【作品鑑賞 心理試験(要約)~江戸川乱歩の代表作~】

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【作品鑑賞 心理試験(要約)~江戸川乱歩の代表作~】

 蕗屋清一郎(ふきやせいいちろう)がなぜこのような恐ろしい犯罪を犯したのかはよく分からない。彼は貧困の中、苦学して大学に通っていたから学資の必要に迫られたのかもしれないが、それだけであんな大きな罪を犯すものだろうか?もしかしたらこの男は先天的な悪人だったのかもしれない。  彼がそれを思いついてから、もう半年になる。その間、彼は迷いに迷い、考えに考えた末に、結局「やっつける」ことを決心した。  同級生の斎藤勇(さいとういさむ)と親しくなったことが事の始まりだった。斎藤は山の手のある寂しい屋敷町で、六十近い老婆の家の一室を借りていた。老婆は数軒の借家から受け取る家賃でしこたま儲けているという噂で、斎藤はその噂が本当であることを証明した。 「君、あの婆さんにしては感心な思いつきだよ、あの奥座敷の床の間に、大きな紅葉の植木鉢が置いてあるだろう。あの植木鉢の底に貯金を隔しているんだよ。」  その時、斎藤はこう云って面白そうに笑った。  蕗屋の考えは固まっていった。あのおいぼれが、そんな大金を持っていて何の価値がある。俺のような未来のある青年の学資に使用するのは、極めて合理的なことではないか。簡単に云えば、これが彼の理論だった。  難点は、云うまでもなく、どうやって刑罰を免れるかだけだ。良心の呵責などは彼にとって問題ではなかった。彼はナポレオンの大がかりな殺人を讃美し、才能のある青年が、その才能を育てるために、棺桶に片足をふみ込んだおいぼれを犠牲にすることは当然だと思った。  蕗屋は大事な日の二日前、斎藤を訪ねたついでに老婆の奥座敷に入って世間話をした。そしてさりげなく、新聞で報道された窃盗事件の話を伝え、隠していた全財産が持ち去られた事件を手振り身振りを交えて説明した。すると彼女の眼は彼の予期した通り、その都度、床の間の植木鉢(もうその時は紅葉ではなく、松に植え替えてあった)にそっと注がれるのだった。蕗屋は老いぼれの脆い首が、今、自分の手中にあることを確かめた。                 二  いよいよ当日である。彼は大学の制服と帽子の上に学生マントを着用し、ありふれた手袋をはめて目的の場所に向った。彼は変装などしないことに決めたのだ。変装をすれば材料の購入や着替えの場所などで犯罪発覚の手がかりを残すだけだ。目的の場所に向かう途中で知り合いに出会った時、変装を気づかれれば自分の首を絞めるばかりだ。彼はよく散歩をすることがあるから、知り合いに出会っても散歩の途中と云えば済むことだ。  犯罪の方法は、出来る限り単純にあからさまにすべきだと云うのが、彼の一種の哲学だった。要は、目的の家に入る所を見られさえしなければいいのだ。  大事な小道具であるジャックナイフと財布は、縁日の露店で人でごった返ししているとき、釣銭がないように支払い、わずかの時間しかその店に滞在していなかった。露店の主人はもちろんのこと、誰も彼のことを記憶などしていないだろう。  彼は一軒家である老婆の家を訪れ、斎藤のことについて内密に話したいと伝え奥の間に通った。この界隈は昼間でも人通りがほとんどなく、彼の姿を見た人間はひとりもいないはずだ。  座が定まると老婆はお茶を汲くみに立った。蕗屋はそれを、今か今かと待構えていたのだ。彼は、老婆が襖を開けるため少し身をかがめた時、やにわに後から抱きついて、両腕を使って力まかせに首を絞めた。苦しまぎれに空を掴んだ指先が、そこに立ててあった屏風に触れて、少しばかり傷をこしらえた。それは二枚折の金屏風で、極彩色の六歌仙が描かれていたが、その金屏風の小野小町の顔の所がちょっとばかり破れたのだ。  老婆が息絶えたのを見定めると、例の松の木の根元を持って、土もろともスッポリと植木鉢から引抜いた。予期した通り、その底には油紙で包んだものが入れてあった。彼は落ちつきはらって、その包みを解いて、右のポケットから新しい大型の財布を取出し、紙幣を半分ばかり(五千円はあった)その中に入れ、財布を元のポケットに納め、残った紙幣は油紙に包んで前の通りに植木鉢の底へ隠した。無論、これは金を盗んだという証跡をくらますためだ。老婆の貯金がいくらあるかなど、老婆しか知らないのだから、それが半分になったとて、誰も疑う筈はないのだ。  それから蘇生を防ぐため、左のポケットからジャックナイフを取出して心臓をめがけ突き刺し元のポケットに収めた。  帰路、彼は警察署へ立寄った。そして、 「さっき、この財布を拾ったのです」  と例の財布をさし出して受取証を貰った。老婆の金は(半分になったことは誰も知らない)ちゃんと元の場所にあるのだから、この財布の遺失主は絶対に名乗り出る筈がない。一年の後には間違なく蕗屋の手に落ちるのだ。 「まさか、自分の盗んだ品物を警察へ届ける奴があろうとは、ほんとうにお釈迦様でも御存じあるまいよ」  彼は笑いをかみ殺しながら、心の中でつぶやいた。  そして事件は蕗屋にとっては、意外な展開となった。だが彼にとっては心配することでも何でもなかった。  斎藤はあの後、老婆の家へ帰ってきて老婆の死骸を発見した。直ちに警察に届け出たが、愚かなことに例の植木鉢から油紙に包まれた金を持ち出して腹巻の下に隠した。そして事件を届けに行った警察署で身体検査をされ、直ちに殺人の容疑者として拘引されたのである。  もちろん斎藤のこれからの言動は概ね予想がついた。彼は罪を逃れるため、蕗屋が植木鉢に現金が隠されたことを知っていたと警察に申し立てるかもしれない。事件の二日前に老婆の家を訪れたことまでまくしたてるかもしれない。  だがその供述が蕗屋に不利益をもたらすとは全く思っていなかった。                 
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