②歯がゆさ

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「あの、田村さん」  安堂が小川と電話が繋がったと喜び勇んで事業所から飛び出ていった後、スタッフルームで仕事をしていた遥菓に声が掛かる。 「はい、どうされました?」  声がした方に向き直るとそこには昨日、片岡と市役所の見学に行った金崎凛(かねざきりん)がいた。たしかこの時間はいつもピッキングをしていたことを思い出し、腰を上げた。 「忙しいところすみません、ピッキングのチェックお願いしても良いですか」 「はい大丈夫ですよ。いま行きますね」  田村は赤いペンを持ち、彼の後に続いてトレーニングルームを横切る。そして休憩室兼軽作業の部屋へ行けば、テーブルにピッキングされた物品が綺麗に並べられていた。 「こちらが注文書です」 「はい、ではチェックさせていただきますね」  物品名と品番、そして種類や個数などが書かれたプリントを預かり、それを見ながらテーブルに並べられたそれを見る。  種類や個数、並べ方もチェックし、特に問題はないと遥菓は金崎に「大丈夫です」と笑顔を見せた。 「今日も綺麗に並べられてますね」  言いながら渡された注文書にある担当欄に自分の名前を書く。これはチェックしてもらった証だ。 「注文書の問題って結構な数ありますけど、金崎さんはもう一周し終わっているんですよね?」 「そうですね。今は注文書をランダムでスタッフに出してもらっています」 「以前よりも品物の向きとか、まとめ方とかが上手に出来てるので、もうバッチリですね」 「はは、そうですか?」 「チェックしてくださって、ありがとうございました」と笑いながら彼は遥菓から名前が入った注文書を受け取る。そして自身のファイルにしまった。  後は出した品物を元あった棚に戻すだけなのだが、遥菓は「そういえば」と思い出した。 「金沢さん、市役所の見学どうでしたか?」 「あー・・・・・・」  動かしていた手を止め、天井を見上げる。これは良い答えを返してくるというよりも、あまり自分の中で飲み込めていない部分があるのだろうと察した。  その素直な反応にピッキング同様、彼の成長が窺える。  金崎がここに通所始めた頃は人付き合いが苦手で、極力人と関わらないようにしていた。  こちらから声を掛けても逃げるように小さく低い声で返して移動してしまう。他の利用者とは会話もしない。時間が解決するかと思ったが、なかなか彼はここに打ち込めなかった。  けれど遥菓は彼がここに自転車で通っている――――遥菓も自転車で通勤しているので、そこの共通の話題を引っ張りだし、少しずつ会話をするようにした。  すると金崎は頬を掻きながら、少し照れたように会話をぽつぽつ続けてくれるようになったのだ。  まだ他の利用者と仲良く出来ているわけではないが、それでも最初の頃のように自分の世界に引き籠もっている感じではなくなり、スタッフ相手ならば彼から声を掛けてくれるようにもなった。それが遥菓は嬉しい。 (こうやって少しずつ人と関わるのに慣れたらいいな)  自分だって人見知りをするそれは治っていない。けれど、ここでアルバイトを始めてから人と会話をすることを覚えた。  北海道に住んでた頃はきっと周りは金崎と同じような様子を見ていたに違いない。  時間の制限はある。それでもそれは人生の最終着地点ではない。ゆっくりゆっくり金崎のペースで少しでも人と関わることに対して、ストレスが減りますように。  彼がどこか気まずげな表情をしているにも関わらず、ちょっとだけ微笑んだ遥菓は、テーブルの周りにあるイスを引っ張り、腰を掛けた。 「緊張しました?」 「いやもう緊張しましたよ」  金崎も遥菓と同じようにイスに座る。 「スーツ自体久しぶりでしたんで身体を動かしづらいのに、緊張までしたらもう直立不動でした」 「そうですよね。