⑤犬猿の仲とは言うけれど

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⑤犬猿の仲とは言うけれど

「田村さん、元気ない気がする」 「へ?」  十五時過ぎ、使っていたノートパソコンを閉じているとスタッフルームに座っている遥菓のところまで安堂がやって来た。  今日も彼女は昼休憩なしで利用者と面談していて、それとは別に利用者それぞれの個別支援計画書――――利用者がここ、就労移行支援をどう使うかの長期目標と短期目標が書かれたもの――――を作る作業に追われていた。  しかし今日は特段目立った問題はなく、このまま平和に一日が終わったと思ったところでそんな彼女から声を掛けられた。 「なんかいつもよりショボンとしてません?」 「えー、そうですか?」  流石はここに働くスタッフ。他の人のことをよく見ている。  確かに朝礼の時に金崎の件で気持ちが落下していくのを感じた。けれどちゃんといつも通り金崎と話したし、仕事も行えていた筈だ。  ここは隠し通すつもりで、笑顔で対応する。 「安堂さんも今日は面談と個別支援計画書でお疲れじゃないですか?」 「まぁくたびれましたけど、今は田村さんのことです」 「・・・・・・・・・・・・」  ここも流石というべきか。全く流されてくれない。  黙ったまま困ったと笑顔を浮かべたまま固まっていれば、「片岡さん」と、遥菓の正面に座っている施設長に声を掛けた。  彼女から彼に声を掛ける時は少ない。突然のそれに少しびっくりしていれば、片岡は分かっていたかのようにパソコンから顔を上げずに返した。 「おー。昼の休憩分使っていいぞ。そいつ連れてさっさと上がれ」 「はーい」  ハートがつきそうな高い声で安堂は返事をし、そしてまたこちらに向き直る。 「ほら、施設長からの許しも出たし、お茶でも飲みに行こ!」 「え、えええ・・・・・・」 「はいはい、急いで急いで」  引き下がる様子のない安堂に「分かりました」と遥菓は苦笑し、デスクの上を片付ける。そしてカバンを持って安堂と事業所を後にした。 「お疲れさまでした」 「お先に失礼しますー」  パタンと閉まるドア。事業所に残るのは男性陣二人である。 「・・・・・・安堂さんに片岡さんが何か言ったんですか?」 「ほー、どうしてそう思うんデスカ、長井さん」 「そりゃあまぁ、この席ですし」  長井は小さく笑い、安堂に拉致られ空になった遥菓の席を見る。そしてゆっくりと片岡へと向いた。 「ちらちら田村さんを気にする様子が丸見えだったんで」 「・・・・・・・・・・・・」  片岡は少々沈黙してから言う。 「・・・・・・竹包みの羊羹」 「二本で」 「あー、はいはい。二本用意すればいいんだろっ!」  頭をがしがし掻きながら片岡が言うと、長井は満足そうに笑い、「それじゃあ、先程のはここだけの話ということで」と勝利宣言をした。 「――――で? 何かあったの?」  安堂がホットコーヒーをソーサーにカチャ、と戻しながら聞く。  二人で来たところは、例のスタッフ御用達の喫茶店で、遥菓はまたリンゴジュースを口に含みながら沈黙した。  何をどう話したらいいのだろう。素直に感じた通りに話すのは何となく憚られる。けれどこうやって心配をしてくれたのに、それを蹴るのもいかがなものか。 (信用してないわけじゃない)  ゆっくりと呼吸をし、汗を掻いたプラスチックのコップを見つめる。安堂は黙ったままこちらを待ってくれているみたいだ。  年下である彼女とはたまにこうやってお茶をしたりすることがある。その時は固いことは抜きにして、敬語もそこそこに互いに話すのが常だ。  自分が利用者だった頃もお世話になったし、スタッフになった今も事務で分からないことがあったら彼女に聞いている。それだけフレンドリーに接してくれているのだ。 「えーっと」  そんな安堂に不安や悩みを言わないのは彼女を信用していないに他ならない。そんなことない。絶対にない。 「なんか、みっともないし、格好悪いし、嫌な自分丸出しなんですけ・・・・・・」  少し怖いけれど、少しの勇気でもきっと受け止めてくるだろうから。 「引かないで、くれますか?」 「なになに? あったりまえじゃん! 田村さんが何したって別に引かないし」  こちらの言葉は予想外だったのだろう。明るく笑ってから、けれど真剣な瞳で頷いてくれた。 「もし間違ってること思ってたら、ちゃんと言う。