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 律を先頭に研究班棟へ向かった一行は、一階にある研究室を通り過ぎていき、ついに研究班棟の端まで来てしまった。  「どこまで行くの」  「もう着きましたよ」  言いたくても言いにくい一平の気持ちを代弁したかのような聡に、律は振り向くことなく言った。彼は突き当りの奥まったところにある、研究班棟にしては随分古い造りの分厚い扉のドアノブを捻った。扉は甲高い音を立てて軋みながら開いた。  開かれた扉の向こう側は、あの三畳間が広くなったような状態だった。異なる点があるとすれば、置かれた大型の機械がほとんどすべて起動していて、騒音に近い音を立てていることだろう。律が両耳を塞ぎながら叫ぶ。  「三島あ!」  一平も聡も、ものすごい形相で耳を押さえていた。このうるささにもかかわらず外には全く聞こえていなかったことを考えると、古く見えても防音に関しては完璧な造りになっているようだ。  あまりの音に、奥へ進む足取りも重くなる。なおも三島の名を叫びながら進む律の後ろにふたりはぴったりくっついた。少しでも離れたらはぐれてしまいそうに感じるのは、このけたたましい音とジャングルの木々のように立ち並ぶ機械のせいなのだろうか。奥に行くと、ワインのステンレスタンクのような機械を弄っている一人の男の姿が見えた。律はヘッドホンをしたその男の肩を叩いた。男は特に驚いた様子もなく、ゆっくり横を向き律を認めると何かを呟いた。すると彼は操作していた機械から離れ、部屋の最奥にある扉へ向かいはじめた。律が後ろを振り返り、身振りでふたりについてくるように言った。  扉の向こうに広がる小部屋には、最小限のキッチン設備があり、簡素なテーブルと二脚のパイプ椅子、使い古されたソファーベッドがそれぞれ壁際に寄せるように配置されていた。男が扉を閉めると、耐え難い爆音は嘘のように消え去った。  「部屋の入口に来客用のヘッドホン置いとけって、何度言ったらやってくれるんだよ」  押さえつけすぎてじんじん痛む耳を擦りながら律が口を尖らした。薄汚れた白い作業服に身を包んだ男の肩には「三島」と刺繍されていた。三島は律には目もくれず、ぼんやりした顔を律の後ろで死んだような目をしている聡と一平に向けた。  「あれ…執行さん。かなり回復されたようですね、よかった」  聡はぎこちない笑顔を三島に向ける。  「おう、おかげさまで」  三島は丸眼鏡を少し下げ、隣の一平を見た。  「君は…君が噂の西くんかな」  「はい、今年入庁しました、特殊処理班研修員の西一平です」  そう言って頭を下げる一平に、三島は寝癖をそのままにしたような髪を触りながら、片手で職員証を取り出して一平に見せた。  「俺は三島憂作(ゆうさく)、本部普通研究班、三島研究室室長…って言っても、俺しかいないんだけど。…で、そこの金髪と同じ二等官」  そこの金髪です、と律はおどけて頭を下げた。そんな彼に重い視線を向け、三島は薄く乾いた唇を開いた。  「で、何の用」  「蜻蛉、取りに来た」  律が真っ赤な唇をV字に曲げる。ああ、と三島は頭を掻いて、一歩一歩妙に足を引きずるようにして桐ダンスの方へ向かった。彼はしゃがんで、そこの最下段の鍵を開けた。中から細長い木箱を取り出し、テーブルの上にそっと置いた。  「一応、箱も変えた。注文通り、組成、寸法は前回と全部一緒」  箱には筆で書かれたような文字で「蜻蛉 参号」と記されていた。三島を見る聡は、嬉しさを隠しきれない様子で笑っていた。  「開けていい?」「どうぞ」  尋ねた聡に、三島は頭を重そうに揺らして頷いた。一平も聡の少し後ろから、彼の手元を覗いた。箱の上蓋をそっと開けた中から、艶めく濃紺の鞘に納められた刀が出てきた。鍔に近い部分に、特殊処理班の班章が彫り込まれており、そのうち中央の細長いひし形の部分は金箔で彩られていた。聡は鞘を左手で掴み、それよりも微妙に色味の異なる柄巻が巻かれた柄を右手で握った。そして鞘を抜き、左手で鞘の重さを、右手で刀の重さを量るようにそれぞれ振り、しっくりきているのか満足そうに頷いた。そんな聡の様子を見ながら、パイプ椅子に座った三島が口を開く。  「造りは打刀、刃長は96cm。反りはなるべく抑えて、身幅を太めに、元重(もとがさね)先重(さきがさね)も標準より太めに、それぞれ0.8cm・0.6cmにして蛤刃になるようにしてる。重さも800gはいかないように気を付けたけど…それに関しては量ってないから分かんない」  彼の目線を見る限り一平に説明をしているようなのだが、当の本人はさっぱり分かっていなかった。そんな一平の様子を見て、三島が頬杖をついた手の上の顔を傾けた。