カチッとしたスーツ着るだけでも変に緊張するのに、こう・・・・・・態度とかもね、気をつけないと~って思うと、カチコチになりますよ」 「そうなんですよねー・・・・・・」  大きく息を吐き出し、テーブルに腕を置く。  参ったとばかりに頭を少し掻いて「でも」と彼は続けた。 「片岡さんが一緒にいてくれたんで、ちょっと心強かったです」 「私としては金崎さんよりも、片岡さんの方が心配でした」 「はは、ですよね」  素直に笑顔を見せた金崎に、やはり彼は成長したと心の中で遥菓はひっそり思う。  片岡が元ヤンキーなのは利用者も全員知っている。敬語が似合わないどころかどこかへ消えてしまう彼の存在を認める為には、正直に彼の素性を明かしてしまう方が手っ取り早い。  時折、『どうしてそんな人が施設長なのか』とか『なんか妙な圧力があるんですけど』と言ってくる利用者もおり、その度に他のスタッフが謝るという最悪なシナリオになるのだが、それでも利用者が大きな揉め事にせず、その彼に適応していってくれるのだから本当に感謝しかない。  金崎もスタッフと話が出来るようになっても、一番最後まで関わろうとしなかったのは片岡だ。遥菓が苦手かと聞いたことがあったが、それには首を横に振り、『一話すと、百になって返ってきそうなんで、もうちょっと片岡さんの存在自体に慣れようと思って』と苦笑した。  ある意味片岡はこれから社会へ羽ばたく彼らにとって、世の中にはこんな人もいるんだと思えるキッカケになっていると思えば、彼の存在も許せる、なんて思いつつも、スタッフルームで静かに座っていて欲しいと願うのは変わらない。  根はいい人なのだ。悪い人じゃない。ただいけないのは、ちょっと憎める要素があることだけ。でもある意味そこがあるから、関わりやすさがあったりもする、なんて思わなくもない。 「金崎さん、大分片岡さんに慣れたみたいですね」 「まぁ、そうですね」  頷きつつも、彼はどこかパッとしない表情で呻くように言った。 「片岡さんが背後にいると思ったら、なんとなく心強いんですよ。まぁ、突然怒り出したりしないかとか、余計なこと言わないかとか、色々思うところはあるんですけど」  でも、と金崎は言う。 「なんとなく、本当になんとなく、片岡さんは裏切ったりする人じゃないって感じる・・・・・・みたいな」  最後は自信なさげになってしまったが、そんな彼に遥菓は「分かります」と頷いた。 「なんだお前は! と思うこともありますけど、でも自分たちとちゃんと向き合ってくれるんですよね」 「そうなんですよ。それが元ヤンだからなのか、それとも元々の性格なのかは謎ですけどね」 「確かに謎です」  今度は二人で頷いて笑う。 「そういえば、見学の後に片岡さんと話したとか聞いたんですけど、その時は大丈夫でしたか?」 「あーまぁ、痛いところを突かれたりもされたんですけど、そんなダメージは負ってないです」 「痛いところ、突かれたんですか」 「ズバズバ思ったことをハッキリ言うんですもん片岡さん。まぁそれでも手加減してくれてるんでしょうけど」 「ならしばらく近づかずに休憩してください」  触らぬ神に祟りなしって奴です、と言うと、「ですよねー」と彼は溜息と共に言葉を落とした。 「これでまた突かれたら今度こそ息の根を止められそうなんで、しばらく近寄らないようにします」 「それがいいです、正解です」  出来れば私もしばらく近づきたくないなんて思いつつも言葉にはしない。  別に彼を嫌っているわけではない。安堂のように仲が悪いということもない。けれどなぜかあの人に心の奥を覗かれているような感覚になるのだ。  今までだって、病みがちな遥菓に優しく声を掛けてくれた人はいる。いま通っている心療内科にも話を聞いてくれる人がいて、そんな人たちに支えてもらいながら今日まで生きることが出来ていると思うが、それだけじゃ片岡は許さないとばかりに言葉を撃ってくる。  本当はどうしたいんだ。  何をいま思っている?  気持ちを誤魔化すな。無かったことにするな。  自分の心に耳を傾けろ。 (そんなこと、簡単に言わないで欲しいんだけど)  心の中に、ここでは降るはずの無い雪が積もり始めた気がして、遥菓はそれを押さえ込むように笑って話を変えた。 「話は戻るんですけど、市役所の見学は上手くいきましたか?」 「まぁー、悪くはなかったと思います。多分」  それに金崎は乗り、障害者枠での仕事の内容や、正社員とはどれくらい業務内容が違うのか比較して教えてくれたりしたと説明してくれる。  良い点、悪い点、不安な点。ひとつひとつ教えてくれる彼にところどころでこちらの考えを言っていれば―――― 「おい、田村」 「わっ、あ、はい」  突然背後から名前を呼ばれると同時に、イスが勝手に後ろに下がる。  少しバランスを崩しつつも振り返れば、そこには口をへの字にした片岡がいた。その手はイスの背もたれを持っていて、彼がイスを引っ張ったのかと理解する。 「ちょ、危ないじゃないですか」 「確認して欲しい書類があるから、ちょっとこっち来い」  こちらの言葉を無視して親指でスタッフルームの方を指す姿は、ちょっと校舎裏に来いと言っているように見える。  以前は金髪だったと聞いた髪の毛は黒色になっているし、耳には塞がっていないピアスホールがありつつも何も付けていない。それなのにヤンキーに見えるのはどうしてか。 (いや、もうヤンキーは卒業して暴力団?) きっとそれを口にしたら怒るよりも、どこか嬉しそうにするような気がして、遥菓は余計なことを言わずに立ち上がった。 「そしたらすみません、ちょっと行きますね」 「はい。チェックと話を聞いてくれて、ありがとうございました」 「いえいえ、こちらこそ。また話、聞かせてくださいね」  互いに小さく会釈し、遥菓はスタッフルームへ。そして金崎は広げたままにしていたピッキングの品物をまとめ始めた。  ホワイトボードの裏、スタッフルームへ移動すると、片岡は周りに聞こえない小さな声で「たーむーらーさーんー」と眉間に皺を寄せながらも綺麗な笑顔を浮かべて言う。 「前にも言ったよな俺。ん? 忘れちまったか?」 「えっと・・・・・・」  その笑顔に恐怖を覚える遥菓だが、彼は一体なにに対して怒っているのか分からない。ちょっとだけへらっと笑い、誤魔化すように「色々言われてますね、私」と言えば、片岡は突然無表情になり、「お前なぁ」と呆れたように溜息をついた。 「ここでのお前の仕事はなんだ」 「事務系、ですかね」 「おーそうだ。お前がいなきゃ、きっともっと忙しくてパンクしてたぜ? 俺らはお前が事務を請け負ってくれて、大変助かってる」 「・・・・・・・・・・・・」 「もう俺が言いたいこと、分かったよな?」  片岡は言う。 「お前が利用者と話しをするのは最大で三十分間だけだって、俺に何回言わせるんだ? あ?」  首を傾げこちらを覗き込む姿は、本物のヤンキーまたは暴力団のようだ。 「なんの為に事務職っつー線引きしてると思ってんだよ。もしこれで利用者と話したことによって休まれちゃ、マジで困るんだっつーの」 「す、すみません。話してたら夢中になっちゃって、時間を気にしてなかったです・・・・・・」  遥菓は視線を逸らし見えない汗を掻きながら謝ると、そういえば前にこれ言ったら腕時計を握っとけって言われたことを今更ながらに思い出した。 「まぁ利用者と話すことは大事だ。お前は元々ここの通所者だったわけだし、互いに共感することはここのスタッフよりも上手く出来ると思う。だーけーど! てめぇがそれで相手の辛い部分を感じ取ったことによって、てめぇも一緒に苦しくなるんだろうが」 「う、まぁ、そういうこともありますけど」 「問題はねぇなんて言うなよ? どれだけ利用者に尽くそうが、てめぇまでおじゃんしちまったら意味ねぇし、つーかてめぇの仕事はそれじゃねぇ」 「・・・・・・はい」  痛いところを突かれるとは、まさにこういうことだろう。昨日の金崎の背中を撫でてあげたい。 (私はあくまで事務のアルバイター、か)  別にそれはそれで構わない。