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1-2.現実:鳶
今日もクソみたいな夢を見た。
柳沼青人はいつものように目を覚ます。
大学生の朝は案外早い。
顔を洗う。いつも通りクマがひどい。だが、子供の頃からこれだ。もはや顔の一部といっても過言ではない。
一人暮らし二か月目の六月。
相変わらずトースターはない。生のパンにジャムを付けてとりあえず口に突っ込む。
正直美味しくない。だが、トースターを買うのが面倒だった。
ノーアイロンのカッターシャツに黒のチノパン。
朝から語学の授業だ。とりあえず出席さえしておけば単位はもらえる。
準備を整えた。
そしてため息。
今日は人面トンビに遭遇するな、と。
昔から変な夢を見た。
白い空間。奇怪な夢。
青い髪に青い目を持つ青年、それが主人公であり青人自身だ。
黒いロングコートを着て、いつもポケットに手を突っ込んでいる。襟のたった薄水色のスタンドカラーのワイシャツ。そこに引っ掛けたループタイが一つのアクセントか。
猫背で目つきも悪く正直自分ですらお友達になりたくない、と青人は思っている。
夢の中の自分は青人の記憶がない。独立した一つの人格だ。
青人より冷静。青人より残酷。青人より不機嫌。
それでも、彼は自分自身である。
青人にはそれがはっきりと分かっていた。
だからこそげんなりとする。
夢の中の自分は人の腕をもいだり、人に耳をそがれたり、時折首ちょんぱ。
グロい。
だが、理由はそれだけではない。
アパートの扉を開け、外に出ると、六月特有のじめじめとした空気。
大学までの道のりはアパートから徒歩十分。
朝八時のシャッター街には、大学生がまばらに見受けられる。
青人の登校はそれなりに早い。が、優等生ではない。課題をやっていない不真面な生徒だからだ。課題は当日、朝の学校でする。
朝だというのに日差しは強く、じっとりと滲む汗が粘っこい。
粘っこいといえば今日の夢に出てきた赤の媚びたような声を思い出す。
性別不詳。中性的。そんな赤の甘え声。気色悪かった。
肌が粟立つ。
と、頭上から狂った鳴き声が聞こえた。
「大きい鳥だね」
前を行く女子大生たちは一瞬それを見やるが、またおしゃべりに戻る。
聞こえなかったのか? 今「ハラガヘッタ」と鳴いたぞ。
青人は道の端に寄り、空を見上げる。
やはりそうだ。
頭上にいるのは人面トンビ。
そう、そうなのだ。
夢は現実に侵食する。そして、現実は案外その事実に気づいていない。
道行く大学生たちのように。
人面トンビの目が鋭く光っている。おそらく狙うは人間。
夢を思い出す。
そういえば、あのトンビは夢で赤の耳を食べていた。あれで人間の味を覚えたのかもしれない。
赤の耳を投げ与えたのは自分。責任は青人にある。
いらぬところでつまらない種をまいてしまったらしい。
青人はため息をつき、わき道に入る。潰れた商店の裏側に入り込み、袋小路になった空間にぽつんと一人。誰もいないことを確認する。
そして、また一つため息。
割れたアスファルトが沸騰し始める。青い泡が作られては弾け、作られては弾け。
その内、青人の足元から青い触手が伸びる。
相変わらず「ハラガヘッタ」と鳴く人面トンビ。
鳴き声から位置は特定。捕捉。確保。自分の元まで引きずり下ろす。
哀れな人面トンビは何が起こったか分かっていない様子で、目をぎょろぎょろと動かしている。
どこにでもいそうな男の顔をしていた。
青人はその口に触手を詰め込む。叫び声を上げられては困るからだ。
そして、そのまま触手で体を貫く。赤い血が飛び散る。息絶える。
大人しくなったそれを青い地面に引き込んだ。
青人がふっと息をつくと、そこはただのさびれた路地裏。
時計を見る。
八時四十分。まずい、課題をしていない。
青人は何事もなかったかのように、路地裏を出て、速足で教室に向かう。
ドイツ語という他言語を聴きながら、それは右から左に流れていった。
人面トンビがいる。そう、あの夢は現実に侵食する。今までの経験で分かっている。
つまり、だ。
赤がこの世界にいる可能性は高い。
ぞっとした。
「では、柳沼さん。この文章を読み上げてください」
どの文章だ。
背中に冷や汗が伝った。
これが、柳沼青人の悪夢的日常だ。
【2.現実:鳶 終】
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