3

3/5

32人が本棚に入れています
本棚に追加
/53ページ
 二度ほど交差点を曲がり、特処は八人の機動部隊と合流した。燈馬が一番後ろで背を向けていた機動部隊員の肩を叩くと、振り向いた隊員は敬礼をし、最低限の声で伊佐を呼んだ。隊の中ほどにいた伊佐は振り返り、燈馬を認めると手を振った。燈馬を先頭に、班員たちは伊佐のいる方に早足で向かう。そんな中でも、すれ違う隊員たちとの短い挨拶は欠かさなかった。一平もそれに倣って小さく会釈をしながら部隊の横を通り過ぎる。隊員たちは一平を見ると、顔の中で唯一露わになっている目を細めたり、背中を軽く叩いたりしてきた。どうやら伊佐が隊員たちにも一平の事情を伝えたらしい。嬉しく思う反面、戸惑いも拭えない様子の一平の背中を見ながら、律はにんまり笑った。  「おっ、お前が西か。機動部隊ト隊長の伊佐だ」  伊佐がグローブでさらに大きくなった手を一平に差し出した。一平はすぐさまその手を握り返す。  「四月一日付で特処に配属された西一平です。よろしくお願いします」  「おう、よろしくな」  伊佐は満足そうに頷くと一平の肩をばしばし叩いた。力は聡といい勝負である。伊佐は表情を一瞬で戻すと、顎を少し引いた。  「こちらト01、特処と合流した。報告員はどこだ」  『ト01了解。報告員には現場にとどまるよう支部経由で指示してあるので、座標で示した現在地から西に50mほど行った川岸に待機しているはずです』  「川か、了解した。今から向かう」  伊佐は部隊に手を振って指示を出した。それを見た聡は内容を理解したのか、「部隊の間に入って」と小声で伝えた。伊佐を含めた四人の隊員の後ろに班員が固まり、その後ろを残りの四人の隊員が固めた。  街灯が要るか要らないか意見が分かれるような薄暗さの中、集団は住宅地の奥へと進む。右耳から、少しずつ水の流れる音が聞こえてきた。川、と言うには少々見劣りする水の道が、全く手入れされていない草むらの中から見える。少し離れた川下の方に二人、東京支部のトレードマークであるオレンジ色のウィンドブレーカーを着た人がこちらに手を振っていた。それを確認した伊佐は、部隊にその場に留まるよう指示を出し、向かってくる二人と同じくらいの速度で彼らの方に向かった。  「伊佐隊長、お待ちしていました。東京第三地区の榎本(えのもと)です」  「同じく藤田(ふじた)です。ヒト型思念と思われる実体は、少し下った先の向こう岸にいます」  二人からの報告を聞き、頷いた伊佐は後方の部隊に向かって付いてくるよう手を上げ、その手を上げたままにした。  10mほど後方にいた部隊は、それを見ると彼の方へ駆け足で向かった。  「待て!」  しかし、前方にいた三人のうち一人が制止をかけた。特処の班員たちは危うく彼らにぶつかりそうになる。声を上げたその人物に、ただ一人を除いて全員が視線を向けた。  一平の視界の端で、燈馬が部隊を抜け全速力で伊佐の方へ向かっていた。  「ちょ、マルさん!」  律が声を張る。しかし燈馬は止まらなかった。後ろからもう一人駆けてくる音が、燈馬の判断に間違いのないことを証明していた。  燈馬は伊佐の肩を左手で掴み、勢いよく後ろに引く。同時に、右手で腰に付いたホルスターから拳銃を抜き、目を丸くしてこちらを見てくる榎本の眉間に照準を合わせ、迷わず引き金を引いた。榎本の目から生気が抜け、頭が後ろに仰け反る。彼が地面に倒れるより先に、隣の藤田が歯を剥き出して伸びた燈馬の右腕を掴む。燈馬がそちらに目を向けると同時に、掴まれた腕を回そうとする。しかし、藤田の手は燈馬の腕に溶け込むようにして食い込んでいた。燈馬の舌打ちを合図にしたかのように、彼の腕を掴む藤田の上腕と前腕が二分される。きょとんとした表情で、地面に落ちた前腕を見つめる藤田の頭を、ぬらりと光る一本の筋が斬り落とした。眉から上の平らになった切断面から、鮮血が溢れる。