ある晩

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ある晩

ゴオオォ──というドライヤーの音が部屋に響いている。 「紬さんってさー……恋人とかいたりするの?」 この質問にどう答えるのが正解なのか俺はいまだにわからない。一瞬考えてから「いません」と結局いつものように正直に答えた。 そうなんだ、と答える今日最後の客である榎本さんの顔にはどこか安堵と期待が感じられた。 濡れた衣服を着ている人間に興奮する榎本さんとのプレイはいつも風呂場だった。 シャワーで衣服が肌にべったりつくくらい濡らされそのまま抱きしめられる。 お互いずぶ濡れになるので榎本さんから予約が入った日はタオルと着替えが必須だった。 榎本さんが満足するまで他愛もない話をしながら抱き合い、その後風呂場と部屋に分かれそれぞれ着替える。着替えを終えたら榎本さんの髪を乾かす────。 それが【濡れた服を着て抱き合いたい】という榎本さんとのいつものプレイの流れだった。 大体月に1回予約を入れてくれ今回で4回目となる。中々のリピート率だった。 「じゃあ……特別な客とかっていたりする?」 「どんな方でも私にとっては大事なお客様ですよ」 ドライヤーの風を赤メッシュの髪にあてながら答える。 これも正直な答えだった。 利用回数や利用時間で客に優劣をつけたり線引きをすることはない。 NG行為を強要してくる人を除いては、要望内容によって態度を変えることもなかった。 「榎本様も日々美容師として様々なお客様を対応されていらっしゃると思いますので、分かって頂けるかと思いますが」 出来るだけキツく聞こえないよう意識しながら話す。 「………それはわかるけど……でも……好きになっちゃったらしょうがないじゃん……」 誰を、とは突っ込まず「乾きましたよ」とだけ言ってドライヤーを止める。 いつもはここでドライヤーを終えた榎本さんが立ち上がって取り外したピアスをつけに洗面台に向かうが今日はベッドに座ったまま動かなかった。 そして絞り出したような声で言う。 「………今日、延長する」 「では、今からまたシャワー浴びますか?」 そうじゃない、と榎本さんはかぶりをふった。 「延長して頂いてもお気持ちには答えられません」 言い切ると榎本さんは泣くのを堪えるようにぐっと唇を噛み締めた。 20代半ば、美容師をしているだけあってお洒落な容姿、何回リピートしても、「サービスしてよ」なんて言わず毎回しっかりルールを守る誠実さ、彼に好意を寄せられて喜ぶ人はきっと多いだろう。 「榎本様は私の大事な『お客様』です。私達はスタッフとお客様という関係でありそれ以上でもそれ以下でもありません。今後それが変わることもありません」 冷たいことを言っていると自分でもわかっていた。 「次の予約は気持ちが落ち着いてから入れてくださいね」 そう言って榎本さんの頬を伝う涙をティッシュで拭うと一礼して俺は部屋を出た。 ──────────────────── 「…………………はあ………………」 家に帰るとすぐ部屋着に着替えベッドにダイブする。 枕に顔を埋めてため息を吐いた。 好意を寄せられたり告白をされるのはこれが初めてではなかった。 そしてどんな客────イケメンだろうがたくさんリピートしてくれようが性格が良かろうが────に気持ちを伝えられても毎回応えられないことをはっきり伝えていた。 期待するようなプレイをしておいて卑怯だと罵倒されたことも過去にあったが、有耶無耶な返事をしたり相手の気持ちを利用してサービスに繋げるようなことはしないと決めている。 特別な客、という榎本さんの言葉をふと思い出した。 彼に言った通り俺にとってはどんな客でも同じように大事で────羨望の対象だった。 俺には恋愛感情と性的欲求が全くない。 どんな人のどんな性癖や要望を目の当たりにしても引きはしなかったが、心揺さぶられることもなかった。 自分が行ったサービスで喜んでもらえると嬉しかったが、この人の喜ぶ顔や色々な表情をもっと見たいという気持ちは誰に対してもおこらなかった。 他人の体温、人肌が気持ちいいという感覚は分からなくはなかったが、誰と抱き合ってどこに触れられてもそれ以上をしたいという欲は出てこなかった。 欠陥人間、とこの仕事を始めるよりもずっと前に付き合っていた恋人に言われたことを思い出す。 告白され断わる理由もなかったから何となくOKした。 付き合っていくうちにこの人のことを好きになれるかも、という期待もあった。 結果は、ただお互い傷つけあって終わった。 3ヶ月ももたなかったのは当たり前といえば当たり前だった。 何をしても好意をよせてくれている気がしない。 身体も反応させてくれない。 自分自身を否定されている気がする。 つらい。 いっそ浮気してくれたほうが良かった。 別れる時そう泣かれた。 俺は何も言い返せず、ごめん、と言うしかなかった。 自分は周りより欠けているという思いは今でも呪いのように俺を縛っていた。 それでも、この仕事を通じて年齢も性癖も性的欲求が向く先も本当にバラバラな人達を見ていると、羨ましいという気持ちがわくのと同時に恋愛感情も性欲もない自分もこの世に存在していていいんだという許可をもらったようで安心出来た。 今日はこのまま寝ちゃおうかなと目をつぶった矢先、プルルルッと仕事用のスマホが鳴った。 「はい、お電話ありがとうございます。男性専門癒しサービス紬です」 1コールで出ると「あの……初めてなんですけど、予約の仕方がわからなくて」と電話越しでも緊張しているのがわかる声が聞こえた。 「お問い合わせありがとうございます。このままお電話でもご予約して頂けますので、まずお名前と────」 仕事モードに頭を切り替えながら俺はメモを取りにベッドから起き上がった。
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