うわぁって思って終了になんかしないから」 「・・・・・・ありがとうございます」  小さく頭を下げる。  姉御肌の安堂は他の利用者に慕われる存在だ。話を聞いてくれるし、それについてのアドバイスもくれる。それこそ一緒に悩んでくれる人で、苦しんでいる相手に誰よりも寄り添おうとしていることを遥菓は知っていた。  それは正義感なんかじゃなくて、それこそ優しさだったり、もしかしたら彼女の過去が関係していたりするのかもしれない。  まだ自分は何も知らないけれどそれでもいい。話してくれる時が来れば話してくれるだろうし、もし彼女が悩んでしまった時は彼女みたいに話を聞いて、寄り添っていたい。  そのためにも、彼女に心を打ち明けよう。 「その、私って事務のアルバイターじゃないですか」 「うんうん」  話し出した遥菓に安堂はコーヒーも飲まずに耳を傾ける。  自分も元々利用者だったこと。けれどここに就職させてもらった。たとえアルバイターの身であっても構わないと思うくらい、ここでの仕事は好きだ。しかしアルバイターの自分よりも、正社員がいた方がスタッフの皆は仕事が楽になるのではないか。  ここの利用者についても、彼らはちゃんと障害枠の正社員として就職していく。アルバイターの自分は彼らに置いて行かれている気分になって、少し悲しくなる。頑張っている彼らを応援したいのに、気持ちはぐちゃぐちゃだ。焦っても仕方が無いのに。 「それに、事務の私は利用者と三十分以上話しちゃいけないことになってて、たとえ面談したとしても上手く出来るか分かんないし、不安なのは確かにあるんですけど、私ももっと皆さんやスタッフの役に立ちたいんです」  自分と同じように苦しんでいる人が少しでも楽になれますように。いつも自分を大切にしてくれるスタッフに、何か恩返しが出来ないだろうか。  長々と、けれど自分の気持ちを曝け出している間、ずっと安堂は真面目な顔で聞いてくれていた。途中でちゃちゃを入れることもなく、「うん」「そっか」と、話しやすいよう相づちも打ってくれる。 「長くなっちゃったけど、そんな感じです」  そう言って、遥菓はまた頭を下げる。  口に出して言ってみると、なんと情けないことか。この間、金崎と話ていた時には変な自信を持っていたというのに。 「なんか、すみません」  どうしようもないことをつらつら並べたような気がし、一所懸命聞いてくれた安堂に申し訳なさを覚えて謝罪をすれば、彼女は「ぜーんぜん」と首を横に振った。 「謝る必要なんてどこにもないよ。その人が何で悩もうが、悩みは悩み。辛いことは辛いんだよ。どれだけ自分自身が情けなく思えてもね」  安堂はそう言い、柔らかく微笑んで言う。 「ありがとう、話してくれて」 「いえっ、そんな」  それに遥菓は慌て、手をぶんぶん横に振るとリンゴジュースの容器にぶつかり、倒しそうになったところを「わぁ!」と叫びつつなんとかキャッチする。  そんな様子を彼女はいつものように笑って、「まぁねー」と湯気が見えなくなったコーヒーのカップを持ち上げた。 「そうだよねぇ、他の人が就職していくの見てたら、なんかモヤモヤするよね。アルバイトであることを申し訳なく思ってるなら尚更だよ」 「うう、そうなんです」 「焦る必要ないって言ったところで焦っちゃうし、置いて行かれる感は消えないと思う。でも覚えていて欲しいんだけど」  持った筈のカップをそのまま口を付けずにまた下ろす。 「田村さんの存在は私たちにとって、すんごーくありがたいの! だって考えてもみてよ。長井さんに事務とか頼んでごらん? 書類一つ作るのに一日掛かりになるでしょ」  大分歳である長井はパソコンを使うのが苦手だ。どちらかというと、面接の練習や就職先を検討し、見つけ出す方が向いている。実際それで就職が決まった利用者もいるし、逆にパソコンのタイピングは遅くて本社からタイピング練習をするようにと指示が出されてしまっているほどだ。  そんな人に事務の仕事を任せるのは遥菓でさへ難しいと感じてしまう。 「私たちが忙しいときでも、田村さんが代わりに利用者の様子を見ててくれるし、何かあれば報告してくれる。私が頼んだ書類だって早く作って渡してくれる。それだけじゃなくて、私と片岡さんの間にあるヤバい空気を中和してくれてんだから、ほんっと頼もしいんだよ」  後半の言葉も彼女的に真剣なものなのだろうけれど、遥菓は笑ってしまった。 