⑨もう大丈夫

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⑨もう大丈夫

 ピロンと音が鳴る度にドキっとしては、深呼吸をしてからスマホの画面をタップする。  内容はいつものように適当なものばかりで、この間は適当なタイミングで既読スルーをしていたのに、今はそれが出来ないだなんて。 (だって恥ずかしいんだもんっ!)  本物の恋人同士みたいだなんて、一体なにを考えているんだ自分は。  彼がそんなつもり無いのは分かっている。ただこちらを慮っての行為なだけで、それ以上もそれ以下もない。そう分かっているのに、変に鼓動が強く打つのを止められないのだ。 『俺の朝の飯、なんだったと思う?』  本当にどうでもいいことなのにと思うのに、遥菓は一所懸命考えて答える。 『意外と和風好きに感じるんで、お味噌汁とか飲みました?』 『は? お前なんで一発で当てるわけ?』 「うそ当った」  今日のパンを片手に持ち、遥菓は笑う。  いつもこっちの心を見透かしたようなことを言われるのだ。たまにはこっちから彼のことを見透かしてやりたい。  鼻高々にしてやろうと言葉を打ち込み始めれば、またピロンと音が鳴った。画面に出たのは金崎の名前だ。  彼には先程メッセージを送ったが、返信がまだ返ってきていなかった。しかしそれを心配し続けるのを阻止するかのように片岡がまた入り込み、例のごとく訳の分からない会話をし続けたのだ。 「えーっと」  遥菓は画面をタップし、内容を開く。まだ片岡にメッセージは送れていないけれど、優先順位はどうあっても金崎の方だ。たとえ感謝の一言であったとしてもである。  なになに、と開いたメッセージを読んだ瞬間、背中に冷たい何かが流れたような気がした。 『会社に行きたくない。行けない』  遥菓はLINEを閉じ、急いで電話を掛ける。  定着出来ないのは何も彼だけではない。この前だって小川さんが三連続無欠勤をし、ハーブ工房から電話が来た。  やはり何事も最初が大事なように、こういうSOSが来た時は、絶対にその時その場で話さなければ。そうしないとどこでどう心が折れてしまうか分からないからだ。  耳に押し当てたスマホからコール音が数回鳴る。しかしそれが切れることもなく、ずっとその音のままだ。 (ちょっとやばそう)  なんとかして彼と話さなければ。 『金崎さん、いつでも話し聞きますよ』  メッセージだけでも見ていてくれと願いながら打てば、既読の文字がつく。それにホッとするけれど、返信はない。見る気力はあるが、返信をするだけの力は無いのだろう。  こうやって人との関わりをやめ、家に引き籠もってしまうのはよくあるパターンだけれど、どれだけ同じことであっても、その人その人の痛みや辛さはそれぞれで違うし、アプローチの仕方だって変わってくる。  元々コミュニケーションが苦手な彼のことだから尚更話すことをやめさせてはいけない。 『このあと、一緒にあそこで紅茶でも飲みませんか? 私今日代休なので、大丈夫です』  そう打ったあと、素早く片岡とのLINE画面へ戻る。そして一言、『すみません』と打ち、続けた。 『パン食べてたらなんか気持ち悪くなってきちゃったんで、ちょっと今日、お休みをいただいてもいいですか?』  そしてまた金崎へ。 『私、金崎さんが来るの待ってますから。いつでも連絡ください』  すぐに既読のマークが付いたのを見ていると、片岡からの返事を告げる音がした。 『風邪か?』  きっと片岡は昨日、寒空の下に長くいたことを気にしているのだろう。  そんな心配しなくても――――と思ってから、額にキスをされたことを思い出し、ボンと顔が赤くなる。 (ばかばか、今そんなことを考えてる場合じゃないでしょ!)  煩悩を消し去るように頭を振り、画面に向き直った。 『ちょっと身体がだるいくらいなんで、風邪の引き始めかもしれないですが、薬を飲んで一日休めば治ります』 『なんかあったら仕事中でもいいから連絡入れろよ』 『はい、ありがとうございます』  具合が悪いのは全部嘘なのに、真摯に心配してくれるのに心が痛む。 (今度なんか買って渡そう・・・・・・)  スマホの前で「ごめんなさい」と頭を下げ、そしてすぐに立ち上がった。  いつどういう返事が来るか分からない。まだショッピングモールが開いている時間でもないが、先に行っていた方が何かしら対応がしやすいだろう。 「よし」  遥菓は急いで出掛ける準備をした。 ――――しかし結論から言えば、金崎は姿を現わすどころか、LINEにメッセージを返して来ることもなかった。  朝の十時に開き、閉まる夜の十時まで待っていたが、朝の一言以外まったく連絡がつかず、電話に出ることもない。 (お願いだからひとりで考え込まないで・・・・・・)  そのことに最悪なシナリオを想像してしまい、寒空の下にいるよりも冷たい闇に囚われたかのような気持ちになる。だがこれがいま遥菓が出来る最大限だ。これ以上はどうしていいか分からない。 「どうしよ・・・・・・」  モール内にあるベンチに座ってスマホを眺めていれば、どうやらいつの間にか昼休みの時間になっていて、片岡から『体調どうだ?』というメッセージが来る。 「片岡さん・・・・・・」  スマホを握りしめ、彼の名前を小さく呼んだ。  きっと本当は彼らにも相談し、適切な対応をあおいだ方がいいだろう。たとえどれだけ利用者の苦しみに共通点があったとしても、出来るのはやはり共有することくらいで、根本的な解決に繋げるのは彼らの方がプロである。 (私、きっと間違ってる)  片岡にも嘘をついてまでひとりでどうにかしようとしているのは間違いだ。それは本当に彼を救おうとしていないのとイコールになる。分かってる。分かってるそんなこと。  でもこうしようと思ってしまうのは、 『田村さん。俺、もう死んで楽になりたい』  きっと私と同じだからだ。 「今どこにいるの?」  真夜中の時間。掛かって来たその電話に驚くこともなく淡々と聞いた。 『・・・・・・ショッピングモール近くの公園』  すぐ場所を頭の中で特定し、「分かった」と遥菓は頷く。 「今から行くから、待ってて」  電話は繋げたままにしておいた方がいいと思ったけれど、『待ってます』と一言告げたあと、切られてしまった。 「・・・・・・・・・・・・」  遥菓は電話が終えた画面を見つめてから、無表情でタップをする。  何文字か打ったあと、急いでパジャンマから着替え、リビングに置き手紙をしてから家を出て行く。そして自転車に跨がり、車も少なくなった夜道を急いで漕いでいった。  白い息が寒さを教えてくれるが、まるで痺れてしまったように感覚がない。だがなぜか自転車を公園付近に置いた時に見上げた空に輝く星を見つけ、綺麗だなと思った。  これで星ではなく雪が降っていれば、きっと自分は躊躇なく彼を抱きしめることが出来ただろう。 「・・・・・・金崎さん」  すでにブランコに座る影を見つけていた遥菓は小さく砂利を踏む足音を響かせ、近づいた。  俯いて座る彼の手は真っ赤で、持ち手は素肌のままなため、鉄の冷たさにかじかんでしまったのだろう。 「すみません、こんな夜中に」 「大丈夫ですよ」  そう言って、遥菓は隣のブランコに座った。  自分の手も素肌のままだったため、ここに着くまでに同じように赤くなってしまったが、やはり冷たさは感じない。風でも拭けばそのまま飛ばされそうな浮遊感がある。 「俺、明日が来て欲しくないんです」  金崎の顔を覗き込むこともせず、前を向いたまま遥菓はその言葉に「うん」と頷いた。 「毎朝また人と関わらないといけない、今日も頑張らなくちゃいけない。それが苦しくて、でも田村さんがLINEしてくれて、だから足を引きずってでも何とか生きていこうと思えてた」 「うん」 「でも、もう嫌なんだよ」  髪が揺れるほどでもない程度に彼は首を横に振り、背もたれがないブランコに背を預けるような危ういバランスを保って頭上を見上げた。  その横顔に涙も無ければ、悲しそうな表情でも苦しそうに歪まれたものでもない。