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「な、なんで……お前が、ここに?」
高遠くんは青白い顔をしながら、省吾の体全体を見渡す。床に落ちたナイフを拾い上げ、立ち上がると、省吾目掛けて突っ込んでくる。そのナイフはするりと簡単に体をすり抜けてしまう。何回振りかざしても、その刃先はただの空を切るだけ。
「くそっ!省吾、お前、やっぱり幽霊か?!」
〝菜摘が危険だと思って、助けに来たんだ〟
「やっぱり、死んだんだな!ははは!」
「死?……省吾……?」
不思議な気配を感じた時から、薄々感じてはいたが、脳みそがその真実を受け入れる事を拒否していた。
だって、この前までは生きていたんだよ?
まさか、死んじゃったなんて……
そんな真実、受け止められるわけがない。
「僕はずっと、菜摘が好きだった。だから、邪魔なお前を殺す事にしたんだ」
〝好きだったらこんな事しなくて、正々堂々俺と勝負すれば良かったんだ!〟
「そうやって格好つける所が大っ嫌いなんだよ!僕の苦しさなんて分かんねーくせに」
〝仕事で何度も助けてくれたじゃないか?あの優しさは嘘だったのか?〟
不気味な笑い声と、窓から吹き込んでくる雨音が重なり合って空間に響く。
「嘘に決まってんだろ。菜摘にいい風に思われたかっただけ。あと、お前に安心感を与えたかっただけだ。お前ら勝手に付き合いやがって。あ、でも、お前は僕が殺したんだな。だから、お前らはもう絶対、一緒になれない。ざまぁみろ!」
目の前の男は悪魔だ。
私たちの幸せを一瞬で奪った悪魔。
それか……
あの日、素直になっていれば……
私たちの運命は変わっていたのかな?
「ごめん、ごめんなさい……省吾。ありがとう、助けに来てくれて。大好きだよ……」
縛れた両手を透き通る体へ伸ばす。赤い雫が透明な雫と一緒に混じりながら、ポタポタとセメントに染みを作っていく。
もう手を伸ばしても触れる事も、ぬくもりを感じる事もできない。
大切なものは失ってから気付くって言うけれど、本当の事だったんだね。
〝俺の方こそ、幸せにしてあげられなくてごめん。さぁ、逃げよう。俺も大好きだよ〟
「うわあああああ!」叫びを上げながら、悪魔の刃先が私に勢いよく向かってくる。庇う様に私の前にやって来た省吾が、大きな声を上げるとその悪魔は一瞬で吹き飛ばされる。
大きな弧を描いて倒れた男は、セメントで身体を強打し気を失ったようだ。その振動で近くにあった鉄パイプが、男のお腹の上に数個落ちてくる。近くに落ちていたナイフを省吾が掴み、私の元へやって来ると、結束バンドを切ってくれた。
〝体は透けているんだけど、物は掴めるみたいなんだ。ほら〟
省吾の手のひらが私の頬に触れる。頬を撫でる無数の雫は、その指をすり抜けて零れ落ちていくばかり。感触は感じないけど、胸が脈打って頬が赤い熱を持って帯びていくのを感じる。
その手のひらに手を重ねようとも、容易に通り抜けてしまう。
「いやだよ……省吾が死んじゃったなんて……」
〝本当にごめん〟
彼の頬にも煌めく雫が流れ、寝静まった雨音に重なる。
〝さぁ、早く行こう!あいつが意識を戻す前に〟
「うん」
私を抱えてお姫様抱っこした省吾は、壊れた窓から曇り空へダイブする。ふわふわ浮遊しながら、私は彼に必死で捕まりぎゅっと抱きしめる。
天から落ちる雨たちがスローモーションに見え、彼の身体を包み込むようにラインを撫でていく。
煌めいて美しい。
不思議な時間。
残酷な運命の中での幸せな時間。
「ねぇ、省吾。私もこのまま連れて行って」
〝だめだよ、菜摘は生きなきゃ。俺の分も生きてほしい。俺は菜摘を助ける為と、あれを渡す為に会いに来たんだよ〟
「あれって?」
〝だから、一緒に俺の死体を探してほしい〟
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