機織る王女と姿無き小鳥

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「ねえ、生まれてくる前のことって考えたことある?」  唐突な問いに紅葉は目を瞬かせた。  虹は至ってまじめな顔で電線の鳥を見つめ続けている。 「時々聞くじゃん、実は今、何度目かの人生を送っているのかもしれないって。・・・生まれてくるときに忘れちゃってるだけで」 「まあ、自分を幸運だなと思うことはあるけど」  紅葉の言葉に、今度は虹が意外そうにまばたきした。 「そうなの?」 「そうでしょ、だって世界中で同じ感染症が流行してるときに好きな人といられるんだから」  虹は少し黙って何か考えているようだった。 二年ほど前から紅葉と虹のいる世界は一変した。依然として状況に終わりは見えないし、今でも確実に世界のどこかで誰かが苦しんで、傷ついて、疲れ切っているだろう。 「だから自分を幸運な人間だなって思うたびに、もしかしたら前世の・・・自分とか、誰かとか、何かしらが後押ししてくれてるのかなって」  もちろん根拠なんてどこにもないけど。心の中でつぶやいて、手の中の羽根をくるくると回すと、虹がずいっと手のひらを差し出してくる。  手渡すと、指先でつまんだそれを紅葉と同じように夕焼けに透かす。 「私、紅葉さんのそういうところ好きだよ」  夕日が虹の横顔をくっきりと浮かび上がらせている。 「ありがと」  紅葉は少し考えて、 「私もそういうことを笑わないで聞いてくれる虹が好きだよ」  付け足すと、虹はふふ、と頬をほころばせた。  紅葉がマグカップのコーヒーを飲み干すと、虹はベランダの手すりにそっと羽根を置いた。綺麗な色なので少し惜しいけど、風でどこかへ飛んでいくだろう。 「紅葉さん、今日のご飯何?」  サンダルを脱いで部屋の中へ戻りながら、いかにも年下っぽい甘ったれた声が追いかけてくる。今晩の夕飯当番は紅葉なので。 「大根の煮物とトマトスープ」  やった、とはしゃぐ恋人に、やれやれと苦笑する。  あとひとがんばりしたら、夕飯だ。  背を押す風を切るように空を駆る。布を肩にかけたと思ったら、あの小窓が目の前にぐんぐん迫って、塔の外に躍り出ていた。身体がひとりでに駆けだしたかのようだ。  身体が、驚くほど軽い。上も下も、前も後ろも、遮るものはない。見えるのは薄紅の翼のみ。ちらと振り返ると灰色の塔がみるみるうちに遠ざかり、針になり、点になり、やがてふつりと消えた。  自由になったのだと理解する。 「これからどこへ行くのですか」  薄紅の鳥に並びながら訊ねる。 「物語の外側へ」  黒々としたまん丸の瞳がこちらを見る。たおやかな声だった。 「素敵ですね」  羽ばたく翼は青や赤や、様々な色が散っている。陽光を受けて、翼の表面に虹色の輪が浮かぶ。 「父があなたに求婚したときから、ずっと待っておりました」  薄紅の言葉に、極彩は声を上げて笑った。 橙色の空の果てに、濃紺色がにじんでいる。 <終わり> お読みいただき、ありがとうございました。
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