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 三人が特処室に戻ると、みゆきと全身黒ずくめの男がこちらに背を向けて立っていた。一平の心臓は飛び出しそうになったが、隣の聡が「あ、ゲンだ」と言うのを聞いて安堵した。よく考えれば、あの天然パーマは鳴海だった。呼ばれた彼は、振り返って三人を認めるとにっこり笑った。  「おかえり」  次いでみゆきが振り返った。おかえりなさい、と言うと彼女は少し眉を下げた。   「向こうでマルさんたち見なかった?」  「いや、見てないっすね」  そう、と言うとみゆきは隣の鳴海を見上げた。その返答を聞いた鳴海は困ったような素振りを見せた。  「マルがいないと始めらんないんだけどなあ」  そう呟いた鳴海は、聡が抱える木箱を見つけた。おっ、と声を上げてそれを指さす。  「できたんだ、新しい…蜻蛉だっけか」「うん」「見せて見せて」  聡は箱を鳴海に手渡した。受け取った箱をテーブルの上に置き、蓋を開ける。そこに横たわっている蜻蛉を眺めて、鳴海は目を細めた。口元を微笑ませ、彼は満足そうに数度頷く。  「元気そうで何よりだよ」  鳴海には、この刀の造りを見ただけで三島が誰に気兼ねすることなく、自由に仕事をしていることが分かるのだった。  鳴海にとって三島を特殊班の人間として自身の手元に置いておけないことは、無念やるかたなくもあり、また「心配」でもあった。それ故に、彼と自身の希望両方を妥協することなく叶える方法を模索した鳴海は、彼の籍を普通班に戻した上で、自身の管轄の下彼の研究室を設置することに思い至った。佐々木に「許可を取る」行為をしたことには虫唾が走る思いがしたが、三島という人材には代えられなかった。  三島の居室でしていたように、ぶんぶん刀を振るってみせる聡を鳴海とみゆきが微笑ましく見ていると、扉が開いて燈馬が戻ってきた。いち早く鳴海を視界に捉えた彼の顔は、分かりやすく強張った。  班員たちのおかえりなさい、という声に目だけで応え、燈馬は真っ直ぐ鳴海の方へつかつかと歩み寄り、彼を見下ろした。  「ご用件は」  怖いなあ、と思ってもいないことを口にした鳴海に、それを分かっていた燈馬は表情を動かすことなく鋭い視線を向け続けた。  「先に、そっちの報告からしなよ」  燈馬が手にしていた数枚の書類に視線を落としながら鳴海は言った。燈馬はそれに答えることなく、報告書の最初のページを捲った。  「先日、特調と合同で行った現地調査ですが、迫田さんと一平が採取したエネルギー体は、やはりB-514含めデータベースにあるどの思念とも一致しなかったようで、U-514のものとみて間違いないそうです。加えて、U-514は有機思念である可能性が出てきました」「有機思念?」  これには、一平のみならず班員たちが一様に驚きの声を上げた。ただ、鳴海だけはいつもの整った笑みを少しも崩さず、燈馬の眉間に寄った皺を見つめて言葉の続きを待っていた。その視線のせいか、眉間にチリッとした痛みを感じた燈馬は一瞬言葉を詰まらせた。  「…検出された物質を見る限り…ほぼ全て炭水化物・脂質・蛋白質に分類できました。それ以外の組成も、水、炭素、窒素、酸素のようですから、有機思念であることには間違いないかと。今回分かったことは以上です」  「うわ、じゃあもう完全に動物型かヒト型のどっちかってことっすか。てかあんな見た目しといて有機思念とかマジウケるんですけど」  そう言う律の顔は微塵も笑ってはいなかった。むしろ苛立ちのようなものが浮かぶ彼の横顔を尻目に、みゆきが呟く。  「意思を持っている可能性を考えてたとはいえ…実際有機思念と言われるとスッと入ってこないっていうか…」  彼女の言葉に聡が頷いた。  「おれも。今までこんなの見たことないし、なんか、うーんって感じだよね」  この中で一番特公庁でのキャリアが長い聡の言う「今まで見たことがない」という言葉は重みが違った。いかにU-514が特異で得体の知れない、あらゆる点で未知数な存在― “Unknown”クラスの思念であるか、改めて彼らは思い知らされた。分かることが増えていくにつれ、ますます分からなくなっていくこの状況に、全員の心には少なからず焦りがあった。そのせいか、嫌でも脳裏に伊佐の最期が浮かび、それがまた焦燥感を煽るのだった。  