかしていく。微かに見えたのは見慣れたスーツの切れ端。いつも見ていた時よりボロボロで、色褪せて冷たい。
〝ありがとう、後は俺が掘るよ。辛い思いさせてごめんね。菜摘〟
私は手の甲に染みを作りながらも、土をかき分ける手が止まらないでいた。
「大丈夫だよ。省吾の顔見たい」
茶色く汚れたシャツから覗いた大きな手のひら。触れると驚くほどにひんやりする。
その輪郭をなぞっても、握り返してはくれない。腕から肩へ、首筋へ、順に土をどかしていくと、たどり着いた冷えた青い体温。いつもはあんなに熱を持っていた頬。キスをすると恥ずかしそうにほのかに灯る頬。
大好きな、大好きな顔がそこにはある。
でも、それは銅像みたいに硬くて、土みたいな色味をしていて。触れた唇はいつもの色を持たないのに、なぜか柔らかくて懐かしい。私は思わず、その唇に自らの唇を重ね合わせる。氷の様に青くても、じゃりじゃりした物が口元に入ろうが、その懐かしい感触に涙が溢れ出す。
「省吾、寒かったね。1人で寂しかったよね……ごめんね」
頬を滴る雫がその口元に触れると、その部分から漏れ出した光が体全体を包み、隣にいた省吾がその中へフッと取り込まれた。
「し、省吾?」
のっそり動き出した腕が私の背中に回ると、いつもの感触を感じる。あの温かな熱い体温はもう感じ取れないけれど……これは、省吾の体だ。土まみれの愛しい体をきつく抱き締める。
月明かりに大きな印影が重なると、その影は立ち上がり私と共に地上へ這い上がる。
〝菜摘、これ受け取って〟
手のひらに渡されたものは、ネイビーの小さなリングケース。指先を震わせながら蓋を開けると、そこには小さな1つ星のリング。夜露に反射してキラキラ輝く。
「こ、これ……」
〝安い指輪なんだけど、ちゃんと仕事が落ち着いて収入も安定したらちゃんとしたのをプレゼントするつもりだった。その時にちゃんとプロポーズしようと思って、今回はこれで許して欲しいって受け取ってもらうはずだった〟
「結婚の約束をするつもりだったって事?」
〝うん、でも、ごめん……もう遅いな。あの時、嘘なんか付かないで素直になっていたら良かったな〟
「そうだね、私もそう思う。指輪ありがとう。省吾、嵌めて?」
彼の冷えた指先が私の薬指を通り抜ける。銀色の指輪が、儚くも美しく宝石を煌めかす。
私たちは潤んだ瞳のまま見つめ合うと、最後の口付けを交わす。お互いの涙が降り注ごうとも、繋いだ口元を離したくない。
あの時、もう少し素直になれていたなら。
嘘をつかなければ。
もっと、あなたと向き合っていれば。
もっと、あなたに好きと言えていたなら。
もっと、抱き締めあえば良かったな。
考えだしたらキリがない。
〝菜摘に会えてよかった。ありがとう〟
「私も……省吾に会えて良かったよ……ありがとう」
愛しい頬を両手で包み込んでも、もう感じ取れないんだね。
大切なぬくもり、体温、熱情を。
〝俺はずっと、菜摘の幸せを祈ってる。何回も、何千回も。遥か空の上から〟
「うん、うん……」
頷く度に引き裂かれるような胸の痛み。
あなたじゃないと幸せになんかなれないのに。
「ありがとう。幸せになるよ」
何回も嘘をつかせないで。ねぇ?
見上げた青白い顔には涙がいっぱい張り付いて、薄明るい日差しでゆらゆら光る。
〝さよならは言わないよ。俺は永遠の眠りに就くよ。おやすみ、菜摘〟
あなたがくれた最後の笑顔は、
信じられないぐらいに美しくて、
儚くて、優しくて、大好きだった。
天高く返っていった輝きが、新しい朝の光をくれる。
新しい朝のはじまりを告げる。
私は倒れ込んだ彼の亡骸をきつく抱き締める。
「おやすみ、省吾……」
濡れた朝露に一番星が輝く。
end
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