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 白い紙皿にちまっと乗った、「生き残った」カルボナーラを大事そうに食べている聡を横目に、みゆきは自身が戻ってくるまでの一連の話を一平から聴いていた。「カルボナーラ事件」についてはほとんど関心を示さなかったが、一平の実地演習については彼女も思うところがあったようだった。  「気にしすぎることはないけど…まあとはいえ気にしないことはできないものね」  一平は黙って頷く。「私も初めはそうだったし」  「でも、いつまでもそんなこと言ってらんないよ」  律は微笑みながらも、きつく言い放った。みゆきがあからさまに怪訝な顔をして律を見たが、そんなみゆきを彼は手で制した。  「精神論じゃなくて、現実的に言ってる時間がないってことですよ」  そう言うと、律は部屋の壁掛けモニターの上部に設置された、赤いランプを指さした。直後、そのランプがサイレンとともに激しく点滅した。  『東京第三地区から通報、東京第三地区から通報。ポイント3-31付近で巡回中の職員がヒト型思念と思われる実体を確認。クラスはAからUと推定される。繰り返す、クラスはAからUと推定される。東部機動隊ト及び特殊処理班は直ちに現場に急行せよ。繰り返す、東部機動隊ト及び特殊処理班は直ちに現場に急行せよ』  クラスが読み上げられた瞬間、空気が一気に変わるのを一平は肌で感じた。自身も心臓が浮き上がる感覚を覚えたが、それとは異なる、もっと大きな規模での空気の緊張、まとまりとも取れるものだった。  放送が終わるより前に、全員が立ち上がっていた。新人である一平も、配属当初から切り替えの早さだけは一人前だと評価されていた。他の班員に劣らぬ速さで反応した一平含め、皆真剣な表情を班長である燈馬に向けている。彼が各員に指示を出し始めてなお、放送は流れている。それに潰されることなく、またそれを潰すことなく燈馬は分担を言い渡していった。  「聡さんは車両の手配、みゆきは本部連絡班と機動隊長双方と通信を繋げてくれ」  「うん」「分かりました」燈馬の指示にふたりは頷き、また互いを見合うと走って部屋をあとにした。  それを見届けることなく、燈馬は指示を続ける。  「律は予備の武具と弾薬を用意、一平は応急処置一式を用意し次第律と合流しろ」  「了解」「了解です」  律は一平と目を合わせ頷く。一平もそれに応え、彼の後について部屋を出ようとする。  「一平!」  不意に呼び止められ、一平は首をひねるようにして振り向いた。  「応急処置は…」「Uクラス対応のものを機動隊分も、ですよね」  一平のはっきりした口調に、燈馬は大きく頷いた。「頼んだぞ」「はい!」  律を追う一平の背中を見届けると、燈馬は腰についたホルスターから拳銃を取り出し、不具合がないかを確認した。異常なしと見ると、駆け足で部屋を出る。  「おっと」  扉が開いた瞬間、目の前に立っていた鳴海が特に驚いた様子もなく声を出した。衝突しかけた燈馬は、思わず舌打ちをした。それを聞くと鳴海は声を上げて笑う。  「何かご用でしょうか」  苛立ちを隠さず燈馬が鳴海を見下ろす。  「いや、今回なかなかの厄介者らしいから頑張ってねー、って言いに来ただけだよ」  「わざわざどうも。生憎班員はもう全員出払ってますがね」  失礼します、と言うと、燈馬は手を後ろで組んだまま動こうとしない鳴海の横を、身をよじるように抜けていった。その後ろ姿に、鳴海は声を張った。  「西くんの初陣だろう」  それを聞いた燈馬は立ち止まった。  「期待してるよ、班長」  燈馬は少しだけ後ろに顔をやって、鳴海の微笑を一瞥した。  「期待は一平にしてやってください。…あなたの責任の下で」  それだけ言うと、燈馬は階段へ駆けて行った。  階段を駆け下りる音を聞きながら、鳴海はにこにこ笑った。そのまま、よく磨かれた黒いブーツに視線を落とす。  「僕の責任の下で、ね」  呟くと、鳴海は再び顔を上げ、燈馬の残り香のある方を向いた。  「許してもらうにはまだ早いか」  その顔には、笑みの欠片も残っていなかった。
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