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 「一平、これ背負える?」「はい、いけます!」  特処室の隣にある狭苦しい備品庫は、班員が三人も入るとかなり身動きがとりにくくなる。応急処置一式を抱え込もうとする一平に、律は半ば叫ぶように声をかけた。律は一般のものより刀身の長い日本刀を一刀と、ボウガンを一台、一平に背負わせた。しっかり肩を通ったことを確認し、改めて一平は応急処置一式を持ち上げた。  「通るよ!」その後ろを、班員分の通信機器を持ったみゆきが駆け抜けていく。それを見送ってから、律は一平を追い越して開いたままの扉を抑えた。「気をつけて」「ありがとうございます」  一番身重な一平が扉を抜けたのを確認すると、律が勢いよく扉を閉め、オートロックの音を確認した。  「先行くよ!」  律も相当な重さのものを持っているが、そんな素振りは少しも見せずに飛ぶように階段を駆け下りて行った。一平はエレベーターの下ボタンを押し、すぐに開いた扉の中に飛び込んだ。1階のボタンを押し、閉ボタンを連打する。急いでいるときは、エレベーターの一挙手一投足がやたらとのんびりしているように感じられた。  1階に着くと、玄関口は騒然としていた。本部待機だった機動部隊トの一部の隊員たちが、専用の車両に飛び乗っているところだった。入口にビッタリ車両を付けた聡が、運転席から降りて律の武具搬入を手伝っている。通信機器を耳に突っ込み、みゆきは大声で連絡班と話しているようだった。燈馬は、たまたま通りかかった特殊調査班の職員一人と、放送を聞いて駆けつけた医療班の数名と話していた。  「こっちも一応、『盗み聞き』させてもらうけど、いい?」  「もちろんです。必要と判断したら本部に訊くまでもなく応援要請させていただきますよ」  壮年の、穏やかな表情が印象的な特調(とくちょう)職員は笑った。  「うん、すぐ行く。頑張って」  会釈する燈馬の肩を優しく叩き、彼は邪魔にならないよう足早に玄関ホールを去って行った。  「円山班長、医療班はいつでも出動できます」  白衣に身を包んだ医療班の担当職員が入れ替わりでやってきた。  「ああ、石川(いしかわ)先生。ありがとうございます。とりあえず、最悪の事態が起こる前提で準備をお願いします」  石川は力強く頷く。振り向いた燈馬は、大荷物を持った一平を認めると、駆け寄って荷物を預かった。  「すみません、ありがとうございます」  おう、と返事をすると、燈馬は背中を向け車両へ走った。かなり身軽になった一平も、その後を追う。バケツリレーの容量で物資を車両に詰め込むと、そのままふたりは後部座席に乗り込んだ。スライドドアが閉まったことを確認すると、聡はアクセルを踏み、車両が勢いよく発進した。  助手席のみゆきが、準備が整った通信機器を班員に配った。イヤホンを耳に突っ込むと、連絡班の人間が話していた。  『…ですので、特処は…あ、全員と繋がりましたか、ありがとうございます。改めて、担当連絡員の霧島(きりしま)です、よろしくお願いします。皆さん、聞こえていますでしょうか』  イヤホン越しに、聞き取りやすい中低音域の声が聞こえてきた。  「こちら特処01(ゼロイチ)円山だ。聞こえている」「特処02(ゼロニ)執行、聞こえてるよ」「特処03(ゼロサン)渡辺、聞こえています。引き続き通信を担当します」『特処03了解』「特処04(ゼロヨン)七星、聞こえてます」「特処05(ゼロゴ)西です、聞こえています」『了解、全班員との接続を確認しました。…特処05、』  名指しされた一平は反射的にイヤホンを耳に押し込んだ。「はい、特処05です」  『今日が初めての出動だと鳴海統括長から伺っています。緊張しすぎず、肩の力を抜いてください。特処の皆さんも、機動部隊の皆さんもいらっしゃいますし、私もいます。安心して周りを頼ってください。