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 会議室で4人の男たちが互いに向き合って座っていた。大きな窓に掛かったブラインドはしっかりと下ろされ、外は晴天だというのに部屋の中はどんよりと暗かった。ただ一人を除いて、皆一様に眉間に皺を寄せて押し黙っているこの状態が、部屋を暗くするのにどうやら一役買っているようだった。  「それで」  上座に座る白石(しらいし)江太(こうた)が沈黙を破った。  「何も問題はないんだろうな」  その問いかけに、唯一にこにことしていた鳴海(なるみ)玄秀(げんしゅう)が大きく頷いた。  「勿論です。問題があると分かっているのなら、わざわざこうして皆さんを招集したりなんかしませんよ」  「お前はいちいち一言多い」答えた男の真向かいに座る佐々木(ささき)(ひろし)が小声で悪態を吐いた。嫌味を言われたことに気付いていないのか、鳴海は微笑みを湛えたまま上座の男から目を離さなかった。  「機動部隊としては、何も言うことはありません」  下座に座る上遠野(かどの)(さだむ)が低く、しかしはっきりとした口調で言った。俯きがちだった目をゆっくりと右に移す。  「それで組織の活動に支障が出ないのであれば、私からは何も。鳴海統括長に一任します」  鳴海は上座に向けていた微笑を下座に向けた。二人の目線が合うと、上遠野は眉間に皺を刻んだまま妙にゆっくりと頷いた。  「ありがとう、上遠野くん」鳴海はそう言いながら正面を向いた。「佐々木さんは、どうお考えでしょうかねえ」  佐々木は鳴海を一瞥し、苛立たしげにぴくりと唇の端を震わせた。  「…たとえ能力が高かろうと、組織について学ばせるためにも初めは普通班に入れるのが筋です。そしてそれが本人のためでもある」  佐々木はもはや鳴海の方など見ず、白石の方に身体を向けていた。  「第一、研修期間も経ずに処理班に…それも特殊処理班に入れるなんてあんまりですよ。紙面上で分かる彼の能力と面接での印象だけで、処理班員としての素養があるなんて判断するのは不可能であり無謀です。結局これはただの数合わせでしかない」佐々木は目だけを鳴海に向けた。「当人の気持ちなんて欠片も考えちゃいないんです。この采配には賛同しかねます」  「…だそうだ。鳴海」  目を閉じて話を聞いていた白石は、その目を開くことなく鳴海に佐々木の意見を流した。  「たとえ能力が高かろうと、組織について学ばせるためにも初めは普通班に入れるのが筋、これは全くその通りだと思いますよ。でもね」  そこまで言うと、鳴海は組んだ手を机上に置き、佐々木の方へと身をぐうっと乗り出した。  「全てそれが本人のためになるとは限らないんですよ。それにね」  組んだ手を解き、右人差し指を佐々木の目に向けた。決して大げさな身振りはしなかったが、その指から発される圧に思わず佐々木は一瞬目を細めた。  「紙面上で分かる彼の能力と面接での印象だけで、処理班員としての素養があると判断するのは、不可能だ」  見開いた目をすうっと細めて、鳴海は小声で付け足す。  「僕には可能なんだよ」  佐々木は努めて感情を表に出さないようにしたが、その奥歯が一瞬ギチっとくぐもった音を立てたのを鳴海は聞き逃さなかった。そして視線をあえて佐々木から逸らし、白石に向けた。  「数合わせの意図があることも認めましょう。ですが僕は、彼には処理班員としての類稀なる能力があると確信しています。そして当人の気持ちを欠片も考えちゃいない、と言うのであれば、その『当人』に最終的に決めてもらえば何ら問題はないですよね?」  板に水を流すように話した鳴海は、何も言わない佐々木にもう一度視線を戻した。  「ねえ、佐々木統括長」  佐々木は黙ったまま、貼り付けたような笑みを浮かべている鳴海の目を睨んだ。  「…白石長官に一任します。私の意見は変わりません」  それを聞いた鳴海はつまらなさそうに口を尖らして白石を上目遣いで見た。白石はまだ目を閉じていたが、眉間の影は濃くなっていた。  「ったく、この程度のことはお前たちで勝手に決めてくれよ」  「そうはいきません。特殊班に関わる人事は統括部の承認が必要だと規定されてますから」  上遠野が神妙な面持ちで向かいの白石を見据えた。  「こないだほどの大規模な人事ならまだしも、たった一人の新人を特殊班に入れるかどうかってだけの話だろ」  忌々しげに呟く白石を上遠野がたしなめる。  「過去に前例を見ない人事ですからね、あの時とは違う意味で重要なんですよ」  長い溜め息を吐き、白石はやっと目を開いた。灰色をした二つの瞳孔を鳴海に向ける。  「結局は特殊班の話だ、お前が何とかしろ鳴海」  「承知しました」  鳴海が微笑んで会釈した時にはもう、白石は立ち上がって彼の後ろを通り過ぎていた。それを見た上遠野がほぼ反射的に立ち上がり、その背中に敬礼した。  会議室の重い扉が閉まる音を聞きながら、鳴海は上機嫌に微笑んで身を乗り出し、佐々木の肩をぽんぽんと叩いた。  「正式に人事を決める前に、西(にし)くんにはちゃんと話しておきますから。彼が断わったら、研修官として普通班で預かってもらえます?」  「言われなくてもそうする」  佐々木は鳴海の手を振り払う手間すら惜しんで、そのまま立ち上がるとさっさと部屋を出て行った。  「全く、つれないねえ佐々木さんは」  鳴海は背もたれにどっかりと寄りかかると、椅子ごとくるりと上遠野の方に向いた。上遠野はわずかに口角を上げ、鳴海を見下ろした。  「今回はいつにも増してがっついてましたね、鳴海さん」  「まあねえ、譲れなかったからさ」  身体を上遠野に向けたまま、鳴海は足を組んで頬杖をついた。  「そんなにその西って男は優秀なんですか」  「そりゃあもう、逸材だよ。普通班に置いとくなんてもったいない」  上遠野はしばらく考え、口を開いた。  「佐々木さんのもとに置いておきたくない、のではなく?」  この言葉に、鳴海は一瞬にして表情から温度を消した。恐ろしいほどに何も感じられないその表情を上遠野に向ける。上遠野は少しも動じることなく、鳴海の目を見て返答を待った。それを確かめると、鳴海は大口を開けて笑った。  「見てるねえ、さすがだねえ、上遠野くんは」  何がそんなに可笑しいのか、と思いつつも上遠野は微笑んで首を振り、謙遜した。  「もし西くんが断ったら、機動部隊にねじ込むつもりだからよろしくね」  そう言って立ち上がり、鳴海はすれ違いざまに上遠野の肩に手を置いた。  「勘弁してください、そしたら私まで佐々木さんに目つけられますから」  ごめんごめん、と鳴海はまた笑い、ひらひらと手を振って会議室を出た。それを確認すると、上遠野の両肩にどっと疲れが押し寄せてきた。思わず溜め息を吐いてしまう。疲れを振り払うようにぶんぶんと首を振り、大きく息を吸い込んで、短く一気に吐いた。上遠野は腕時計をちらりと見ると、早足に会議室を後にした。  
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