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第2話 運命の巡り合わせ
和美は、大学を上がってからコーヒーショップのバイトに出ていた。基本は裏で仕込みの手伝いをして、マスターからバリスタの勉強を教えてもらう。表に顔は出さない。小さな店なので、席はカウンターのみ。座っている客はほとんどが、スーツを着たサラリーマンだった。
オメガではあっても、和美は男だから、それなりに力仕事もする。とは言っても、一番重たいのはコーヒー豆の袋で、平日の昼間に届くから、和美は運んだことなどなかった。
荒城の部下は、店の客の出入りをゆっくりと見ていた。裏路地に面したコーヒーショップではあったが、荒城の事務所のあるマンションの非常階段からよく見えたのだ。
裏路地に面しているからか、客層は近所の会社のサラリーマンがほとんどで、大抵の客はテイクアウトしている。バイトはおそらく学生だろうから、放課後の時間に、店の裏口が見える辺りに部下が交代で見張りに立った。レジを担当するアルバイトの女の子は、近くの大学に通っている学生だった。
それともう一人、長髪のひょろっとした体型の男が裏口から入っていくのが見えた。土曜日は朝から出勤しているようで、注意して見ていると時折店内に補充の為に入ってくる。客が居ない時は、マスターになにやら指導されているようだ。
「ベータにしちゃ、背が低いな」
「マスターはオメガですからね、並んでみてもほぼ同じぐらいだ」
和美が店内にいるのを確認してから、荒城の部下がコーヒーショップに入っていった。
「テイクアウトでコーヒー二つ」
指を2本立て注文をすると、マスターが和美に目で合図を送った。
「かしこまりました」
返事をしたのは和美で、マスターが和美の手つきを確認している。
「ホットでよろしいですか?」
梅雨時ではあるが、湿度が高くて肌にまとわりつく空気は生暖かい。
「ん、あぁ、ひとつはアイスにしてくれるかな?」
荒城の部下はちょっと考えるふりをして、注文をだした。
「かしこまりました」
今度はマスターが返事をして、アイスコーヒーの支度を始めた。時折和美に何かを伝えて、和美がホットコーヒーをカップに注ぐ。マスターは用意したアイスコーヒーの支度を和美の前に置いて、和美に注ぐように促していた。
躊躇いながらも和美はアイスコーヒーを注いだ。
「アイスコーヒーのストローはどうなさいますか?」
マスターが確認してきた。
「ああ、さしてもらえるかな、ミルクとガムシロはいらないから」
荒城の部下がそう伝えると、和美がマスターに確認をとってストローをカップにさしていた。飲み口のところには袋がかかっている。
「会計ね」
荒城の部下はそう言いながらも和美の首元を確認した。
(ネックガード?)
少し幅の広い肌色に近い帯状の物が巻かれているのが見えた。
和美がコーヒーを丁寧に袋に入れているのが見えた。ホットコーヒーはいつもの紙袋で、アイスコーヒーはビニルの袋に入れられた。
「悪いね、手間かけさせて」
土曜日の雨の夕方だ。傘をさす客に和美が入口まで商品を持ってきた。傘をさしたタイミング手合わせて和美が商品を差しだす。
「ありがとよ」
荒城の部下はそう言うと、向かいで待っていた連れと共に路地に消えていった。
「参ったな」
マスターが和美に困った顔を向けてきた。
「どうかしたんですか?」
和美がカウンターに近づきながら聞く。
「今の、事務所の若いやつだ」
マスターのいって意味が分からない和美は、首を傾げる。
「事務所?」
この辺りには、会社の事務所が結構あるけれど、どこの事務所をさしているのだろうか?