それも強さのうちです』  霧島の淡々とした、しかし思いのこもった声掛けに、一平の心臓の鼓動は幾分か穏やかになった。全員の視線が、一平に向けられていた。バックミラー越しに、聡もウィンクして笑った。  「…ありがとうございます。全力を尽くします」  隣に座っていた律が、腕を回して一平の肩を掴み、軽く揺さぶった。ちらりと律を窺うと、彼は真っ白な歯を見せて笑っていた。その時、イヤホンからノイズがしたかと思うと、大きなだみ声が聞こえてきた。  『こちらト01伊佐(いさ)だ。特処総員、聞こえてるか』  聞こえています、と同じく全員が確認をとる。  『了解。おい、西、さっき霧島が言ってたことだがな、その通りだぞ。特にお前さんは特殊な新人だからな、何かあったら誰にでもいい、すぐ言え。迷ってる間に犠牲が出るとも限らんからな』  「心得ました。ありがとうございます」  『…ったく、鳴海も無茶言うよな。全く同情するよ』ノイズが大きかったが、確かに伊佐がそう呟くのが聞こえた。  「伊佐隊長、聞こえてますよ」  燈馬の指摘に、伊佐は大声で笑った。その声量に、全員が一様に顔をしかめる。  『すまんな!鳴海には言わんでくれよ』  「言いませんよ」ぶっきらぼうな物言いだが、口角はわずかに上がっていた。その後、またノイズを挟んで霧島の声が聞こえてきた。  『霧島です、話の続きでしたね。特処は現着し次第機動部隊と合流してください。一応、皆さんのウェアラブルカメラからこちらに映像は届いていますが、実際現場にいる人間にしか分からないことの方が多いです。東京第3地区からの増援や他班の応援が必要な場合は、各班責任者に話を通してから早急に私に報告してください』  「特処了解。ただ、特処としては、急を要する場合連絡班に話は通さずに、直接応援要請をするつもりだ。霧島、承諾してくれるか」  機器越しに霧島が唸る声がわずかに聞こえてきた。  「この通信は、本部医療班の石川先生と特殊調査班の(やなぎ)班長が傍受している。こちらが応援を要請したらすぐに来てくれるよう話は通してある。…それに、直接要請してもその音声は、霧島は把握できるだろう。後からでも上に報告してくれればいい。もしそれで霧島が何か言われたときは、俺が責任を取る」  『…分かりました。ですが、なるべく私に先に要請の連絡はするようにしていただけますか』「ああ、善処する」  『機動部隊、聞こえていますか』  『聞こえてるぞ。機動部隊も了解だ。ただこちらも、機動部隊の増援が必要な場合は連絡班にいちいち確認は取らん。ま、いつも通りだがな』  伊佐はまた豪快に笑った。イヤホンの刺さった左耳は、もう彼の声量には慣れてしまっていたのか、今度は誰一人として表情を動かさなかった。  『…了解です。では総員、現着したらもう一度連絡します。こちらからは以上です』  特に連絡事項がないことを確認すると、音声通信は一旦途絶えた。それを確認すると、律がずいっと一平に顔を寄せてきた。  「いいねえ、みんなが周りにいて心強いでしょ」  一平は心の底からその言葉に同意し、深く頷いた。  「はい。おかげさまで緊張も少し解れました」  一平の言葉と表情に、みゆきが微笑んだ。バックミラー越しに、一平と目を合わせる。  「よかった。みんな、どれだけ訊かれても迷惑に思わないからね。ちょっとでも迷ったり、自分の判断に自信が持てなかったらすぐ訊いてね」  はい、と一平はしっかり頷く。律がにやにやしながらみゆきを見た。  「えー、じゃあ俺もみゆきさんにいっぱい訊いちゃおっかなあ」  みゆきの整った顔立ちが、一瞬にして歪む。  「あんたはダメ。自分で判断しな」  「あーっ差別だ、ひっどー」  むくれる律の顔を、もうみゆきは見ていなかった。それを見計らうようにして、燈馬が溜め息混じりに口を開く。  「にしても、鳴海統括長の『根回し』の速さは尋常じゃないな」  「まあ、鳴海さんですしね。