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鉄扉が開く重い音を聞いて僕は振り返った。
「やあ、君か。わざわざ呼び出して悪かったね」
扉の前に立つ人物が教師や警備員でなく彼だとわかると僕は笑顔を浮かべた。
どうやら彼は緊張しているらしい。強張った表情で一歩ずつ、まるで卒業式の花道を歩くがごとく不自然な動作でこちらに歩いてくる。
「えっ? どうして立ち入り禁止の屋上になんか呼び出したかって?」
僕に向かい合うように立った彼はそんな疑問を投げかけた。
彼の疑問ももっともだ。なにせ、我が校では屋上の利用は禁止されている。大人たちに見つかればタダじゃ済まないだろう。
だが、それに反して施錠は甘々だ。過去の生徒たちが破壊したと思しき鉄扉の鍵は修理されることなく今に至っている。だから屋上への出入りは自由なのだ。ただ、ベンチもなければ長年の雨風で地面のコンクリートも朽ちている屋上にわざわざくる人間がいるのかは甚だ疑問だが。こんなところに来るのは不良か僕のような目的を持った人間しかいないだろう。
「そんなの決まっているだろう。込み入った話をするからだよ。他人に聞かれるのはあまり望ましくないからね」
彼の強張った表情がさらに固くなる。 僕のオーラに気圧されたのか一歩身を引いた。いやぁ、まったく困ったもんだよ。いくら抑えようとしても王者の風格というのは滲み出てしまうんだから。
身を引く彼に僕は笑顔を崩さずに手招きをした。
「ほら、もっとこっちに来たまえ。もっとだ。際までおいで」
相手の緊張をほぐすために極力優しい口調になるように努めた。だが彼の眼鏡の奥に鎮座する瞳には警戒の色が浮かび上がる。
「ん? なんで屋上の端に呼びつけるのかって?」
彼の質問に僕は答えてやることにした。もちろん笑顔で。やはり相手の信頼を得るには一にも二にも笑顔だ。怖い顔をしている人に誰が心を許そうか。だから僕は表情だけは笑顔を浮かべる。表情だけは。
「そりゃあ、あれだよ君。ここから見える夕陽がとっても美しいからだよ。見てみたまえ。まるで燃えるような夕焼けを!」
少し緊張はほぐれただろうか。彼は僕の言う通り屋上の端までやってきた。黒ずんだ屋上の地面に細長い影が二つ並ぶ。
彼は僕の真横で立ち止まると沈みゆく夕焼けにじっと目を向けた。オレンジ色に彩られた横顔を見ながら僕は語りかける。
「な? 美しいだろ?」
こくん、と頷く彼に僕は本題を持ち出した。何も彼と夕焼けを眺めたいから屋上に呼び出したわけではないのだ。僕は彼と話さなければならないことがある。それは僕のアイデンティティにも関わる重要な話だ。
「ああ、そうだ」と僕はあくまでも自然に話を始める。「一位、おめでとう。まさかこの僕が首位の座を奪われることになるとは思いもしなかった」
僕が言うと、彼は少し照れくさそうに自分の結果についてへりくだった。その謙虚な姿勢が一位たる所以なのかな、と思った。だが、それならば僕が一位になっていないのはおかしな話だ。だって僕は彼よりも謙虚で真面目で、清廉潔白な人物なんだから。
けれどもこの場でそんなことは言わない。だって見苦しいじゃないか。まるで僕が彼を僻んでいるみたいで。
僕は口先だけで彼を讃える。そう口先だけで。大事なのはここじゃない。この後にあの計画が控えているのだ。
「いやいや、そんな謙遜するものではないよ。これは君の実力が勝ち取った結果だ。胸を張りたまえ。やはり一位たるもの堂々としていないとな」
僕は彼の背後に回ると両肩にぽん、と手を置いた。それはもう、勇気づけるように、ぽん、と。
視界には美しい夕焼けと彼の後ろ姿。
さて、計画を始めよう。僕が一位に復活するためのあの計画を。
「……だが、この僕がだ、二位に甘んじるというのは納得がいかないな」
背後から彼の耳元に顔を近づける。僕の息遣いに彼が背筋をぞくりとさせたのがわかった。彼の耳に向かってそっと囁く。
「僕はこれまでずっと一位だったんだ。それがぽっと出の君に抜かされた。あまり気分のいい話ではない」
自分でも驚くほど低い声が出た。
やはり僕はまだ未熟だ。優しい口調を努めていたはずが、思わず怖い声を出してしまうなんて。だけど、未熟でも今まで僕が一位だったんだ。「一位=僕」の図式が崩れるなんて許されない。
「ん? 一位になるために努力をした。それがこの結果だって? 言うじゃないか。王者たるこの僕に。ほう、もう王者じゃないって? ……そうかい。じゃあ、君に僕が王者だと分からせてあげないとねぇ」
頭だけで振り返った彼は、怯えきった顔をしていた。少しやりすぎたかもしれない。だって彼は驚くべき提案をしてきたのだから。
「え? 一位を譲るって? どうしたんだい、急に。そんなこと言わないでおくれ。僕は怒っているわけではないんだ。それに他人から恵んでもらった一位なんて何の意味もなさないということを理解してほしい。僕が欲しているのは実力に伴う結果だ。つまり、僕は僕の力で一位を奪還したいんだよ」
だから僕はこの計画を立てたんだ。ここまでは計画通りに進んでいる。人目につかないように屋上まで上がってきたし、彼にもそうするように伝えた。
それに時間だってみんなが下校した後であろう放課後を選んだんだ。
「わかってくれるかい?」
正面を向くように言ってから、また耳元で囁いた。それに彼が身動ぐ。
「ほら、そこを動かないで。一緒に夕焼けを眺めようじゃないか」
僕は優しく囁く。まるで恋愛ドラマの俳優がヒロインにするかのように、甘く優しく。
「……で、だ。僕は考えたよ。どうすれば僕が一位に復活できるかを。答えは存外すぐに出た。簡単なことだったんだよ。そう、とっても簡単なこと。二位を一位にしてしまえばいいんだ。そうすれば僕は再び一位に返り咲くことができる。……え? 何が言いたいんだって? 一位の君にはこれくらい察してもらわないと困るなぁ」
僕はがっしりと彼の両肩をつかんだ。そしてじりじりと屋上の先、虚空に向かって彼を押す。
「僕が言いたい事はね、君を──おい、暴れるんじゃないよ。大人しくここから落ちろ。ほら、じっとしてろってば! 一位の座は僕がもらう。これは僕の敗者復活戦だ!」
…………。
………………。
……………………。
揉み合いの末、やつは落ちていった。すぐさま地上から何かが地面に叩きつけられるような大きな音がした。俺は恐る恐る屋上の端から顔を出す。
視線のはるか先の地上でやつが倒れていた。手足を変な方向に曲げているその姿を見て、思わず笑みを浮かべた。
「……ああ、あれはもう助からないな。でも恨むんじゃないぞ。全部、お前が悪いんだ。自業自得というやつさ。一位はこの俺だ」
俺は満足げに眼鏡を中指で押し上げた。
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