給料が低くても、ここでこうやって働けているだけでありがたく思う。けれど、やっぱり歯がゆい。  朝礼時と同じだ。もし自分が正社員ならばスタッフの仕事の振り分けがもう少し楽に出来るだろう。利用者との面談だって、上手く話せるか分からないが、それでも相手が心の中にため込んでいる辛い気持ちを聞くことくらいは出来ると思っている。  しかしそれは遥菓にとって見えない負担となってのしかかってくる。気付かないうちに疲れがピークとなり、そのまま立ち上がれなくなるのだ。  それをここスタッフ全員が分かっている。そして遥菓が本当は面談をしたり、自分たちの役に立ちたいと思っていることを。だが、そのまま勝手にさせておいたらどこまでも遥菓は突き進み、そして精神的に落ち込むに違いない。  だからこうして片岡は怒って止めているのだ。 (正社員になれば、こんな歯がゆい気持ちにならないのかな)  遥菓はそう思うも、正社員になったところで自分の心が強くなるわけではない。アルバイターとして面談をするのと、正社員になってからする面談は責任の大きさは違えど、内容は似たようなものだ。  ならばいま正社員になったところで、精神的な落ち込みを回避出来るすべを持っていない今、逆にスタッフに迷惑を掛けてしまうだろう。  もっと役に立ちたい。少しでも認めてもらいたい。その承認欲求はあの牡丹雪のように降り続ける。 (どうして私はこんなに使えない人間なんだろう)  ほんの少しバレない程度に唇を噛み締めれば、「おい田村」と低く呼ばれた。 「いま良くねぇこと考えてんな?」 「え・・・・・・?」  ぎくりと身を固めてしまう。これではバレバレではないかと思うも、その前にもうまさに心を読み取られているのだから今更隠したところでもう遅い。 「今日はお前残業。面談すっぞ」 「・・・・・・ハーイ」  遥菓は溜息を隠すことなく吐き出し、掴まったとばかりに返事をする。  ここ、就労移行支援みらいでは、利用者だけではなくスタッフも面談をすることがある。  元々利用者だった遥菓は、少しでも情緒不安定な片鱗が見えれば、片岡に呼ばれ面談をされる。早めの対処はありがたいが、またあの弾丸を食らうのかと思えば、溜息が零れても仕方が無いだろう。  まぁそれでも面談をしてもらった後はどこかしらスッキリするのだけれど。 「すみません田村さん、いまお忙しいですか?」  コンコンとホワイトボードを叩きながら利用者が声を掛けてくる。  それに気付いた遥菓はにっこりと笑みを浮かべるが、先に片岡が利用者に「大丈夫だから持ってけ」と返した。 「おら、行って来い」  片岡はスタッフルームのいつも座っている所に座り、遥菓から離れてシッシと手を振った。 (お前が言うなお前が)  なんて突っ込みつつ、「どうされました?」と聞けば、やっていたエクセルの教本の答え通りに出来ないらしい。 「じゃあ私のパソコンも持って行くので、ちょっと席で待っててもらってもいいですか?」 「はい。お願いします」  利用者は丁寧に頭を下げて、席へと向かう。遥菓も急ぎパソコンの充電コードを抜くと「田村」と、目の前の席にいる片岡が一言声を掛けた。 「お前は人の重荷を何でも背負う。だからお願いしてるのが事務なんだ。そこんとこちゃんと分かっとけ」 「・・・・・・はい」  小さく返事をし、パソコンを抱きしめ先程の利用者の席へと移動する。  分かってる。全部ちゃんと分かってる。だけど。 (皆の役に立ちたいし、ここにいてもいいんだと安心したい)  認められていないわけではないことも分かっているのに、もっともっとと貪欲に承認されたいと思ってしまう。  自分の存在価値が欲しい。望まれたい。まだ自分では自分を褒めることは出来ないから。 「はい、お待たせしました」  手袋をした手で仮面をつくるように、遥菓はにっこり微笑んで利用者に声を掛けた。
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