後方の部隊が彼らの場所にたどり着く頃には、人間だったふたつの死骸はほぼ同時に地面に倒れていた。  「特処は逃亡した実体を追え!律、一平視えるか!」「はい!追います!」  燈馬の叫びに、律が即答した。一平は辛うじて頷き、律の背中を見た。だが、一平の気が付いてくるのをを感じなかった律は振り向いて叫んだ。  「一平ッ!」  一平は地面に倒れる三つの身体を見ていた。眉間に穴の開いた榎本、その隣で頭蓋骨の中身を垂れ流している藤田、そして目を見開いたまま空を臨む伊佐。  伊佐の周りに二人の隊員が座り込み、彼の湿ったマスクを下げていた。薄く開いた伊佐の口から、湧き水のように赤黒い血が滾々(こんこん)と溢れている。一平には頭の中心で重く響く耳鳴り以外、何も聞こえていなかった。  律はあくまで地面の死体を目に入れないようにしながら、一平の方へ向かおうとする。それを、みゆきが制した。  「視えるあんたが追わないでどうするのよ!」「一平の教育係は俺です」  血走った目を向ける律の頭を鷲掴み、無理に反対方向を向かせる。  「追って、見失う前に」律の狂犬のような目を見据え、みゆきが続けて言う。「私たちみんな一平くんを看てるの。あんただけの役目じゃない。でも今奴を追えるのはあんたしかいないの」  律は下唇を噛んだ。頷くと、そこから血を滲ませて駆け出す。  「こっちです!川に沿って下流に向かってます!」  律は振り向くことなく叫ぶ。了解、と、みゆきと彼らふたりに追いついていた五人の機動部隊員が応じた。律を先頭に、部隊は川下の方へ走っていった。  「一平」  上から降ってきた太い声は、不思議と一平の耳鳴りを止めた。見上げると、聡が穏やかに微笑んでいた。  「ずっとここにいるの?」  場違いなほどに柔らかく笑う聡を、一平はぼんやり見つめていた。  「また、誰かが死んじゃうけど、いいの?」  笑う聡の頬の皺を、藤田の返り血がとろりと伝い、彼の肌を離れた。一平の焦点は、聡の黒い目に合った。  「自分は…」  一平は、視線を倒れた榎本に移す。眉間の穴から、血ではない何かが流れていた。ナックルダスターを右手に嵌め、「何か」に叩きつける。「何か」は、榎本の額が鈍い音を立ててへこむと同時に、蒸発するように空気に溶けてなくなった。聡が笑ったまま頷いた。  「…すみません、もう大丈夫です。行きましょう」「うん」  一平はもう随分と小さくなってしまった部隊の背中を全速力で追った。後ろからぴったりと付いてくる聡の足音が心強かった。  『こちら霧島、報告員とト01の状況は?!』  「手遅れだ」  燈馬は吐き捨てた。伊佐と彼の周りに座るふたりの隊員を見下ろし、また川下へ向かった残りの部隊の小さな影を見やった。  『…申し訳ありません、私のミスです。…いつから、いつから彼らは』  「お前のせいじゃない。それに、後悔しても死者は生き返らない」  震える霧島の声を遮り、燈馬は自分の心の声をそれに重ねて眉間に皺を寄せた。  「本部医療班の応援を要請する。三人の死体運搬と現場の事後処理、今後の被害に備えて対応できる程度の人員で構わない。最低限の応急処置一式は特処が…機動部隊も所持している。霧島、本部の石川先生とこちらに向かう医療班の責任者と交信できるように繋いでくれ」  『了解。すぐに繋ぎます』  もう霧島の声は震えていなかった。燈馬はしゃがみこんでいる二人の機動隊員に、医療班が到着するまで伊佐のそばに居るように言った。二人は、真っ赤になった目で燈馬を見上げ、一度、大きく頷いた。それを確認すると、燈馬は追加の応急処置セットを取りに、車両の方へ走った。  手遅れだ――  そう分かっていても、まだ伊佐が助かる道を信じて走っている自分に、燈馬は複雑な感情を抱いていた。
/53ページ

最初のコメントを投稿しよう!

32人が本棚に入れています
本棚に追加