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キーボードを叩く音が聞こえて、部屋の中は換気の為の空調が、低いモーター音をたてていた。
「お待たせしました」
ドアの外から声がする。
「入れ」
短い返答で、ドアの開閉がされる。
「いつもの店じゃねーのか」
差し出された紙袋を見て、荒城は中身を確認した。
「すみません。いつもの店が臨時休業で、有名どころのコーヒー屋は行列が出来てたんですよ。そうしたら、路地裏に雰囲気のいいコーヒー屋があったんもんで」
そう説明をするのを聞き流しながら、荒城は紙袋の中からテイクアウト用のカップを取り出した。
茶色の紙コップには、手作業で押したような店のロゴが若干かすれてついていた。
「こじんまりとした落ち着いた感じの店でしたよ。マスターとバイトの女の子しかいなくて」
聞いてもいない情報を提供してくるのは、いつもの事だ。聞き流しながら、カップの蓋に手をかける。荒城はこの小さなくちからコーヒーを飲むのが嫌いだ。せっかくの香りが蓋のせいで閉じ込められてしまう。
蓋を外して一口飲むと、ちょうどいい苦みと共に香りが鼻から抜けていく。
「美味いな」
ぽつりとこぼした感想を聞き漏らさず、すかさず返事が返ってきた。
「明日も、そこにしましょうか?」
一緒に買ってきた卵サンドも、荒城の好みのゆで卵をみじん切りにしてつくったものだった。
「うん、そうだな」
そう言いつつ、荒城は手にしたコーヒーカップを見つめた。コーヒーの香りに紛れて、もっと甘美な匂いが鼻をつく。
「うん? ……おい、この店の店員がなんだって?」
買い物をしてきた部下に聞く。
「は、はい。マスターとバイトの女の子でしたよ?」
荒城はコーヒーをもう一口飲んでみる。コーヒーの香りと共に、鼻に入り込んでくる匂いが気になる。
「オメガだったか?」
荒城が、目線だけを部下に向けた。切れ長の一重は、普通に見れば涼し気な目元で、歳の割に落ち着いた雰囲気がある。けれど、横から目線だけを向けられると、どうにも肉食獣のような鋭さが現れる。
「いっ、あ、女の子はベータでしたよ。首輪してなかったんで」
とつぜんのことに部下はあわあわしながら答えた。記憶をたどりながら、レジの対応をした女の子の姿を思い出す。普段からしていることなので、難しくはないが、突然こんな風に言われると緊張するものだ。
「マスターは?」
荒城は続きを促した。
「ええと、マスターは長髪で髭を生やしてましたね。ちょっと小柄でしたけど……ああ、項に傷がありましたね」
コーヒーをいれる時、マスターが背を向けていた。その時にひとつに結ばれた髪の向こうに見えた項には、ハッキリとした噛み跡があった。
「番がいるか」
「そうですね」
この辺りで客商売をしているオメガは、番がいる場合は高級なネックガードをつけるか、あえて噛み跡のある項を晒していることが多い。
「俺も嫌われたもんだな」
荒城が、自嘲気味に笑った。
数年前、荒城がここに事務所を構えた時、客商売をしているオメガが一斉に一度店を閉めたのだ。
ヤクザの荒城がアルファだから、狙われる前に一斉に隠れたのだ。
もちろん、その後商工会の役員と話し合いが持たれて、地元の皆さんに迷惑はかけない旨の約束はさせられた。もっとも、番のいないオメガ自らが、荒城に寄ってくるのは別の話だ。
「なぁ、お前のコーヒー、見せてみろ」
部下のコーヒーは、まだ蓋がされている。それを手にして匂いを嗅いでみる。やはりこのカップにも匂いがある。
「どうかしましたか?」
コーヒーの匂いではなく、カップの匂いをしきりに嗅ぐ荒城を見て、部下は訝しむ。
「なんか、変なものでも?」
初めての店だから、顔がバレている訳でもないし、たまたま立ち寄った程度であるから、何かを仕込まれるはずなどないはずだ。
「いるなぁ」
荒城はコーヒーカップの匂いを嗅いで、確信したように呟いた。
「俺のオメガがいるなぁ」
荒城が低く笑った。
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