「まぁ、長井さんは中立の立場で安堂さんや片岡さんの肩を持つようなこともしませんしね」 「基本面倒なことには首を突っ込まない人だからさ。その点、私と片岡の野郎どちらの話も聞いてくれる田村さんはまさに救世主!」 「そうかなぁ」  大げさな言い方にまた笑えば、「そうなんだってばガチで!」と安堂も笑い、またカップを持ってようやくそれを飲んだ。 「田村さんがいてくれるから仕事が回ってるのもほんと。ぶっちゃけ私は事務なんかするより利用者と話してたい人間だから、すぐ田村さんに色々なことお願いして甘えちゃうくらい、本当に田村さんには感謝してる」 「そんなそんな、甘えなんて。私が出来るお手伝いをしてるまでで・・・・・・」 「そーれーがっ! すごいことなんだってば! もっと自信を持って!」 「う・・・・・・はい」  前のめりになってまで言う安堂に、遥菓は渋々頷く。  自信を持てるほど役に立っていないと思うも、もし本当にそう思ってくれているのならば嬉しい限りだ。もっともっと皆が苦手な仕事を請け負って、少しでも手助け出来ればいい――――と思っていると、それを見越したかのように安堂は眉を寄せた。 「だからって自分の仕事を増やしちゃダメですからね田村さん。これは持ちつ持たれつなの。田村さんが私たちの仕事を手伝いたいっていう気持ちは本当にありがたいけど、ひとりで仕事をこなすのはダメ絶対。ちゃんと自分の役割を果たす上で、協力し合うのがいいの」 「でもその分、私は面談とか利用者の同行とか出来ないから・・・・・・」 「それも気になると思うけど、田村さんは事務職員だからね? 利用者と面談したりするのは仕事じゃないの。でも元気がない利用者とか、気持ちが不安定で通所が続かない人を見てたら放っておけない性格してるのも分かるから、そこはうるさく言わないけど・・・・・・」  これだけは本当に覚えててね。 「事務職員として事業所にいてくれるだけで本当に助かってる。私たちにとってはそれで十分。無理して正社員にならなくても私たちは困らないよ。むしろ何かあって田村さんが精神的に病んじゃう方が嫌だな」 「・・・・・・・・・・・・」  前にここで片岡が言ったことを思い出す。  スタッフは皆、遥菓が元気に仕事をしてくれることを一番に望んでくれるのだ。そんな優しい人たちに出会えたことが、本当に奇跡だと心から思う。 「今後どうするか色々考えると思うけど、道は沢山あるから。アルバイターをやめたいなら他のところに就職するもよし。ここの本社に事務職員として正社員にしてくださいと頼んでみるのもよし。ここが人生の終着点だとは思わないで」 「・・・・・・はい」 「まーね。そう言われても、ハイソウデスカーなんて簡単には思えないし!」  はっはっは! とわざとらしく大きく笑い、安堂はコーヒーカップの中身を掻き混ぜるように揺らした。まるで王がワインを回しているかのごとく。 「きっとモヤモヤは消えないからさ、またしょげちゃう前に私に言ってよ。田村さんとお茶するの好きだし、私にも甘えてくれると嬉しいしさ!」 「じゃあ安堂さんも何かあったら私に愚痴ってくださいね?」 「勿論! いつも片岡関連で常に愚痴ってるからね。もうまた聞いてやってよあのむかつく野郎の話!」 「あはは、是非是非いつでも」  遥菓も笑い、リンゴジュースを飲み込んだ。いつも通り美味しいそれに、なんとなくホッとする。 (話せてよかった)  こうやって少しずつ人と関わるのに慣れていければいい。利用者と関わるのも大分慣れてきたんだから、きっといつかは自分のことを話すのも慣れる筈だ。  まぁ、人を選ぶものだろうけれど。 「話を聞いてくださって、ありがとうございました」 「ぜーんぜん! またいつでも話して!」  遥菓の悩み相談に一段落つくと、「あ! そうそう!」と安堂が思い出したように話し出す。てっきり片岡に対する愚痴かと思っていたのだが。 「田村さんがよく行くショッピングモールあるじゃん? そこに美味しいチョコレート専門店が出来たんだって!」  全く別の話を始め、キョトンとしてから遥菓は笑った。  どれだけ暗い話をしても尾を引かない。それは終了移行支援に務めるために必要なスキルだと思うけれど、多分これは素に違いない。 「へぇー! スマホで見つけたんですか?」  そんな彼女が、遥菓は大好きなのだ。
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