9人が本棚に入れています
本棚に追加
1-10.現実:虫籠
今日もクソみたいな夢を見た。
柳沼青人は歯を磨く。
大学生にも宿題があるとは思っていなかった。
青人は自転車をこぎ、アパートから二十分の県立図書館に向かう。
講義の中で宿題、いや、課題を出されたのだ。
新書を一冊読みそれを批評しろ、といった内容。もちろん本なんて大学図書館で借りたらいい。
だが、なかった。難解なものしか残っていなかった。
当たり前だ。百人近くの学生が受ける講義だ。皆考えることは同じ。
簡単な本を選ぼう。
課題提出五日前になり、やっと重い腰を上げた青人は完全に乗り遅れた。
近所の図書館ですら収穫がなかった。
そのため、わざわざ県立図書館に向かっているのだ。
川辺の道をのろのろと走っていると、道の真ん中に緑色の箱が置いてあった。
怪訝に思いながら近づく。それは虫籠だった。
人通りは少ない道だ。だが、自転車も車も通る道だ。
ひかれる可能性がゼロとは言えない。
虫籠だけだったらいいのだが。
青人はブレーキをかける。
中に何かいた。
自転車を道の端に止め、虫籠に歩み寄る。
透明のプラスチック窓を覗くとそこには黒々とした一匹の立派なカブトムシ。
面白いことにゼリーまで入っている。
虫籠を覗く自分と、覗かれるカブトムシ。
夢とは逆の状況だ。
青人はため息をつき、虫籠を拾い上げる。
コンクリートの道を外れ、草の伸び切った場所に虫籠を放置、しようとした。だが、一つの気まぐれ。
夢では殺したから、今度は生かしてやろう。
青人は虫籠の窓を開けた。カブトムシは恐る恐る外へ足を進め、空へ飛び立った。
良いことをした。夢で行ったことに対する罪悪感を晴らしたのだ。
といっても、欠伸をすれば忘れてしまうほどのちっぽけな罪悪感だが。
青人は自転車に乗り、また、走り出す。
「おかあさん! カブトムシいなくなっちゃったー!」
遠くで泣きそうな子供の声が聞こえた。
自転車をこぐ足が鈍る。どう考えても自分のさっきの行動が関係しているとしか思えない。
と、青人の目の前に過ったのはカブトムシ。
先ほどより一回り小さなそれ。手に小豆大の虫籠をぶら下げている。
子供が泣き始めた。
なるほど、先ほど自分が助けたのはただのカブトムシだったようだ。
そして、目の前のこれが夢で殺したカブトムシ。
人違いならぬ、虫違い。善行も何もない。
目の前のカブトムシはそんな青人を嘲るように飛び回る。
青人は苛立ち交じりに口角を上げ、右手の物陰に触手を沸き起こす。
そして、刹那。カブトムシを串刺し、触手の沼に引きずり込んだ。
子供の泣き声がふっとやんだ。振り返ると、青人を見てぽかんとしている。
案外近くにいたようだ。しかも、どうやら触手を見られたらしい。
青人は人差し指を唇に当て、「シー」っと口を動かす。
子供もそれをおどおどと真似する。
青人は頷く。そして、向き直り、また自転車をこぎだした。
そして、気づく。
今日は月曜日。図書館は休館日だ。
【10.現実:虫籠 終】
最初のコメントを投稿しよう!