「ま、とりあえず、分かったことが増えたんならいいんじゃない?進歩進歩」  この場の雰囲気にそぐわない軽い調子で言う鳴海に、全員の視線が向けられた。鳴海は抱えていたタブレット端末をおもむろに操作すると、蜻蛉の桐箱の隣にそっとそれを置いた。各々の立ち位置で燈馬の話を聴いていた班員たちは、その画面を見るために鳴海の近くに集まった。  「この辺、見てきてほしくてさ」  地図アプリのスクリーンショットのうち、一部分が赤いペンで丸く囲われていた。  「東京都…調布市?」  鳴海の意図が分からず、律が首を傾げる。聡は画面を覗く前に、右隣に立つ鳴海の横顔を見た。  「見てきてほしいって、第三地区の調査班か特調も一緒に来るってことだよね」  鳴海は聡を見上げて頷く。  「楊さんに許可は取ってあるから、この後暇なら行ってきてよ。楊さん、いつでもいいって言ってるし、早いに越したことはないからね」  ちゃっかりしていると言うべきか、用意周到と言うべきか、鳴海はあくまで東京支部には世話にならず自身の目的を達するため、既に外堀を埋めていたようである。彼の甘ったるいまでににこやかな視線を掻い潜り、燈馬は彼を睨んだ。  「ここに何かあるんですか」  鳴海は歯を見せて笑った。  「分かんないよ、そんなの。あるかどうかを調べてもらうために、マルたちにはここに行ってもらうんだから」  ふたりに挟まれるようにして立つみゆきが、左隣の鳴海を見上げる。  「どうして私たちも行くんでしょうか」  目的だけを聞けば、調査班だけで済みそうなものである。敢えて特処を送り込む理由が分からず、みゆきは問うた。鳴海は微笑んで頷くと、タブレットの画面に視線を落とした。  「みんな何となく察してるとは思うけど、僕が今このタイミングでこういうことを頼むってことは、U-514に関係してる可能性があるんだよ。文字通り調べるだけなら特調に任せてもいいけど、万が一のこと考えたら、みんなも行った方がいいでしょ?それに…」  そう言うと、鳴海は妙にゆっくり視線を燈馬に向けた。  「二度と犠牲者を出さないんだろ?」  その言葉に、燈馬の奥歯が音を立てた。  「…ええ、無論です」  燈馬の返答を聞くと、鳴海は微笑んで頷いた。そして彼はさらりと付け足した。  「この辺は西くんが強いと思うから、案内は彼にしてもらってね」  鳴海の言葉に全員の視線が一斉に一平に向けられる。彼は調布の話が出てから画面を凝視するばかりで、全く口を開いていなかった。  「…一平?」  声を落として訊く燈馬に返答せず、一平は鳴海に目を向けた。  「…了解しました」「うん」  鳴海は明るく言い、タブレットの電源を落とした。そのまま彼は再び燈馬に視線を向け、首を傾げて口角を上げた。  「地図は改めて送るから。後はよろしく」  そう言うと手をひらひらと振り、鳴海はブーツの踵をカツカツ鳴らして部屋を後にした。  鳴海が出て行った後の扉を瞬きせず見つめていた一平の胸は動悸し、抑えようと思ってもその唇は震えた。浅く上下する彼の肩を、いつの間にか背後に来ていた燈馬が後ろから押さえ、軽く叩く。  「無理はするな」  耳元で聞こえた燈馬の声に、ハッとして一平は振り向いた。彼は左右にぶれる目を必死に燈馬に合わせ、目を笑わせようとした。  「大丈夫です。…鳴海さんの仰る通り、あの辺の土地勘はあるので、自分が案内役をするのが最善かと」  目と眉を近づける燈馬の後ろに、自身を心配するように見る三人がぼんやりと映った。燈馬は一平の本心を探るように見つめていたが、頷いて言った。  「…そうか。だが、もし大丈夫じゃなくなったらすぐに言え。それがお前のためでも、組織のためでもある。…それと、『あのこと』に関しては俺と鳴海統括長しか知らない。お前さえよければ、この機会にあいつらにも話してくれないか」  一平は、燈馬の後ろの三人に焦点を合わせた。心配そうに顔を曇らせているが、彼らのその表情からは「如何なる内容であっても、きちんと聴いて受け止める」という意志が窺えた。聡が小さく頷いているのを見て、一平は燈馬に真っ直ぐ視線を向けた。  「はい、分かりました」  顔をしっかりと上げ、一平は四人に向き直った。
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