ただただ、空虚な目で輝く星を見ている。 「もう生きていたくない」  俺は、と白い息を吐いた。 「もう死んでしまいたいっ」  その声は何の色もなくて、無色透明。それなのに、否、だからこそどこまでも浸透する毒のようだった。いや、もしかしたら赤子の産声のごとく純粋な声だったのかもしれない。  それに遥菓は金崎を見ながら答える。 「分かるよ」  けれど瞳に映っているのは金崎ではなく、過去の自分だ。  背中を押して欲しいと泣いている私だ。 「その気持ち、すごく、分かる」  頷いて、それから笑って、そして息を小さく吐く。  あの夢の中で私が私に出来ることは背中を押すことだけだった。きっと今の彼もそうしてあげるのが一番いいのだろう。それを分かっていたから、片岡にも他のスタッフにも連絡することが出来なかった。  だって連絡をしてしまえば、彼が一番に望んでいる死を与えられなくなってしまうから。 「俺、このまま死んでもいいかなぁ」 「うーん。どうだろうね」  互いに淡々と、命の話をする。 「もう終わりたい。こんな苦しさから逃げたい。辛い気持ちはもうまっぴらだ」 「そうだね」 「田村さんもさ」  金崎はこちらにやっと顔を向け、聞いた。 「一緒に死ぬ?」 「・・・・・・・・・・・・」  その腕はもしかしたらあの駅で求めていたものなのかもしれない。二人でせーのと合図をして線路へようやく飛び出せるのかも。  取り残された駅に遅延の文字。人身事故に白い牡丹雪。どこまでも冷たい寒空の下に、もっともっと冷たい心を抱えていた。  ここで頷けば自分も辛さから解放される。この世界からさよなら出来る。ようやく消えることが出来るのだ。 (私はそれをずーっとそれを望んでいたのにね) 「そうだなぁ・・・・・・」  小さく笑いながらブランコを漕ぎ始める。冷たい風が髪を梳き、自転車を漕いでいた時のようにまた耳が赤く染まった。  だがその耳はどこか遠くで低い音がしたのを思考の隅で認知する。 「ひとりで死ねとは言わないよ」 「じゃあ――――」 「でもね」  遥菓は勢いがついたそれから身体を浮かせた。それこそまるでレールの上に落ちるかのように。 「っと」  少し離れたところに着地し、振り返る。両手で鉄の持ち手を掴んだままの金崎に言った。 「きっと誰もが辛い気持ちを持っていて、その中でなんとか折り合いをつけてるんだと思う。でも皆が皆、強いわけじゃない。私たちみたいに死んでしまいたい気持ちを優先して、この世界から逃げちゃうこともあるよきっと」  でもさ。 「どれだけ辛くて、悲しくて、その先にあるのは本当に消えることしかないって思っても、もしかしたら違う道を教えてくれている人がいるかもしれない。そっちに行くなと止めてくれていて、それに私たちが気付いていないだけかも。それは親だったり、友達だったり、全然知らない人だったりして、日常茶飯事みたいに流れていっちゃってて。多分私たちは私たちのことで精一杯で、死んだあとのこと、全く考えてないんだよ。自分が死んで、悲しむ人がいるってことを忘れてる」  砂利を蹴る音がする。見えた姿に遥菓は笑って「そうですよね」と彼に言った。 「片岡さん」 「そういうこった」 「おわっ!」  現れた片岡が、背後から金崎を抱きしめる。 「ちょっ、えっ、片岡さん!?」  なんでここにと慌てる彼に、遥菓は笑って「私が呼んだの」と返した。 「家を出る前にちょっとね。ごめん」 「謝る必要ねーよ」  金崎に向けた言葉の筈が、片岡がそれをキャッチして受け止める。 「こーのばか共が。こんな寒空の下でなにやってんだこのばかっ」  何度もばかを繰り返し、抱きしめていた金崎を離す。そして遥菓もやられたことのあるそれ――彼の髪の毛をグシャグシャに掻き混ぜて「うっし」と笑った。 「このばか共が。移動すっからついて来い」 「もちろん田村もだ」と先に言われ、流石に逃がしてはくれないかと肩を揺らして見せた。
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