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 いつ来てもごちゃごちゃな作業部屋は、精密機器らしきものが大量にあるのにも関わらずそのどれもが雑に配置されているようにしか見えない。三畳ほどの部屋の天井に一つ取り付けられた白熱電球も、機材に阻まれてその光は足元まで届いていなかった。そんな部屋に成人男性が三人も入るとなると、相当に窮屈だった。特に190㎝もある聡は、かなり辛そうな姿勢をして縮こまっていた。  機材やら工具やらの間をするすると抜けていき、律は奥にある大きな作業台を指して、一平を先に行かせた。  「やっとできたよ、その名も『晩襲(ばんしゅう)・改』」  台の上には、艶やかに輝くナックルがケースの中に安置されていた。  「わっ、ありがとうございます。手に取っていいですか」  振り返る一平の目は、机上の照明のせいか心なしかきらきらしているように見えた。  「もちろん。一平のだもん」  玉虫色にラッカー塗装されたナックルは、その形状に沿ってマゼンタのような色からゴールド、グリーンへと色調を変えている。一平はナックルを右手に嵌めて、その手を開閉させたり腕を振ってみたりした。  「どお」  ナックルを握りしめて腕を振っていた一平が、少し首を傾げた。  「気のせいかもしれませんけど…ちょっと重くなりましたか」  それを聞いた律が、これでもかと目を丸くさせた。  「よく分かったね。ちょっとっていうか、たぶん十グラムくらいしか変わってないと思うんだけど」「そりゃすごいや」  感嘆の声を上げるふたりに、一平は首を振る。  「いや、持った感じは全く分からないですけど、振り下ろしたときになんかこう、引っ張られる強さが若干違う気がして」  はえー、と律は感心した。  「俺、たぶん翼宿(たすきぼし)が十グラム変わったくらいじゃ気付かないな」  翼宿とは彼が愛用する二挺で一組の金槌の名称である。律は濃紺のチノパンに特製のハンマーホルダーを装着し、一本ずつ左右に入れていつも持ち歩いていた。持ってみてもいいか尋ねた聡に一平がナックルを渡すのを見た律は、突っ込むように声を上げた。  「あ、軟らかいんで気をつけてくださいよ!」「固いよ」  きょとんとしてナックルを爪で弾く聡に、律は頭を振った。  「俺が言ってるのはくるまへんの方の硬さです。炭素を前のものより減らしてるんで硬度が低くなってるんです。まあ、その分丈夫さは少し増してるんですけど」  「硬くないのに丈夫?難しいこと言うなあ」  ナックルを傾けて色が変わるのを楽しみながら、聡は首を傾げた。一平が聡に持たれるナックルから律に視線を移した。  「炭素を減らしたってことは、やっぱりああなった主な原因は炭化でしたか」  うん、と律は頷き、作業台の隅に立てかけられている分厚い本の間に挟まった報告書を取り出した。以前、向田から受け取ったものだ。数枚ページを捲り、表が並んだところを指さす。  「榎本さんの血液、体液、インシデントS-728で見られたものと同様の成分。その他繊維片とか諸々のものを差し引いて残ったものが玉鋼の成分。その玉鋼自体に含まれた炭素とは別に、大量の炭も検出されたみたいだったからね」  「ならその原因の炭素を減らせばいい、と」  そ、と言って律は聡からナックルを受け取る。  「でも炭素減らしすぎると玉鋼としての質が下がっちゃうから、絶妙に減らして表面をフッ素樹脂コーティングしてみた」「なるほど、耐熱性を上げたわけですか」  ふたりの話に全くついていけない聡は、むすっとして律の耳をくいくい引っ張った。  「ねえ、そういえばおれの蜻蛉(とんぼ)はまだなの」  彼に耳を引かれたまま、思い出したかのように律は手を叩いた。  「あ、そうだ。そっちも出来てるんだった。一平も来る?」「はい、ぜひ」  一平は頷いた。過去資料の見直しは後からでもできる。一平の返事を聞いた律は嬉しそうに笑った。  「普通班にカチコミに行くのに、同行者は多いに越したことはないからね」  今度は律がふたりの背中を押した。聡と一平はあたふたした声を上げ、熱された鉄板の上を歩くような恰好で周囲や足元の機材を避けながら部屋を出た。  騒がしい様子で出てきた三人を見たみゆきが、パソコン画面から上げた顔を怪訝そうに歪めた。彼女の横を聡と一平の背中を押す律が通り過ぎた。燈馬からの伝言を思い出した彼は、千切れる勢いで首を捻じった。  「あ、もしマルさんを訪ねてきた人が居たら、迫田副班長と特研に行ったって伝えといてください!俺たちは三島んとこ行ってきます!」  そう言うと、律はみゆきが口を開く前に開いた扉の向こう側へ行ってしまった。  「…まったく」  そう言いつつも、みゆきは楽しそうに笑う律を見て内心安堵に近い喜びを感じているのだった。
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