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 一平は四人に座るように勧め、最後に着席した。彼は一息置くと、やおら口を開いた。  「鳴海統括長が調査を依頼されたあの場所は、自分の実家がある地域で、高校卒業まで住んでいました」  「あー、だからこの辺に強いって言ってたのか」  口を挟んだ律をみゆきが睨みつけたが、一平は気にするような素振りを見せず頷いた。  「はい。高校も市内にある所に通っていたので、土地勘は十分あるかと思います」  そう言うと、一平は口をつぐんだ。そんな彼の次の言葉を、燈馬と聡は見守るようにして待った。感情のままに言葉を吐かないよう、一平は頭の中で話す内容を整理して言葉を繋げていった。  「自分には二つ下の妹がいるんですが、自分が高校二年の夏に…行方不明になりました」  それを聞いたみゆきの表情が曇る。いつになくじっくりと、声の調子を下げて話す一平に、全員が注意深く耳を傾けていた。  「文化祭の準備の帰りに、学校を出てから足取りが分からなくなったようで…親から何度も電話がかかってきていたんですが、そのとき自分は部活の練習中だったので、夜になるまで気付かなかったんです。不在着信に気付いて、かけ直したときには…親は酷く動転している様子で、もう何を言っているのか分からないほどでした。辛うじて聞き取れたのは、行方不明者届を提出したということと…自分が責められているということでした」  は、と律が片方の眉を上げる。  「一平が責められたってこと?」「…はい、『あんたがすぐに電話に出て捜してくれていれば、見つかったかもしれないのに』と」  律の赤い唇が大きく歪んだ。  「すごいこと言うな。練習中ならすぐには気付けないって分かんないの?」  「混乱してたんでしょう、そのせいで言っちゃったのよ、きっと。悪気はないはずよ」  即座にフォローを入れたみゆきに、律はふんと鼻を鳴らした。  「人間、そういうときこそ本音が出るんですよ。一平の親は本気で一平を責めてたんです」  父が、母が、と言わずに「親」と言う一平に、律は自身と同じものを見た。故に彼の断定的な言い方には、それなりの根拠があったのだった。それを何となく感じ取ったのか、みゆきは眉間に皺を寄せるだけで何も言い返すことはなかった。  「…それで自分は、必死になって雙波(ふたば)を…妹を捜しました。毎日、毎日、あいつが行きそうなところを片っ端から当たりました。情報は警察に訊いてもろくに教えてくれませんから、地元情報誌や新聞を毎日読み漁って、全部頭に突っ込んで、それでまた捜して…その繰り返しでした」  「頭に突っ込む」という表現に、燈馬の耳がひくりと動いた。  「待て、もしかしてお前が資料を覚えるときのあのやり方は…」  はい、と一平は頷いた。  「やり方そのものは高一のときからのものですが…今くらいの速さでできるようになったきっかけは、妹の行方が分からなくなってからです」  なんと言葉をかけたらよいか分からず、燈馬は苦い顔をして息を吐くことしかできなかった。  「でも、妹は見つかりませんでした。妹のことを書く記事は目に見えて減っていき、警察の捜査も規模はだんだん小さくなり、探偵を雇っても、分かってること以上の手がかりは掴めず、一年が過ぎました。親は完全に精神的に参ってしまって、自分も…気を失う頻度が増えました。…もう、限界でした」  一平は両肘をテーブルに突き、両手でぐらぐらする頭を押さえた。  「捜す気力が無くなったわけじゃありません。たった一年と少しで、あいつのことを諦めるなんてできません。…でも、精神と身体が持たなかった。親は暴言を吐き、自分に暴力をふるってきたかと思うと、急に泣いて謝りだしての繰り返し。自分も学校と部活と妹を探す毎日で、ろくに睡眠も食事もとれてなかったみたいで」  「…だが、お前はそんな状況に置かれていたにもかかわらず、現役で大学に合格した。よく…死ななかったな」  燈馬は極端な言葉を使ったが、誰もそれに関して物を言うことはしなかった。死んでも全くおかしくない状況であることは、この場の誰もが理解していた。  この燈馬の言葉に、一平は何も返答しなかった。彼は黙ったまま、両手に抱えられた頭を俯かせ、肩で呼吸をしていた。心配になったみゆきが声を掛けようと口を開きかけたとき、唸るような声で一平が呟いた。  「…自分は、逃げたんです」  一平の脳内では、まるで大きなシンギングボウルが延々とその身体を鳴らしているかのように、重く低い耳鳴りが響いていた。ずっと仕舞い込んでいた感情が、自身が放った言葉をきっかけにして堰を壊そうと溢れてきているのが分かった。感情が、記憶が声となり、意志を持ち、ここから早く出せと一平の頭蓋骨を内側から激しく叩いている。  しかし、今の一平には「彼ら」を黙らせる強さとも言うべき冷酷さがあった。自分がすべて悪い。あのとき、親に言われた通り、すぐに連絡に気付いて雙波を捜していれば、こんなことにはならなかった。「彼ら」が求めているのは頭の中からの脱出ではない。「お前は何も悪くない」「お前はよくやったではないか」という承認と受容を含んだ優しい虚構だった。そんな弱い「彼ら」の腕を叩き斬る程度の強さなら、一平は既に手にしていた。  「もう、あの時から時間が進んでいないこの家から、喚くだけで自分から動こうとしない親から、…雙波から、逃げたんです。逃げるために、自分は離れたところにある大学を受験をして、家を出ました」  一平は頭を押さえた両手を引きずるようにして、短い前髪を掻き上げた。  「逃げるためなら、奨学金だって借りられるものは借りて、給付してもらえるものはもらって、成績を落とさないようにしながら、稼ぐために週六でバイトもしました。親も『あんたの顔を見なくていいならそれでいい』と言った手前、出すものは出してくれました。…やってることは高校時代と変わらないようなもんですから、辛くなかったと言えば嘘になりますが、それでも…あそこにいるよりは、何百倍も楽だった…」  喉を鳴らして呼吸をする一平の肩を抱き寄せるようにして、聡が掴んで揺さぶった。そんな彼の脳裏をいつだか武道場でした一平との会話が過った。あのとき話を聴く一平には、自身の伝えたいことが伝わっているという確信があった。それを思い出した彼は、一平にだけ聞こえるように、低い声で呟いた。  「一平は逃げてなんかおらん。…わいは強か男じゃ」  一平は鼻をすすって、首を縦とも横ともつかない方向に揺らした。みゆきは、自分の両の手では到底量れない彼の苦しみを思い、律は自身の「親」に対する義憤と一平の親に対するそれとを重ねていた。ただ一人、燈馬だけは違うことに思いを巡らせて、目を組んだ腕に向けていた。
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