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「あくまで、腕利きの職人として、です。私は自分の仕事が好きですし、辞めるつもりもありません。ですが、扇は贅沢品ということもよくわかっています。庶民のものではなく、裕福な貴婦人のもの。そういった方々が何を好み、何を粋と思い、扇として手にしたときに喜びを感じるのか。それを知るための手段として、私は富裕層や社交界とのつながりを大事にするよう教えられてきました。それでも自分に関しては分をわきまえているつもりです。決して、地位や名誉を求めているわけではありません」
「地位があった方が、どこにでも出入りしやすくなるし、なんでもやり易くなる。見たい絵画も演劇も優先的に見られるし、外国の珍しいものも手に入れやすい。『無くても良い、欲しくない』と言うのは一見高潔なようだが、『持たない』ことによって自分がどれだけ不利益を被っているか知らないだけだ。より良い仕事のために君の家族が君に教養を身につけさせたように、今よりももっと良い仕事をしたいなら、高い身分を望むべきだ」
セシリアの手元からメモ書きをさらうように手に取り、目を通しながらウィルフレッドはそっけない口調で言った。
整いすぎているがゆえに硬質で冷ややかに見える横顔。セシリアは、ためらってから口を開く。
「そう言われましても……、望みすぎて本来の目的を見失うのが怖いんです。お茶会や夜会が楽しくなったり、ひとにお世話してもらうのが当然になったり。私は普通の人間なので、恵まれた環境に置かれてしまえば簡単に堕落しそうです。扇を作るのが楽しいと思えなくなるのが怖くて……」
ウィルフレッドが、なぜか意外そうに目を瞬いて見下ろしてきた。本当に意表を突かれた顔をしていたので、セシリアもまた不安になる。「何か?」と尋ねると、ウィルフレッドはゆっくりと笑みを広げた。
「楽しく思えなくて、生活に困っていないのなら、あえて扇作りにこだわる必要はどこにある? 君は上流階級の生活を堕落しているもののように考えているようだが、果たして本当にそうだろうか。お茶会や夜会でたくさんのお金が動き、生活できる者がいる。扇職人とてそうだろう。もし君自身が扇作りから離れても、得たお金で扇職人に仕事を与えられるのなら、その文化を保護することができる」
「それは否定しません。ただ私は、扇を作るのが好きなんです。自分が変わってしまうことで、自分の好きなものを好きに思えなくなるのが怖いんです。好きなものを好きでい続ける人生を送りたい。祖父がそうでしたので、憧れがあります。自分が学んだ技術も、後世に伝えていきたいですし」
素直に心情を話すと、ウィルフレッドは存外に真面目な表情で「なるほど」と頷いた。少し間をおいてから「お祖父様、亡くなったばかりなんだよね」とひそやかな声で続けた。
「はい。アデリナ様への白鳥扇が最後の作品となりました。お気に召したそうで、婚礼のときの衣装に合う扇も、と発注を受けていたんですけれど……」
「そうか。見たかったな」
ウィルフレッドが表情を消して言う。
(やはり、婚約を破棄する方向で動いているということ? 政略絡みとはいえ殿下もお辛いのでは。何か慰めになるような……)
「殿下、少しメモに足したいものがあります」
そう告げて、紙を一度返してもらうと、いくつかの材料を書き込んだ。不審がるでもなく書き終えるのを待つと、ウィルフレッドはその紙を受取る。
珍しく時間があったのか、それから侍女を呼んで二人でお茶を飲んだ。
本来なら絶対にありえない二人によるお茶会。
部屋を出るときに、ウィルフレッドは申し訳無さそうに目を細めて「不自由な思いをさせてすまないね。また来る」と言い、セシリアの瞳を見つめてから出ていった。
閉じたドアを、セシリアは長いこと立ち尽くして見つめてしまった。
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