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7 各々の本気
「奥様ぁ~? 前世の奥様ぁ、どこにいらっしゃいますかぁ~?」
「前世の奥様ぁ~! 御指示を頂きたいんですけどぉ~?」
「本当の奥様でいらっしゃられるフレイヤ様ぁ~? 出てきてくださぁ~い!」
これが、メランデル伯爵家の大人たちの本気。
懐柔作戦に打って出た彼らは、それはもう低姿勢の猫なで声で敷地内を呼びかけ周り、1時間とかけずにフレイヤを捕らえた。
そして……もてなし、油断させた。
「そうよ! 跪きなさい!! 私があなた方の主です!!」
100万歩譲っても、彼らの主はパールだけど……理屈の通じない相手だし、そんな指摘は野暮よね。私はメイドの恰好で背の高いメイドたちに交じり、というか隠れて、廊下に待機しているので声は聞こえる。
「今すぐあの女を叩き出してちょうだい! 家具も、寝室も、あの女の息がかかった使用人も、ぜんぶ取り替えます! ところで夫はまだなの!? 私を蔑ろにした事を気にしているのなら、これからたっぷり愛してくれればいいのだと伝えなさい!!」
「はぁい、フレイヤ様ぁ~。仰せの通りに致しますよぉ~」
マリサの恐ろしい猫なで声。
「ああ! これでやっと元通り!!」
フレイヤの歓喜の高笑いにゾッとしているのは私だけではない。
私を囲むメイドたちもまた、ビクッとしながらヒッと言っている。
「(大丈夫です。なにがあっても奥様はお守りします。奴が来たら殴ります)」
私の真後ろのメイドは、肝が据わっていた。
「(小柄で華奢だから、加減してちょうだい)」
「(可憐な姿に惑わされてはいけません。可憐ならこんな事はしません)」
尤もだ。
「(初めて奥様にお目にかけた時、なんて可愛らしくてお優しいお嬢様なのかと思いました。まだご結婚前でしたから。この際なので申し上げますが、私は、奥様に忠誠を誓います。たかだかミルクメイドですが農家育ちなので強いです。牛を倒せますので、ご安心ください)」
なんならパールより強いかも。
そんなパールが緊迫感バキバキに入室すると、フレイヤは嬌声をあげた。
「あなたぁっ!」
「……」
私としては、怒りとか通り越して、ただただ恐ろしい。
パールの安全を震えながらい祈るばかり。
ただ、中には執事とマリサに加え、お仕着せを着せて上級使用人に見せかけた腕っぷしの強い肉体労働系の使用人が揃っているので、力で負ける事はまずない。はず。
「ああっ、やっとふたりっきりになれた!」
聞こえてくる衣擦れの音からして、抱きついたのは確実。
手が、わなわな震えてくる。
……私のパールに、触らないで……
と、思ったけど。
向こうも同じように思っているのだと思うと、やっぱり恐い。
「君の事は身元引受人である姉君に一任している。しっかりした方とお見受けするから、こちらの報せと行き違いになる形で迎えに来るかもしれない」
「え? なにを仰っているの?」
無邪気な声が、狂気を物語っている。
「私、あなたのところにやっと帰って来たのよ? どうして抱きしめてくれないの? ねえ、あなた。キスしてよ。キスして!」
やめて!
「どうして顔を背けるの!? 私よ!! ねえ、こっちを見て! 見てよぉッ!!」
大人たちは懐柔作戦に出たけれど、パールは断固拒否の姿勢を貫くようだ。
それがこんなに安心できる事だなんて。
神様……どうか私たち夫婦をお守りください。
「あんたたち……なに見てるのよ!! なんなのよその目はッ!!」
「……」
「あの女に言い包められたのね! さっきまで私に傅いていたくせに!! 私を奥様って認めたじゃない!!」
「君を穏便に捕らえるための芝居だ。君は侵入者であり、脅迫者であり、レディ・オリガによる処遇によっては、私第7代メランデル伯爵パール・フェーリーンによって正式に訴えられる立場にある」
「……パール……!?」
そんな、心から驚いて傷ついたような声を出さないで。
と、私が思っても無駄なのだけど。
「レディ・オリガが到着するまで、君を拘束し監禁する」
「えっ!? いっ、いやよ!! 離して!! パール! パール!! やめさせて!! こんな酷い事やめさせてよぉっ!! あなたの妻でしょうッ!? 愛してるってあんなに言ってくれたじゃないッ!!」
「すべて君の妄想だ。私の愛する妻はヴェロニカただひとり。人生を捧げ、命を捧げ、天に召されてからも永遠に結ばれていたいのはヴェロニカ。君じゃない」
「うそよぉぉぉっ!! いやああぁぁぁっ!」
という一幕があって、夕方にはレディ・オリガが到着した。
やはりこちらの報せを受けるまでもなく捜索し、メランデル伯爵家に駆けつけたようだ。
「申し訳ございません。お詫びのしようもありません」
聡明で美しいレディ・オリガは颯爽と馬で現れ、蒼白い顔で私たちに短く詫びると、フレイヤを事務的に縛り上げ、猿轡で黙らせ、引き摺り、簀巻きにして馬に括り付けて更に巻いた。
「正式な謝罪は後日必ずさせて頂きます。ひとまず妹を引き取らせて下さい。勝手を言って申し訳ございませんが、何卒、その点だけご容赦ください」
「いえ、お帰り気をつけて」
馬上のレディ・オリガに、パールは礼儀正しく頭を下げた。
こちらとしては去ってくれればいいのだから。
なんなら、もう来なくてもいい。
消えてもらえたら、それでいいのだ。
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