③面談と私と

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③面談と私と

「お疲れ様でした!」 「はい、お疲れ様です」  利用者の退勤時間は十五時。それは遥菓の勤務時間と同じだ。  皆が順々に帰っていくのを見送り、スタッフ全員が一段落と息をつく頃、片岡が立ち上がる。 「んじゃ、俺は田村さんと面談して来マス」 「あれ、田村さん残業ですか?」  長井がパチパチと瞬きをすれば、また遥菓より先に「おう」と彼が答えた。 「ちーっとこいつにお灸を据えないといけないんでね」 「それはそれは」  片岡の言葉に長井は笑い、遥菓に「頑張ってください」と声を掛ける。 「定期面談も含めてやるから、ちょっと外で茶ぁ飲みながら話すんでよろしくお願いします。一応事業所のスマホは持って行くんで、なんかあったら連絡ください」 「あんまり田村さんをいじめないようにお願いしますね」 「えー、心外だなぁ長井さん」  満面の笑みを顔に貼り付けた片岡は、まるで爽やかな青少年のように言った。 「俺はいつでも優しいデスヨ?」 「・・・・・・・・・・・・」  そんな彼をじと目で見つめてしまう。長井は「そうですか」と肩を揺らすだけで、ツッコミ担当の安堂はハーブ工房へと出たままな為、微妙な空気が漂った。  それに気付いている片岡は「じゃあ行くか」と、先程のやり取りは無かったことにした。 「じゃあ長井さん、行ってきま-す」 「あ、すみません長井さん、お願いします」 「はい、ゆっくり話して来てくださいね」  ペコリと頭を下げて歩き出した片岡を追いかける。  事業所を出ると一本の廊下があり、その先にあるエレベーターのボタンを押せば二台あるうちの一つが点滅した。  二人でそれに乗り込むと、片岡は「んで?」と遥菓に問う。 「なに飲みてぇ? 酒は無理だけどよ」 「いやいや、酒は結構です」  遥菓は一刀両断してから、うーんと悩んだ。  定期面談を行うのは月に一回。どういうわけかスタッフの定期面談の時は飲み物やお菓子を買うことを許される。  どれだけここの事業所が人不足だと嘆いても聞き入れてくれないくせに、こういうところが妙に甘い。ここでお金を使うのならば、もっと別のことに使って欲しい。  だがもらえるものはもらっておかないと損だろう。 「特に私が飲みたいものはないんで、片岡さんが場所決めてくださって大丈夫ですよ」 「ほー、じゃあ炭酸ばっかあるところにすっか」  こちらを見ることもなく彼は言った。  エレベーターのボタンの前にいる彼の表情は見えない。が、きっと意地の悪い顔をしているに違いない。 (ほんとこいつは・・・・・・)  遥菓は炭酸が苦手だ。前に片岡が差し入れだと言って、瓶のラムネを買ってきてくれたことがあった。  他のスタッフ二名は久しぶりだと喜んで飲んでいたが、遥菓はちょびちょびと飲むことしか出来ない。ここで炭酸が苦手だと言える雰囲気も無く、そして言い出す勇気も無い。  まぁどうにか飲めるだろうと頑張って小さじ一杯にも満たない量を飲んでいれば、目敏く指摘したのはやはり片岡だった。  結局苦手で飲めないことを言わされることとなり、『それならそうとちゃんと言え』なんて説教まで受けてしまった。 「別に片岡さんがそこがいいならそこでいいですよ」  からの現在(いま)、喧嘩を売られている。 「私はお冷やでもいいですから」 ――――チンと一階に到着した音が響き、ドアが開く。遥菓は開くのボタンを押してくれている片岡に「ありがとうございます」と頭を下げて彼の横を通り過ぎた。 「言うようになったなお前」 「安堂先輩が直々に指導してくれた賜物です」 「はは! そうかそうか! これからも励めよ」 「なんでそんな嬉しそうなんですか・・・・・・」  いまここに笑える要素なんてあっただろうか。  