④ほらまたこれだ

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「そう見えます?」 「んー、なんとなく」  金崎は視線を合わせることはせず、目の前のそれを掻き混ぜながら言った。 「ちゃんと俺たちのこと、見てくれてるんだなーって思います」  でもそれは仕事とかじゃなくて。 「良い意味で、スタッフとはちょっと違うというか、なんか心から親身になってくれるなーって」 「それは、うーん」  彼の言葉がくすぐったいような、スタッフになりきれてないのかな、とかちょっと卑屈になりながら頬杖をつく。  金崎は遥菓がスタッフの位置についてから入ってきた利用者だ。こちらが元利用者だとは知らないだろう。別に隠しているわけではなく、ただ話すタイミングが無かっただけで、同時期の他の利用者には話していたりもする。  特段彼だけ秘密にする必要はないため、「それはねぇ」と話し出した。 「私も同じように悩んだ時期があって、何となく皆の気持ちが分かるんだよね。前は私も利用者でしたし」 「えっ! そうなんですか!?」 「はい、そうなんです」  驚いた様子の彼に、遥菓は苦笑しながらアイスミルクティーを口に含む。  甘くて冷たい、茶葉の味がするそれはやっぱり美味しい。 「前は北海道で一人暮らししてたのは知ってますよね? その時は介護の仕事してたんですけど、そこで病んじゃったんですよね」  あの寒い駅をなんとなく思い描いて瞬きをする。次に目を開けば目の前には瞠目している金崎の姿。いまあの駅を思い出す必要はないとまた紅茶を吸った。 「人と関わるのは私も苦手で、それなのに介護をするとか今から思えば無理だろって思うんですけど、あの時はそれしか選択出来なかった。嫌なこととか、辛いこととか、全部飲み込んで無視して、我慢して、最終的に動けなくなっちゃって・・・・・・」 「いまの田村さんでは想像出来ないですね・・・・・・」 「そう言ってもらえて良かった、のかな。今の自分になるまで時間も掛かったし、それなりに頑張りましたから」 「あ、レモンティー飲んでくださいね」と手を動かして勧めると、「あ、はい」と金崎も一口、ストローで飲む。するとまた驚いた顔をして「美味しいですねっ」と言った。 「本当に茶葉の味がする」 「そうでしょ。私のお気に入りなんです」  してやったり、のような気分で遥菓は笑う。 「あ、さっきの話に戻るんですけど」 「ん?」 「あの、まだ人と関わるの、嫌だったりしますか。俺と話していて苦じゃないですか?」 「・・・・・・・・・・・・」  突然こちらの心配をされ、次は遥菓が瞠目する番だった。  仕事のとき、確かに少し明るい自分であることを意識して利用者と関わる。それはあそこで働いているからというよりも、人と関わる為の最低限のマナーであると思っているからだ。  けれどあそこに通う利用者に対してはそれ以上に優しく接するように気をつけている部分がある。ちょっとでも冷たい態度を取ってしまえば、繊細な彼らを傷つけてしまう可能性もある。 (でも、今は別に・・・・・・)  カランとグラスを鳴らして少し考え込み、それから口を開いた。 「まぁ、一応会社では気を遣ってはいるんですけど、金崎さんと話すのは特段気にしていることはないかもしれません」 「自然に話せてるってことですかね。金崎さんには悪いですけど」と付け足せば、金崎さんはブンブンと首を横に振り、「いえ!」と叫ぶようにして言う。 「全然! 俺は逆に嬉しいです。なんか、普通に話してもらえて」 「あはは、良かった」  遥菓は笑ってミルクティーを口に含んだ。  なんとなく自分でも不思議な気分だ。人付き合いは苦手で、仕事ならば仕方が無いと思いながら人と関わっていた筈なのに。  一年以上経っているとはいえ、プライベートであってもこうやって、しかも別に気取らないで話せるなんて。 「きっと金崎さんが私の話をちゃんと聞いてくれるからですね」 「そんなそんな、別に俺は何もしていませんよ」 「逆にそれがいいのかも」 「はは、まぁそうだったら嬉しいです」  金崎は笑い、一気にレモンティーを半分まで勢いよく飲んでいく。そして口を離せば、「うん。美味しい」と呟き、こちらを見た。 「その、田村さん」 「はい?」 「また、事業所でも、えーっと、またこうやって出会ったときでも、一緒に話したり、してもいいですか?」  それがどういう意味を指しているのか。特に考えもせず、遥菓は「いいですよ」と軽く頷く。 「金崎さんが良ければいつでも話し掛けてください。金崎さんの話も聞きたいし、私の話も聞いて欲しい、なんて」  へへっと笑うと、彼も嬉しそうな顔で「勿論、いつでも聞きます」と言った。 「なにかあったら、俺、田村さんの愚痴聞きますから」 「なんだかどっちがスタッフか分からなくなっちゃいますよ」 「はは、でもスタッフは田村さんですから。俺がまだ出来ないこととか、苦手で挑戦できずにいることとか、どうやって乗り越えてきたのかとかもアドバイスしてやってください」 「分かりました。ビシビシいきますね」 「え、いや、手加減してやってください」 「嘘ですよ、嘘。私がそんなことするわけないじゃないですか」 「ですよね」  二人でクスクス笑い、その間でまた紅茶を飲む。  この後も好きなものとか、逆にやりたくないこととかの話をしていれば、あっという間に短い時計は十二時を指した。 