いっそ『鳴海出没注意』のステッカー作っちゃってもいいレベルですよね」  律の提案に、聡が笑った。「いいねえそれ、作ろ作ろ!」  燈馬が渋い顔をする。  「一瞬でそこら中そのステッカーだらけになるぞ」「それが面白いんじゃないですかあ」  律が唇を突き出す。みゆきはカーナビを見ながら、白く美しい手でポニーテールを団子にまとめていた。  「マルさんはそれが嫌だって言ってるのよ」「知ってますー」  今度はイーと歯を剥き出す。そのいつも通りのやり取りに、燈馬と聡が笑う。  こんな光景を見ていると、一平はこれからピクニックにでも行くんじゃないか、と錯覚しそうになった。しかし、目の前に積まれた備品を見ると、それが確実に錯覚であることを突き付けられる。班員たちの会話に笑いつつも、一平は自身の手のひらの発汗が止まらないことを知っていた。ぎこちない口元を作る一平を視界に入れつつ、目は離しても決して心は離すまいと燈馬と聡だけは誓っていた。  「あと100mで現場です、聡さん」「おっけー」  カーナビの赤い点を目で追いながら、みゆきが隣の聡に告げる。イヤホンをもう一度耳の穴に押し込み、聡はそれに応じた。ふたりのやり取りに、後部座席の四人は表情を引き締めた。通信機器の電源を再度入れ、燈馬の指示に従って備品の確認と装備の準備を整えていく。黙々と動く班員たちの左耳にノイズが走った。  『こちらト01だ、今しがた先遣部隊と合流した。特処はどうだ』  伊佐の声だ。燈馬が応答する。  「こちら特処01、車両はあと―」ちらりとみゆきを見る。みゆきは車両搭載の通信機器を調整しながら、空いた片手で数字を示した。「20mで到着します」片手でみゆきに礼意を示しながら燈馬は続けた。  『了解。おい、霧島、特処車両停車予定地の座標を送ってくれ』  『ト01了解。04に座標送信します』  ノイズを入れる隙も無く、霧島が応答する。数秒後、若い男性の声が通信に入ってきた。  『ト04です、座標確認しました』『あーそこか…円山、車両降りてからちっとばかし現場は先だぞ、大体直線で7,80mくらい先だ』  「了解しました。…停車位置に付いたので今から向かいます。霧島、現場の座標を送ってくれ」  『特処01了解。03に座標送信します』  みゆきの腕に着けられた小型タブレットに、緑色に座標が表示された。  「特処03、座標確認しました。現場に向かいます」  聡が一平から日本刀を受けとりながら、みゆきの腕を覗き込んだ。座標を確認すると、こくこくと頷いた。  『こちら霧島です。特処は機動部隊と合流して、現場の報告員と合流してください』  「特処01了解」『ト01了解。機動部隊は丁度特処車両から南東方向20m先にいる。黄色の立て看板がある方だ』「特処01了解しました。向かいます」  備品・装備の荷下ろしを終えた律と一平は、伊佐が示した方角を見つめる班員たちの後ろにつき、同じ方向を見た。  一平の背中に嫌な汗がつうっと流れた。  現場は、先程の実地演習とは反対に、静かな住宅地だった。午後4時半を回った街には、学校終わりの学生や買い物帰りの主婦がちらほら通りかかっていた。自分の地元に似た景色を目の当たりにした一平は、ここに最低でもAクラスの実体がいると思うと、居ても立っても居られなかった。かと言って、どう動くのが最善かは分からずにいた。自分はどうすれば――思い出した一平は、誰かに尋ねようと振り返りかけた。その時、頭を向けた方と反対の肩に重みを感じた。  改めてそちらを振り向くと、律が前を見据えて隣に立っていた。彼は一平と目を合わせることも、声を掛けることもしなかった。そうしなくても、一平が自分の意図を汲んでくれることを知っていたからだ。  律の期待通り、その意図は齟齬なく一平に伝わった。一平は頷くと、駆け足で先を行く燈馬たちを追った。  
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