げっそりしながら言うと、歩き出していた遥菓の隣に彼は並んでまた笑った。 「変に畏まられるより、素直に言い返された方が互いにいいだろ? なんか距離が縮まった気ぃするし」 「そんなもんですか?」 「そんなもんデス」  頷いた片岡に「ふーん」と遥菓は少しだけ唇を突き出した。  なんとなく言っている意味は分かるが、距離を縮める必要はどこにあるのか。 (まぁ、人を相手にしてる職場だし、少しでもコミュニケーションを取っとかないといけないからかな)  仕事としての付き合いにそこまで求めるものなのかと疑問に思いつつも、それを言うことなく片岡へついて行った。 「んじゃ、ここで」  歩を止めた先、そこは事業所のあるビルの隣の隣にあるビルだった。一階には小さな喫茶店があり、昼間には本日のランチの中身が入ったお弁当を売っていたりもする。  職場から近いというのもあるが、値段が安いからという理由で他のスタッフもここを使うことが多く、重宝している喫茶店だ。 「いいか?」 「はい、大丈夫です」  振り返った彼に遥菓は頷き返せば、彼はまた歩き出して店の中へと入っていく。  店内は広く、子供を遊ばせるスペースもあり、子連れのお母さん同士でお茶をしている姿も見かけたことがある。 「お前なにを飲む?」 「えーっと、リンゴジュースで」  注文票を見ることもなく、いつもここで飲んでいるものを頼めば、「ケーキは?」と聞かれた。 「ケーキは・・・・・・大丈夫です。飲み物だけでお願いします」 「金は会社持ちなんだから、何か適当に頼めばいいだろ」 「いえ、大丈夫です」 「・・・・・・そうデスカ」  遥菓の言葉に片言を返した片岡はまた追い払うように手を振る。 「んじゃ、俺が注文しておくからお前は好きな席に座ってろ」 「分かりました」  お願いしますと言い、遥菓は奥へと進んで行った。  今日は客が少なく、店内に流れているオルゴール調の曲がいつもより大きく聞こえる。  遥菓は四人がけの席を選び座った。会社のデスクチェアよりも柔らかい感触に、なんとなく脱力してしまう。だがこの後は面談だ。気を抜いたらきっと頭から下まで銃創だらけになるだろう。  出来るだけ早く終わってくれることを祈れば、「お待たせ」と、リンゴジュースとアイスコーヒー、そしてケーキを二つのせたおぼんを片岡はテーブルに置いた。 「今日は空いてんな」 「そうですね」  彼は遥菓の正面に座り、遥菓の飲み物をこちらに置いてそのおぼんごと自分の方に引き寄せる。  のっている二つのケーキ、チョコレートケーキとイチゴのタルトを見つつも、特に何も言わずにリンゴジュースを手に取った。 「いただきます」 「はい、お疲れさん」  透明なプラスチックの容器をぶつけ合い、ストローに口をつけ吸い込めば、ほんのり酸味を残しつつも甘いリンゴ果汁の味がする。  外はひんやりとした空気だったのに、氷の入った冷たいそれが喉を通っていくのがなんだか気持ちよかった。 「よし田村」  同じように一口飲んだ片岡は、片方の肘をテーブルに置き、頬杖をしながら面談を始めた。 「今日はどうして面談に至ったかちゃんと覚えてるか?」 「・・・・・・三十分以上、利用者と話したから」 「おーよく覚えてたな。偉いぞ」 「・・・・・・・・・・・・」  バカにしてます? という言葉はなんとか飲み込む。 「じゃあどうして三十分で切り上げなきゃいけないんだ?」 「私の仕事は事務であって、利用者と面談する立場じゃないということと、利用者と面談したことによって、精神的に病むのを避けるため」 「んー、まぁ合格点だな」  もう片方の手でストローを回す片岡に、遥菓は視線を逸らしてまたジュースを口に含んだ。  