頬に照明が当たり、目の下のそばかすとクマが目立った。  「簡単に言えば…普通のよくある刀より、太くて真っ直ぐで重みがあって、なんかもう…俺から言わせれば棒みたいな」「ああ…なるほど」  要するに聡の体格や好みに合うように造られている、ということらしかった。聡の持つ刀を観察する一平に、横から入ってきた律が解説を加えてきた。  「造りそのものについては俺はほぼノータッチだけど、デザインにはこだわったんだよ。濃紺は処理班の指定色だし、柄巻のこの色は二重緑(ふたえみどり)って言って、男子職員の階級章の色と同じものだし」  一平は自身の襟についた三等官の階級章と柄巻を見比べた。確かに同じ色に見える。律は得意気に続ける。  「頭金の模様と鍔の地の模様の図案は、何なら俺が描いたし」  三島が閉じた唇から平べったく息を吐いた。  「それを形にするのが難しいっていうのにさ」  彼らの会話を聞いているのかいないのか、聡は飽きずに刀を振っている。一平は、三島に尋ねた。  「日本刀って、かなり特殊な製法で作られると思うんですけど、それを全部ここでやってるんですか」  「そうだよ」  あっさり答える三島に、一平は驚嘆を隠せなかった。  「まあ、本当に職人さんが造るような工程は踏んでないけどね。なるべく再現できて、かつ全て屋内設備でコンパクトにできるような機材を使ってる」  「こいつのやばいところは、その『機材』すら自分で作っちゃうところ」  ゲテモノでも見るような目を三島に向ける律に、一平の視線が瞬間的に移動する。  「機械ごと作っちゃうんですか、すごいですね」  三島が頭を掻く。  「うーん…まあ、自分でいろいろ調整できるの便利だし、好きでやってることだし…これでお給料もらってるようなもんだし」  もう満足したのか、刀を鞘に戻した聡が三島を見下ろした。  「そのために三島くんは普通班に戻ったんでしょ」「あ、そうなの」  初耳の反応を見せた律に、三島は呆れを露わにさせた。  「お前、俺が普通班に戻ったってことすら知らなかったんだもんね。執行さんの言う通り、俺はやりたいことをやるために特研から抜けたんだよ」  「よく鳴海さんに止められなかったね。お前のこと高く買ってたのに」  にやりと笑う律に、三島は首を振った。  「いや、かなり嫌な顔はされたよ。顔された、って言うか、もうそのまま嫌だって言われた」「だろうね」  刀を箱に戻す聡を見た三島は、彼に箱の中に砥石があることを伝えた。そのために浮かした腰をまた椅子に沈めて、彼は律に視線を戻した。  「でもさ、今の特研って正直つまんないんだよ。俺にとってはね。S-728もそうだけど、長年解明されてきてないSクラスの研究をずーっとしてるばっかで。必要なことだってのは俺も分かってるけどさ、やっぱり俺は何か作っててなんぼの人間なの。組織に必要なものを作るのが俺の仕事だし、俺が特公庁にいる理由だと思うから」  特処の三人は、彼を見て話を真面目に聴いていた。ある意味では、彼も研究者肌なのかもしれない。髪型や服装は雑然としているが、汚れ一つない丸眼鏡やその中で繊細に動く目、綺麗に整えられた爪先には几帳面さとも言えるものが表れている。  彼の表情を見た律はフッと笑った。  「そう言ったわけだ、鳴海さんに」  「そう。まあ、快くってわけにはいかなかったけど…あの人、話せば分かるから。この研究室設置してくれたのも、鳴海統括長だし」  桐箱を抱えた聡が頷く。  「やるならとことんやれって思ってる、って言ってたよ」  「そうでしたか。ありがたい話です」  三島は気怠げに微笑んではいるが、心底感謝しているのだろうと一平は思った。彼の才能と実績があってこそではあろうが、自分の能力をのびのびと発揮できる環境を用意してもらえることは代えがたい喜びである。歩き方といい話し方といい表情のつくり方といい、どことなく重苦しそうなのは彼の性格からくるものなのかもしれない。  「じゃ、用は済んだし俺たちは帰るわ。また何かあったら頼むよ」「ああ、うん」  律は三島に手を振って、扉の方へ向いた。聡も再度感謝を述べ、にこにこで彼に手を振る。頭を下げる一平には、三島も頭を下げ返してにやりと笑った。  ドアノブに手をかけた律に、ふわっと目を開いた三島が声を上げた。  「あ、おい…」  彼の忠告が発される前に、扉が開く。向こう側から建物を崩さんばかりに鳴り響く轟音が、全員の身体に打ちつけた。両耳を塞いで何やら三島に叫んでいる律に、彼は早く閉めろと身振りで示した。そんな彼に未だ何か言う律の背中を押し、聡と一平は部屋を後にした。
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