「あそこのマンショに、ヤクザの事務所が入ってるんだよ」
マスターが、指さす先には大きくて立派なタワーマンショがたっていた。
「え?タワマンに、そんなのが入れるんですか?」
和美は驚いて、思ったままを口にした。
「しーっ、ダメだよ和美くん」
慌てたマスターが和美の口を手で塞ぐ。
「確か六階だったかな?ワンフロア買い上げて事務所にしてるんだよ。最初は凄い揉めたんだけどね、地元の店や住人に迷惑はかけないって誓約書を交わして落ち着いたんだ」
マスターは当時のことを思い出したのか、眉根を寄せてシワを作る。
「今日はもう閉めよう。土曜日夜でこの雨だ」
マスターがそういうので、和美は入口の札を裏返し、扉を閉めて鍵をかけた。手前の照明を落とし、店内を軽く片付ける。
「ごめん、和美くん」
マスターが和美に謝ってきた。
「え?なんです?」
よく分からなくて、和美が聞き返す。
「さっきの客、和美くんの首周りを確認してた。和美くんがオメガなのバレたよ」
「でも、地元の店とかには迷惑かけないって」
「店には、ね。従業員が店からでたら、約束の範囲外になるんだよ」
マスターが早口でそう言った。
「だからって、俺みたいなのに興味持ちます?」
和美は、ホルモン剤併用療法の効果が出てきて、口髭がようやく整ったところだ。髪は項を隠すために元々長めだったのを、バイトの時だけひとつに縛っていた。
「逆に興味を持たれたのかも」
マスターは参ったなという顔をして、なにやら考えるような仕草をしている。
「どうする?一人で帰れるかな?コテージに帰るんだから、専用のタクシー呼ぼうか?」
「大丈夫ですよ。週末のこの雨だから、専用タクシーも出払ってますよ」
「そうか、そうだよね」
「逆に雨だから、外に出れば臭いが分からなくなりますよ」
和美はそう言って、バイトのエプロンをはずした。明日は日曜日でコーヒーショップは休みだ。
「片付けはキョウが来るのを待ちながら俺がやるから気にしないで」
和美が、いつもと違う時間に上がるように、マスターは帰宅を急かす。
「分かりました、じゃあまた来週」
お疲れ様でしたと、和美は頭を下げて店の裏口から出ていった。
ずっと降り続く雨で、湿度が高く肌に空気がまとわりつく。傘をさしていても前身が濡れるような嫌な空気だ。
和美の住まいのあるコテージへは、バスに乗れば一本で行ける。いつものバス停に向かって歩いている和美は、土曜日のこの時間にバスの利用者が自分以外に居ないことを知っていた。いつもと違う時間にバス停にたどり着いたけれど、やはり誰もバス停にはいない。
次の時刻を確認すると、10分近く待つようだ。
「仕方がないか」
この雨だからベンチにも座れなくて、和美はバス停の脇に傘をさしたまま立つことにした。暗いから、あまり離れるとバスの運転手に見落とされないとも限らない。
そうして、和美がスマホを片手に傘をさしてたっていると、一台の車が通り過ぎた時、和美に水しぶきがかかった。バスがいつも止まるから、そこがわだちになっていて、水たまりになっていたようだ。そこを運悪くスピードを出した車が通り過ぎて、バス待ちをしていた和美に水しぶきを盛大にかけた。
「嘘だろ」
運悪く道路の方を向いていたから、和美は顔に大量の水しぶきを浴びてしまった。スマホは防水機能が備わっているけれど、見事に水がかかっている。
慌ててハンカチを出して拭いていると、誰かか駆け寄る足音が聞こえた。
「すみません、水がかかりましたよね?」
この雨の中、傘もささずに駆け寄ってきた男性は、迷うことなく和美の前に立った。
「え?はぁ」
ハンカチでスマホをふいて、自身の顔を拭いている最中の和美は、目の前に立った長身の男を見つめた。
(え、なに、この人)
和美は目の前の長身の男から目が離せなくなった。
「ずぶ濡れだな」
