壮絶な片思い

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日曜の朝、隣に座った妻が俺の腕を組み舌足らずな声を出した。 「今日は新宿にお買い物に行きたいな」 テレビを見ながら頷いた。彼女は「ありがとう」とまた俺の背中に抱きついた。 こういう甘えん坊な所が愛しい。 でもちょっと待てよ。今日は予定があった。娘との約束の日だ。 妻と出会った時、俺には家庭があった。 嫁が一人と子どもが一人。どこにでもあるありふれた平和な家庭だ。 けれど、どんどん刺激的な彼女にのめり込んだ。 若くて嫁にはない魅力を持っている彼女。彼女に溺れてしまいには家に寄り付かなくなった。 嫁は忍耐強い性格で、それでも俺の帰りを弱音一つ吐かず待っていた。 嫁のそういう所も嫌だった。 もっと俺に甘えてほしいのに、弱音を聞きたいのに。子どもが産まれてからというもの、嫁は今までよりも強くなってしまった。 産後一年ですぐに仕事に復帰し、バリバリ働いた。俺だってソコソコの会社にいるけれど、俺の会社よりもはるかに給料も福利厚生もいい大企業に嫁は勤務していた。 嫁は要領がいいので残業なんて絶対にしなかった。 けれど、嫁は家庭では子供にかかりきりになりそれが浮気の一因になった。 そうこうしているうちに、嫁がやっと離婚に応じてくれた。 慰謝料も請求されなかった。 ただし、一つだけ条件があった。 咲の父親としての義務をしっかり果たす事だ。 そんなこんなで俺は今でも週に一回は嫁と子供と会うことにしている。 会ったら会ったで嫁と子供は優しく迎えてくれる。そして仕事の愚痴や時には現在の妻の愚痴だって聞いてくれる。 とは言っても平日の夜が多い。今の妻にわからないようにする為にだ。 彼女は俺が断ったのを見て何かを察したようだ。みるみる機嫌が悪くなる。 でもそんな事は気にしないことにした。彼女と暮らしていくための知恵だ。深入りしない方がいい。 今の家を出ると、元の家に向かった。 元の家は電車で40分以上離れた郊外にある。 最寄駅に着くとどこかに出かけるらしい家族連れが今か今かと電車を待っている。 ホームにはもう娘の咲と元嫁の華が迎えに来ていた。 「パパ、待ってたよ」 咲がまた上手にお話した。 「咲、今日パパとお絵かきしたいんだって」 華が笑顔で言った。改めて見ると華は結構な美人だ。 三人で何気ない会話を交わしながら郊外にある一戸建てまで歩く。 俺の元家は相変わらず綺麗に掃除されていて気持ちがいい。 俺のオアシスだ。 咲がぎこちない手つきでジュースを持ってきた。 「はい、パパどーぞ」 咲の頭を思いっきり撫でた。 咲とお絵かきをしていると、褒められたのに気を良くした咲が自信作を何枚も持ってきた。目を細めて絵を眺めている。 ママの絵、俺の絵、咲自身の絵、何故だかもう一人頻繁に書かれている人物がいた。 メガネをかけた男。 「じいじってメガネかけてたっけ?」 メガネを指差しながら言った。 「これ、じいじじゃないよ。お父さんだよ」 「お父さん?パパじゃなくて?」 そこへ華があわてて飛んできた。 「しっかり説明するね。実は今度再婚するの」 口から心臓が飛び出そうだった。まさか華に限ってそんなことあるわけない。 「お前、なに言ってんだよ。咲はどうするんだよ。母親だろう!?」 思わず怒鳴り声をあげると、華は結婚している時と違い俺を一瞥する。 「心配しないで、彼は華のこと自分の娘のように思ってくれてるの」 「何考えてるだよ!許さないぞ!勝手に再婚だなんて」 よくよく家を見渡すと写真立てにメガネの男とのスリーショットが入っていた。 ディズニーランドで撮ったヤツだろう。俺が連れてってやるって約束してたのに。 咲が怖がって華の背後に隠れた。華は優しい表情で「パパは疲れてるんだよ」と咲の頭を撫でて落ち着かせた。 「ねぇあなた、落ち着いて。あなただってとうの昔に再婚してるんじゃない」 華は小さい子を宥めるように優しい声だった。 咲は完全に俺を自分より下の人間だと識別していた。 「それに、彼はいつも穏やかで絶対に他人を怒鳴ったりしないのよ」 「……もう帰るよ」 我が家から飛び出した。 住宅街をトボトボと一人歩いていて気がついた。 我が家と言っても離婚時の契約で華に所有権を全て渡した。華がローンも税金も払っている。 俺の家ではなかったのか。 メガネの男に大事な物を掻っ攫われた。 男が憎くてしょうがない。 なんとか都心にある家賃が馬鹿高いタワーマンションの五階にある我が家にたどり着くと、妻はご立腹だった。ひとりでベッドでふて寝していた。 よくよく部屋を見るとうちは埃だらけだった。 部屋も散らかっているし、何だカビ臭い。彼女は専業主婦なのに毎日何をしているのだろう。 何か食べる物がないか聞いてもふて寝している彼女からの返答はない。 冷蔵庫を開けるといつの物かわからない腐ったイチゴが一パック入っていた。 華なら働いていてもこんな事なかったのに。 今まで幸せな生活だったのに急にそれが許せなくなった。というか必死に幸せだと思い込みたかったのかもしれない。 苛つきが止まらない、今の自分の生活が見窄らしい。 若くて綺麗な女と再婚し、都心のタワマン住まいで他人から羨ましがられている生活だと思っていた。 実際は、いい奥さんを捨てて、外見だけはいいどうしようもない若い女と再婚した見栄っ張りな馬鹿男と蔑ずまれているのではないか。 引っ越しパーティーで同僚を招いた時の彼らの何とも言えない表情を思い出した。
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