合格点ということは満点ではないということ。これは説教ルートに進むしか先はない。しかし、ムダのあがきだと分かっていても、遥菓はストローを噛んでから口を離した。 「もう忘れません。ちゃんと三十分で切り上げます」 「お前はそれで納得してんのか?」 「はい。こちらを考慮しての対策ですから」  持っていた容器を置き、テーブルの上で指を組む。まるで神に祈るかのようなものだが、 「ばーか」  神は全く救ってくれない。まぁ、知っていたけれど。  片岡はまるで酒を呑むかのように容器の蓋のふち辺りを指で持ち、アイスコーヒーをごくごくと音を立てて飲んだ。 「それは納得してるんじゃなくて、言った俺たちに気ぃ使って頷いた形だけじゃねぇか」 「それでもちゃんと守れば問題ありません」 「はっ! 自分がそうした方がいいっていう考えよりも、他者の言葉に従順した方が楽だからかよ」  まるで皮肉を言うかのように表情を歪めた。 「別にそれが悪いとは言わねぇ。お前のそれは〝優しさ〟だからだ」 「・・・・・・優しさ?」 「そーだよ」  次は背もたれに寄り掛かり、肘をそこに置いて片岡は続ける。 「相手を傷つけたくないが為に自分じゃなくて相手の方を選び取る。それは他者にとっては優しさだ。傷つけないように大切にしてるんだからよ」 「だーがっ!」と彼は強く言った。 「てめぇのそれはマゾかって聞きてぇくらい自分を放っておいてる。他者の傷ばっか心配して、自身を疎かにしすぎだ」 「そんなこと・・・・・・」 「ねぇってか? ならいまここで知れ。お前は自分を大切にしてやってねぇバカだってな」 「それは流石に酷くありません?」  遥菓は溜息をつきながらジュースを持ち上げ、吸い上げる前にストローを噛む。苛立っているわけでも、悲しんでいるわけでもないけれど、面白くはない。 「もうちょっと手加減して教えてくださいよ」 「手加減なんかしたらお前は聞き流して見てみぬふりすんだろどーせ」 「でもこれで私が傷ついたー! なんて言って落ち込んで、会社に行かなくなったら問題に発展しますよ?」 「まぁ、そうかもなぁ」  片手を伸ばし、また酒を呑むがごとくアイスコーヒーを吸った。 「でもどこかで言わねぇと辛い思いをするのはてめぇだ。ここで見つかった問題点を見て見ぬ振りしてもっと傷ついた姿を見るのはごめんだね」 「・・・・・・・・・・・・」  それは彼の優しさだろうか。落ち込んでしまった時の対処まで考えているのならば優しさで、何も考えていないのならばそれはきっと彼の自己満足だ。  だが腹が立つことに、自己満足だけで済ます男では無いことを遥菓は知っている。 「じゃあ私はこれからどうしたらいいですか」 「んー、そうだなー」  どこか適当に返されたかと思えば、片岡は「まぁー」と容器を置いて、突然二つのケーキを遥菓に差し出した。 「お前、どっちが食いたい?」 「へ?」  目の前のチョコレートケーキとイチゴのタルトを見ては片岡を見て混乱する。だがどうってことないと彼は肩を揺らす。 「せっかく金もらえんのにジュースだけだと勿体ねぇだろ。だから適当に選んできた」 「そう、ですか」 「おら、好きな方選べ」 「えー・・・・・・」  今の会話から突然のケーキとは。一体どんな反応をしたら良いのか。  別にケーキは嫌いじゃない。この二つだって、食べろと言われたら食べられる。しかし何度も言うが、なぜ先程の流れからケーキうんぬんになったのだろう。 「確かさ」  心の中で唸っていれば、ポツリと独り言を呟いた。 