目の前の長身の男が手を伸ばして和美の髪を撫でる。傘をさしていたのに、下からの跳ねあげられた水しぶきのせいで、和美の髪は濡れていた。
「な、に?」
バス停の小さな屋根の下、傘をさした和美は、目の前の長身の男が自分の髪を撫でてくるのを止められない。それどころか、ずぶ濡れにされたのに、怒るどころか全身から力が抜けていく。
「風邪をひいてしまうな」
そう言って和美の後頭部に回した手が、強引に抱き寄せる。
「え?」
タオルも持っていないくせに、何をするつもりなのだろうか?和美が口を開こうとした時、男から何かが臭った。
「あ……え?」
その匂いを嗅いだ途端、和美の身体から力が抜けた。腰から砕けるように下に落ちる感覚があった。けれど、そんな和美の腰は、目の前の長身の男の膝に支えられていた。
「ああ、この匂いだ」
頭の上で男の声がする。
どうやって乗せられたのか、和美は男と車に乗っていた。しかも、男の膝の上に抱き抱えられている。
「ああ、匂いがきつくなってきた」
男が、和美の首筋に鼻をうめて匂いを嗅いでいる。
和美はなぜか呼吸がしずらくて、口で大きくて息をするのだけれど、どんなに頑張っても上手く息が吸えなくて、息を吸う度に入ってくる匂いが、どんどん濃くなってくる。
「あぁ、なに?なんで?………どんどん苦しくなる」
自分の状態が理解できない和美は、苦しくて涙が溢れそうな目で、目の前の男を見た。
「すごいもんだな。数値があっという間に上がったじゃないか。ヒートが数値で見えるなんて大したもんだな」
目の前の男は、和美のネックガードを凝視して、一人興奮しているようだ。男が、口にしている事が和美にはまるでりかいができない。
「ヒート?なんで?俺、まだ…」
時期じゃない。そう言いたかったのに、和美の口はまともに動かなくて、吸うよりも、身体の中熱を吐き出したくて、口を大きく開けてしまう。
「凄いな、匂いが混じりあっていやがる」
男の赤い舌が唇を舐めて、その感触に身体が大きく反応した。
「んあっ」
身体が大きく痙攣して、下腹が熱くなった。
「この数値はどこまで上がるんだ?」
男が聞いてくるけれど、和美にはなんの事だか分からない。ただ男から与えられるちょっとした刺激も、和美には毒なくらいに強かった。
「はっ、し、しらな、い」
どうにもならない熱が苦しくて、和美は男の胸元にすがりついた。そうしたことで、和美はさらに強い匂いを嗅いでしまって、余計に苦しくなった。
「凄いな、これが運命か」
男が嬉々とした目をして和美を見た。
「うん、め、い?」
男の言葉を繰り返してみるけれど、和美には意味がわからない。ただ、どんどん身体の中が熱くなって、頭の中に霞がかかる。
「おい、早くしろ」
男が運転席に向かって低く叱りつけた。
「はい、すぐに」
言われた運転手は、慌てていつものホテルの地下駐車場に車をいれる。普段なら使わない裏口に車を寄せた。
「如何なさいました」
ホテルの従業員が、慌てて車に駆け寄った。顧客の車を把握しているだけに、こんな停め方をされても怪訝な顔などしない。
「荒城様、こちらのエレベーターをご利用ください。直通となっております」
扉を開け、エレベーターまでの道のりはなんの障害もなく歩けるようにされた。和美を、抱き抱えたままで荒城は歩みを進める。
直通のエレベーターが止まると、扉が開くと同時にフロアスタッフが荒城を出迎えた。
「ようこそいらっしゃいました」
そうして、すぐに部屋の扉を開けて荒城が滞りなく進めるように取り計らう。
「しばらく世話になる」
荒城がそう言うと、フロアスタッフは深深と頭を下げた。
「ご指示がありましたら、お呼びくださいませ」
荒城が部屋の中に完全に消えると、フロアスタッフは扉を閉めた。
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