勇者が魔王を倒す時、もう一度その唇に触れる

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 見ると狼は黙り込んで俯いていた。少し意地悪が過ぎただろうか。しかし過去の話を持ち掛けたのは狼の方だ。そう思い直したが、傷ついている様子の狼に少し罪悪感を持ち、魔王は明るい声で話しかけた。 「何度聞いても不思議な種族だ。お前たちは全員そうなのか?」 「……私たち狼は何かしらの固有の力を持ってる。私の父は、鋼をかみ砕くほどの牙を持っていたよ」  牙。それを聞き魔王は昔のことを思い出した。 「……俺の共にもいたな。牙自慢の犬が。子犬だったあいつの子どもを助けた礼にって言って仲間になったな。珍しく、変わったやつだったよ」 「……あなたも珍しいよね。元人間の魔王だなんて」 「俺は普通の人間じゃなかったみたいでな。確か犬の死灰をまいて咲いたという桃の花の樹洞から生まれたとかなんとか言ってた。そのせいか俺は普通の人間とは違って鬼に対抗できるぐらいの力はあったから、そのせいかもな」 「ふふ」  お互い変わった境遇に魔王も狼もおかしそうに笑った。その穏やかな笑い声が広間に響き渡る。 「……ねぇ、その犬はどうなったの?」  ひとしきり笑った後に生まれた沈黙。それを破ったのは狼だった。 「……死んだよ。あいつも、雉も猿も、俺を生かすために犠牲になって戦ってくれた」 「……そう」  狼の声が静かに響く。その一言にどんな感情が込められていたのか、そう考える前に過去のあの壮絶な記憶が蘇る。血の匂い、炎の熱さ、鬼の咆哮。そして恐怖。 「俺達は必死に戦った。なのに仕留めそこなってばあさんたちのもとに帰ったら、そこには誰もいなかった。俺を捨てやがったんだよ、あのババアどもは」  魔王は語りながら思い出し、怒りで震えた。  あの時の絶望、憤怒、憎悪、嫌悪。 「村の連中はのこのこ帰ってきた俺を臆病者と罵った。知らないくせに、あの戦いがどれほど壮絶だったのか! 犬の口は破壊され、雉の翼ももぎ取られ、猿の胴は引き裂かれた。生きたまま苦しむ彼らに対しどうすることもできない自分にどれほど無力と打ちひしがれたことか!」  今も思い出すだけで気が狂いそうになる。そもそも人より何倍も大きい鬼に何の力もなく勝つなど元々が無謀な話だったのだ。当然の結果だとわかっていても、この仲間なら勝てると本当に信じていた。あんなはずじゃ、なかったのだ。 「その後俺に残されたのはやはり鬼との戦いでしかなかった。けれど俺は負け、鬼に喰われたが、その時鬼の腹の中で人を呪った。俺が何をした。なぜあいつらのために戦い、死なねばならないってな。そう思って鬼の腹を切り裂き、飛び出した時には俺も鬼になっていた」  鬼の腹の中で人を呪った時、唐突に体中が熱くなった。その時のことを思い出し、魔王は自身の角にそっと触れた。それは、抱えた恨みの怨嗟が人間を凌駕する力に変わった瞬間だったのかもしれない。
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