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「失礼します」  職員室の入り口から、つま先を立てて顧問のデスクを覗き込む。俯いて何か読み物をしている顧問の所へ歩み寄り、僕は冬のコンクール用の作品データが入ったUSBと、作品を印刷したものを顧問へ提出した。 「お、高文連のやつか。かなりギリギリまで粘ったな」 「はい。遅くなってしまってすみません。提出、宜しくお願いします」 「はいよ。いやあ、しかし、伊野はエース、立花は期待のルーキーだからな。楽しみにしてたんだ」  顧問が嬉しそうに僕の作品をパラパラと捲る。 「『感情異入』か、また立花らしい変なタイトルだな」 『感情異入』。感情を司る明確な新しい組織が人体から発見され、感情が金銭で売り買い可能になった世界。役者を目指す主人公は、日々の生活難と、役者としての大成に不安を抱いていた。そんな中、高値で感情を買い取ってくれるバイヤーが現われ、主人公は全ての感情を売る代わりに、役者として成功を果たすために、バイヤーの親元会社が秘密裏に制作している「サンプル感情」の被験体を志望する。「サンプル感情」を移植された主人公は、溢れんばかりの喜怒哀楽を使いこなし、役者道を駆け上がっていく。そして、有名監督の映画作品で主演が決定したとき、そのヒロイン役の女優から、自分と同じ「サンプル感情」の香りを感じ取ってしまう、という話だ。  顧問は僕を職員室に立たせたまま、作品を速読し始めた。書くよりも読むほうが早い。当たり前のことだが、何かやるせない気持ちにも襲われる。  ものの十分で、僕の作品を顧問は読み終えた。 「また立花はクオリティ上げたな。文章が段違いに上達してるし、登場人物の台詞や心理描写にリアリティがある。設定がぶっ飛んでる分、そこで上手く調整されてるな」 「ありがとうございます」 「これはもしかしたら、もしかするかもな」  顧問がコピー用紙の束を水平にして、とんとんと机に叩きつける。 「あの」 「なんだ?」 「静華はもう作品提出しましたか?」 「ああ、勿論だ。伊野の奴、気合い入ってたぞ。二作品俺に読んでくれって頼んできてよ」 「二作品? 応募は一作までじゃ」 「ああ。どっちが面白かったか教えてくれって。だから読んだんだけどな、一作目の『嘘の素肌』は相変わらず伊野っぽい作品で良かったんだが、もう一作の方がいつもの伊野らしく無かったよ。タイトルが確か、『よるをしらないぼくたちは』だった気がするな。まあ、どっちも完成度は申し分ないが、やっぱり伊野には『嘘の素肌』の方が良いと言ったんだ。そしたらあいつどうしてか、俺の助言を無視して『よるをしらないぼくたちは』の方を高文連に出してくれって言い出してよ。まあ、どっちにしろ面白いことに変わりはなかったから、そうさせてもらったよ」 「その小説、僕も読めますか?」 「かまわんぞ。今コピーしてやるからプリンターのとこで待っとけ」  顧問がパソコンからデータを飛ばすと、大型プリンターから静華の作品が刻みよいリズムに乗って飛びだしてくる。全てを吐き出したプリンターから二つの作品を取り出して、僕は顧問に一礼をし、職員室を出てすぐに読み始めた。 『嘘の素肌』は、僕が読む限り、静華の作品では初めて女性主人公の作品だ。昔、家が火事になって身体に大火傷を負った彼女は、普段から長袖しか着ることが出来ないでいた。身体の傷だけではなく、心理的外傷も酷く、彼女は常に内気な性格のままだった。そんな彼女に、高校二年の春、恋人ができた。優しいばかりが取り柄の彼との生活の中で、彼女の心に少しずつ影響が与えられ、辺りを取り巻く環境も変化し、彼女は段々と、袖丈を短くしていく、という話だ。青春小説の香りが最初から最後まで漂い続ける、何とも愛しい作品だ。  問題は、こちらではない。  静華が高文連へ提出した『よるをしらないぼくたちは』は、深夜のスーパーマーケットで起きた一つの万引き事件をきっかけに、様々な人間を巻き込み、偶発的に事件が重なり合っていくというストーリー。圧倒的に静華らしくなく、高校文芸では受けない内容だ。エロスとグロテスクとジョークとキャラクター。過激な描写が多く、話のテンポは良いが、これはウケない。直感的にそう思った。何かの意図があってこのような作品をエントリーしたのだろうが、僕にはその意図を聞き出すタイミングを見つけることが出来なかった。  しかし、そうは言っても伊野静華の作品であることには変わりは無い。決して低くはないクオリティに、静華の挑戦という片鱗を垣間見たようで、嬉しさもあった。  そして、それから数ヶ月後、高文連冬のコンクールの結果発表が行われた。  僕らが顧問から伝えられた結果は、 立花蒼依『感情異入』         佳作一席(高文連会長賞) 伊野静華『よるをしらないぼくたちは』 佳作二席
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