10人が本棚に入れています
本棚に追加
/5ページ
優風とキヒロの家・庭
刹那と永遠は、優風とキヒロの後について庭へと向かった。実は、この家の近くに来たときから不可解な気配を感じていたのだ。庭に行くとその気配が一層強まった。
「姉さん、あれ」
永遠も気付いたようだ、庭の一角に雪が積もっていて……
「初めは誰かのイタズラかと思った、かき氷器で削った氷をまいたんじゃないかって。
でも、溶けないの。手で触った部分は溶けるのに、陽が当たっても溶けない」
「それに夜になると雪が降るんだ。この部分だけ、晴れていても空中から雪が湧き出て降り積もる」
「だから、せっちゃんたちに来てもらったの」
優風とキヒロは、ある事件で刹那と永遠の異能力を目の当たりにしている。そのため今回の怪異についても刹那たちを頼ってくれたのだ。
「ギィ」
足下から刹那を気遣う鳴き声がした。
「だいじょうぶよ、ザッキー」
彼女の足下には猿に似た異形のものが居る。彼は刹那の式神、座敷童子の『ザッキー』だ。異能力を持つ刹那と永遠には視えるし声も聞こえるが、優風とキヒロは彼の存在を認識できない。
永遠とザッキーが気にしているのは雪そのものではない、降り積もる雪の中に立つ女の子だ。
「せっちゃん、永遠ちゃん、雪以外に何か視える?」
刹那は視えている女の子のことを伝えた。
「年齢は五、六歳くらいだと思います。やせていて薄着です、それに……」
そこで刹那は言い淀んだ、これから子供が生まれる優風とキヒロには聞かせたくない。
「どうしたの?」
不安げに優風が尋ねた。刹那にうなずいて、永遠が口を開く。
「女の子の顔に痣があります……」
「痣……?」
「たぶん、虐待されていたんです」
刹那の言葉に優風は眼を見張り、キヒロは眉間に皺を寄せた。
「どういうこと?」
「詳しくは、本人に聞いてみます」
刹那は女の子に近づいて行った。ザッキーと永遠も一緒に付いて来る。
「寒いでしょ、お家に入らないの?」
刹那は優しく女の子に話しかけた。しかし、彼女は反応を示さず、降り積もる雪の中に佇んでいる。
「風邪引いちゃうよ、お家に入ろう」
やはり反応が無い。霊の反応が遅いことは良くあるので、刹那は適度な間を取りながら女の子に話しかけ続けた。
ダメ……おかあちゃんが……おこってる……
一五分ほど声をかけ続け、やっと女の子は口を開いた。
「どうして怒っているの?」
答えてくれるまで、刹那は辛抱強く間を充分に開けながら質問を繰り返した。
わからない……
「でも、怒られるのね」
刹那が優しく言うと女の子はうなづいた。今度の反応は早い。刹那の気持ちが伝わり、女の子とのコミュニケーションがスムーズになったのだ。
「つらくて悲しいんだね……」
刹那はそう言うと女の子を抱きしめた。いや、抱きしめようとした。霊体を抱きしめられないのは解っている。しかし、彼女にはそれが必要だと思い、刹那はあえて抱きしめようとしたのだ。
「ごめんね、暖めてあげられなくて」
しゃがんで女の子を見つめる刹那の頬に、涙が伝う。
「オン・ソリヤ・ハラバヤ・ソワカ」
永遠が日光菩薩の真言を唱えた。暖かな光が刹那と女の子を包む。
おかあちゃんは……あたしが……わるいこだから……おこるんでしょ……
「そんなことない、あなたは良い子だよ、お姉ちゃんには解る……
だから、もう暖かいところへ行こう」
でも……おかあちゃんが……
「だいじょうぶ、もう怒られないから、安心して」
ほんとう……?
「本当だよ。お母ちゃんは、もうここには居ないの」
え……?
「さみしいよね。だけど、怒られることも、ぶたれることも、もう無いの。
痛い思いも、寒い思いも、そしてひもじい思いも、しなくて良いんだよ」
……………………………
女の子は呆然と刹那を見つめた。
「もう辛いことは何も無いから、だから暖かいところへ行こう」
あたし……しんじゃったの……?
刹那は一瞬ためらったが、ハッキリとうなずいた。
あたし……しんじゃったんだ……
女の子は、少し悲しそうに項垂れた。
「ごめんね、助けられなくて」
女の子は首を左右に振った。
いまは、あたたかい……
「ザッキー、この子を導いてあげられる?」
座敷童子はコクンとうなずき、女の子の手を取った。式神の彼は、霊体にも触れることが出来る。
「ギィ」
と彼は優しく鳴いた。誰かと手を繋ぐのは、いや誰かに触れるのは何年ぶりなのだろう、女の子はハッキリと微笑んだ。刹那は、ザッキーの温もりが少しでも彼女に伝わっていることを願った。
おねえちゃん……ありがとう……
そう言うと、女の子の姿が薄くなり始めた。
「オン・カカカ・ビサンマエイ・ソワカ
オン・カカカ・ビサンマエイ・ソワカ
オン・カカカ・ビサンマエイ・ソワカ……」
永遠が慈しむように地蔵菩薩真言を繰り返し唱えた。地蔵菩薩は、賽の河原で鬼に苦しめられる子供たちを救い、極楽浄土へと導くとされる。女の子の魂が天国へ行けるようにと祈っているのだ。
やがて女の子の姿は完全に消え、積もっていた雪も瞬く間に溶けた。そこにはザッキーだけが残っている。
「ザッキー、永遠、ありがとう」
座敷童子はギィと誇らしげに声を上げ、永遠は静かにうなずいた。
「終わったの?」
ためらいがちに優風が尋ねた。
「はい、女の子はいなくなりました」
刹那は『成仏』という言葉を使わない、実際にどうなったかは判らないからだ。女の子が成仏して、天国へ行って欲しいとは願っている。しかし、消えた人たちがどうなるか刹那は知らない。だから、この質問にはいつも「いなくなった」と答えている。
「もう、ここにだけ雪が降り積もることはないと思います」
「どうして、こんなことが起きたんだ?」
キヒロの質問に刹那は首を振った。
「あたしにも根本的な原因は判りません。
ただ、ここにいた女の子が雪を降らせていたのは間違いないでしょう」
「さっき、女の子は虐待されていたって言ったけど……」
「恐らく、母親に暴力を振るわれて表に出されていたんです、雪の降る日に」
「それで亡くなったのか……」
痛ましげにキヒロは顔を歪めた。
「直接それが原因かは判りません。ただ、彼女にとって心に強く残っていたのでしょう」
「ここに住む前に、何度も下見や改装の経過を見に来たけど、一度もここに雪が積もっていなかった。どうして今になって雪が降り積もったの?」
「これも予想ですが、優風さんが妊娠したからじゃないでしょうか。あの子は母親を求めていたんです、優しくて暖かい母親を」
「そう……」
優風は悲しげにうつむいた。
「それに優風さんの……」
途中で刹那は言葉を止めた。
「アタシがどうしたの?」
「いえ……優しいお母さんに思えたからじゃないでしょうか」
「アタシが……」
刹那は優風とキヒロに微笑みかけた。
「二人とも、優しくて素敵なお母さんとお父さんになってくださいね」
優風とキヒロはお互いに見つめ合い、力強くうなずいた。
最初のコメントを投稿しよう!