「今日は付き合ってくださって、ありがとうございました」 「いえいえ、こちらこそ」  喫茶店を出て、一階まで下りる。そして中央の出入り口まで一緒に歩いて行った。そして互いに頭を下げる。 「そしたらえーっと、明後日ですかね。また事業所の方でもよろしくお願いします」 「こちらこそ、お願いします。そしたら、えっと、これで失礼します」 「はーい、気をつけて帰ってくださいね」 「田村さんも」 「了解です」  軽く手を振ると、彼も軽く手を振って外へ。ここまで車で来たらしい。初心者マークはもう外されているけれど、まだ運転は慣れないと言っていた。 (晴れてて良かった)  これなら視界良好だろう。このまま無事に帰れればいい。  遥菓は彼の背中が見えなくなってから小さく伸びをして「私も帰るかぁ」と呟く。  両親には昼間でには帰ると言っておいたから、そろそろ帰った方がいいだろう。もしかしたら心配されているかもしれない。  遥菓はスマートフォンを取り出し、『今から帰ります』と一言送ってから、自転車を置いた方へと歩き出す。  そこへは来る時と同様、本屋を横切る必要がある。 「もう流石にいない、か」  先程片岡がいたところを覗くと、そこにはもう彼の姿は無かった。  一体彼は何を見ていたんだろうと遥菓がそこへ近づけば、あったのは文芸の文庫だ。若い人向けというよりは、どちらかというと二十代頃から読む人が多いだろう。  様々な表紙が並んでいて、中には何かで大賞を取って書籍化したものもある。しかしその中で何か目にとまるものは特段なく、片岡が何を見ていたのかは全く分からなかった。 「まぁ、いいか」  遥菓はその場を後にし、自転車置き場へ。そこでふと、そういえばと思う。 「もう別に苦しくないかも」  自分がここに来た理由は考え込み過ぎないようにする為だった。  今日見た夢、正社員、そんなことがぐるぐる頭の中で回り、深く悩んでしまいそうだったから。けれど今はもうスッキリしている。 (金崎さんと話すの、意外と楽しかったのかな)  空を仰げば、綺麗な青色が広がっている。少し夏よりも空が広く感じるのは秋と冬の間だからだろう。  人とあんなに気楽に話せたのは久しぶりな気がした。 (これでもし正社になったとしたら、こういう話をもっとちゃんと皆と話せたり出来るんだろうか)  事務の自分は最高三十分。それでも話せればいい方だが、やっぱりちゃんと心の声を聞くためには、もう少し時間を掛けて大切に話す方がいいと遥菓は思っている。  正社員として面談をすれば今よりも責任を負い、精神が削れる可能性があるからそれらを避けることになっている。  利用者の心の中にある闇の部分に触れることによってトラウマのように昔の自分の闇が再び溢れ出てきたら、確かに大変厄介だ。けれど今日金崎と話して、ストレスが溜まるどころか発散されたような気がする。 (この状態をキープ出来れば、正社を目指してもいいかもしれない)  そうすればもっと利用者の気持ちに心を傾けることが出来るし、他のスタッフの負担も減る。 「うんうん」  深く頷き、遥菓は自転車に跨がる。気持ちが浮上し、今なら何でも頑張れるような気がした。 (ありがと、金崎さん)  心の中でお礼を言い、行きの道を辿るように漕ぎ出す。帰り道は朝よりも車と人が多かったけれど、全く気にすることはなかった。 ――――が、所詮気持ちとは流れやすいものなのだと遥菓は思う。 「金崎さんの実習が決まりました」  数日後、会社の朝礼で片岡は言った。 「先方から金崎さんの見学の時の態度が良かったと好評でな、是非実習に来て欲しいとのことだとよ」 「おー、良かったですねぇ」 「元々金崎さんは何に対しても丁寧ですし、市役所で働くの向いてると思います」 「・・・・・・・・・・・・」  スタッフ三人が喜んでいる中で、遥菓は微妙な気持ちになる。  本当は一緒に喜べる筈なのに。 (ひどいな、私)  小さく唇を噛み締めながら周りに合せて笑う。  利用者は障害枠であってもちゃんと就職してここを出て行く。それがここ、就労移行支援として最高の形だ。後は定着出来るかも掛かってくるものの、まずは一段落である。  しかしどうだろう。 (私は、ずっとここに止まったままだ)  確かに就職はした。ここの事業所に。けれど自分はアルバイトの身。障害枠の正社員とは全く異なる。  それは給料の問題ではなく、将来を見据えた上でのことだ。  もしかしたら学校の先生が卒業生を見送るのもこんな気持ちなのかもしれないなんて、遥菓はひっそり思った。  良くない考えだって分かってる。嫉妬も交ざっていると理解している。それでも思ってしまうのだ。 ――――また置いて行かれた。  ここから進めないでいる自分に、何の価値があるのだろう。  こんな汚い気持ちで正社員になるのはいけないことだと考えてしまう。ここにいる全員が聖人君子なわけじゃないのに。 (ばかだなぁ、私は)  スタッフが話すなか、遠くから電車の音が聞こえる。  冷たい空気に、綺麗な牡丹雪。  目の前の背中を押して私が線路に落ちていくのを見ながら、今度は彼女からではなくて自分から手を伸ばす。 (私を置いて、ここから逃げるなんて許さない)  その言葉を小さく言って、飲み込んで。  人身事故とまだ流れていない電光掲示板を、レールの上で横になりながら遥菓は見ていた。
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