「田村さんはチョコレートが好きで、アポロとかをよく食べるらしいじゃん? あれってイチゴ味とチョコ味だから、もしそれが別々になったらどっちを選ぶのかなーって」 (私は実験のマウスか何かか)  ここは意地でもいらないと突っぱねてやろうと思ったところでまた頬杖をついて片岡は「好きな方」とケーキを選ぶことを促す。 「お前はどっちがいい? あぁ、二つ食べたいなら両方取ってもいいぞ」 「いや流石にそれは・・・・・・」 「ならほら、どっちか選べ。俺のことは気にしなくていいから」 「先に片岡さんが選べばいいじゃないですか」 「部下を想ってこそだろ? 上司はさ」  ウインクをしそうな勢いの彼に、このまま突っぱねても埒があかないなと、遥菓は隠すことなく大きく溜息をついた。 「あーもー分かりました。じゃあ片方選ばせてもらいます」  ちょっとだけ二つのケーキを見つめてから、「じゃあえっと、こっちいただきます」とチョコレートケーキをリンゴジュースの隣に置いた。 「それだよ田村」 「えっ、な、なんですか?」  再び突然の言葉に、遥菓はビクっと肩を揺らすも、片岡はどこか機嫌良さそうにチョコレートケーキに指さした。 「今のそれがお前の意思。自分の食べたい方を選んだ。まぁ無理矢理選ばされたのもあっけどよ、チョコかイチゴ、どっちか選んだのはお前だろ?」  なるほど。ケーキを選ばせたのは先程の話を続けるためだったらしい。 「こうやってお前は出された選択肢を選べばいい。自分の気持ちに素直にな。相手がどう思おうがてめぇの好きにしていいんだよ」 「それは・・・・・・相手を傷つけたとしてもってことですか?」 「そこんとこは気にすんな」  首を横に振りながら手も一緒に振った。 「お前がお前のしたいように選択をしたところで、お前はちゃんと傷つけた相手に謝ることが出来る。思いやってやれる。たとえ傷つけたところで、お前がどういう人間か知っているなら、傷ついたうちにも入らねぇよ」 「買いかぶりすぎです」 「ははっ、たまには喜んどけ。本当のことだしよ」  真っ直ぐな笑顔に、なんとなく居心地が悪くなる。なんというか、ちょっと恥ずかしい。  それを誤魔化すようにジュースを持って飲めば、「ほら」と、イチゴのタルトもこちらに押した。 「頑張って選んだご褒美」 「ちょ、いいですよ! そんな!」 「いいから受け取っておけって」  言ったろ? 「喜んどけってよ」 「――――はい」 「ありがとうございます」と頭を下げ、フォークを握る。自分だけケーキを食べるのには気が引けるが、折角上司がくれると言っているのだ。もらっておかないと相手の面子もあるし、なんて言い訳をしてチョコレートケーキにフォークを刺した。  それを眺めながら、片岡は静かに言う。 「でもよ、どう足掻いても選びたい選択肢を選べないときもある。絶対選んじゃいけないものを選択しないといけない時もな。でもそれはお前のせいじゃないから、自分を責めるなよ」  苦笑しながら言う声音は、どこか苦々しい。 「お前が利用者との面談をどうしてもしたいって思うなら正社員になると選択してもいいし、もしかしたら選択が出来ない場合もあるだろきっと。その時はその時で大いに傷ついて泣いていい。そんときゃ――――」  口の中に入れたチョコレートはこれでもかというほど甘いのに。 「俺がケーキ奢ってやるから、また一緒に話そうぜ」  コーヒーを飲む彼はどこまでも苦そうだ。 「・・・・・・・・・・・・」  遥菓はそれに返事はせず、もう一口ケーキを食べて言った。 「片岡さんって案外、面倒見がいいですよね」 「おうよ」  その笑顔はきっと、 「天職だろ?」  いつかどこかで泣いたことがあるから苦いのだろう――――なんて思いながら、遥菓も笑顔を向けた。
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