六、──寅松

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六、──寅松

休暇をとり、やって来たのは センと共に育った故郷。 日帰りなど到底できず、まだ暗いうちから店を出て丸一日半。 もう一度日が昇った頃、ようやく村一番の高い山が見えた。 俺と人生を歩むと言ってくれたセンは、 本当ならば農家の長男として、両親の愛に包まれて育つはずだった。 それが俺一人のせいで…いや、俺一人のために、 その決まった道を外れ、今も身体を駆使して金を稼いでいる。 全ては俺たちの幸せの為に。 村を飛び出したあの日、センはいつまでも 袖で顔を覆っていた。 きっと、離れたく無かったはずだ。 怖かったはずだ。 それほどの覚悟を持って、俺と生きる選択をしてくれた。 ならば、俺が出来る事は──…。 センに、笑顔でいて欲しい。 この地獄の日々から脱して、いつか2人笑顔でこの村へ戻ってこられるように。 その為に、センの家族に認めてもらう必要があった。 今日が無理なら、また日を改めて 何度も、何度でも、頭を下げる。 叱られるだけではすまないかもしれない。 殴られるかも、最悪、傷を負うかも……。 だが、腹を括るしかないのだ。 それくらい、センが大切なのだ。 センの大切なものを、俺の手で壊す事はしたくない。 意を決して、以前と変わらぬ板戸に手をかける。 「…お久しぶりです」 「おや……寅?随分と髪が伸びたねぇ」 ひょこっと顔を出したセンの母親は、最後に見た時より随分痩せ、 顔色も悪く見えた。 「今…おじさんは?」 「お父さんなら……そこで寝てるよ」 「え…?」 居間の隅に、不自然に敷かれた布団。 確かこの家は、奥に寝室があったはずだ。 昔はよく泊まりに来て、センの家族と並んで川の字で眠った。 なのにどうして…。 「と、ら……か」 その時、よく知るしゃがれた声がして 慌てて声を上げた主の元へと走った。 おじさんは頬がこけ、目の下に陰を宿して苦しそうに息を吐く。 ──もう長く無い事だけは、素人目にも理解ができた。 「おじさん、まさか病気で…」 「お前たちが、村を…出て もう2年か…。早いもんだ…」 濁った瞳がぼんやりと俺を捉え 常にへの字をしていた口元は、心なしか 穏やかに弧を描いているような気がして。 「必死に働いて、金もだいぶ貯まりました。 だから今日は…っおじさん達に、認めてもらいに……っ」 途切れ途切れになりながらも 決して涙を流さぬよう、拳に力を込めた。 「セン、は…元気か」 耳を寄せればようやく聞き取れるか細い声。 初めて見る、弱り切った姿。 唇を噛んで頷くのが精一杯だった。 「そうか……なら、いい。好きにしろ…」 それだけ言うと、おじさんはまた目を閉じて 時折唸るような息を漏らして眠る。
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