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五
●心理試験の問いに対する蕗屋の連想(原作の一部)
質問 蕗屋が連想した答 回答までの時間
水 湯 0.9
殺す ナイフ 0.8
山 高い 0.9
松 植木 0.8
植木 松 0.6
友人 斎藤 1.1
絵 屏風 0.9
〇心理試験の問いに対する斎藤の連想(原作の一部)
水 魚 1.3
殺す 犯罪 3.1
山 川 1.4
松 木 2.3
植木 花 6.2
友人 話す 1.8
絵 景色 1.3
心理試験が行われた翌日のことである。笠森判事が、自宅の書斎で、試験の結果を書きとめた書類を前にして、小首を傾けている所へ、明智小五郎の名刺が通じられた。
「D坂の殺人事件」を読んだ人は、この明智小五郎がどんな男だかということを、御存じであろう。彼はその後、いくつもの困難な犯罪事件に関係して、その珍らしい才能を発揮し、専門家達はもちろん世間からも、立派に認められていた。笠森氏ともある事件から親しくなったのだ。
女中に案内され、判事の書斎に、明智のニコニコした顔が現れた。このお話は「D坂の殺人事件」から数年後のことで、彼ももう昔の書生ではなくなっていた。
「なかなか、御精が出ますね」
明智は判事の机の上を覗きながら云った。
「イヤ、どうも、今度はまったく弱りましたよ」
判事が、来客の方に身体の向きを換えながら応じた。
「例の老婆殺しの事件ですね。どうでした、心理試験の結果は」
「イヤ、結果は明白ですがね。それがどうも、僕には何だか得心出来ないのですよ。昨日は脈搏の試験と連想診断をやって見たのですが、蕗屋の方は殆ど反応がないのです。これを御覧下さい。ここに質問事項と、脈搏の記録がありますよ。斎藤の方は実に激しく動揺を示しているでしょう。連想試験でも同じことです。この『植木鉢』という言葉に対する反応時間を見ても分りますよ。蕗屋の方はほかの無意味な言葉よりも短い時間で答えているのに斎藤の方は、どうです、六秒もかかっているじゃありませんか」
そればかりではなかった。斎藤は「金」という質問に対して「鉄」、「盗む」に対して「馬」など無理な連想を答えていた。しかも反応時間が遅く、自分が犯人と思われないように小細工を弄しているのが明白であった。
これこそ犯人であると自白しているのと同様に思われた。
だが蕗屋の方はごく自然に『植木鉢』に『松』だとか、『油紙』に『隠す』だとか、『犯罪』に『人殺し』など、犯人だったら是非隠さなければならない様な連想を平気で短い時間に答えていた。
心理試験の結果も踏まえ、斎藤勇を裁判所に送れば全てが終結する筈であった。
「ところがですね。これで、もう蕗屋の方は疑う所はないのだが、斎藤が果して犯人かどうかという点になると、試験の結果はこんなにハッキリしているのに、どうも僕は確信が出来ないのですよ。実はまだ迷っている始末です」
「こういうことは云えないでしょうか。例えば、非常に神経過敏な、無辜の男が、ある犯罪の嫌疑を受けたと仮定しますね。この場合、彼は果して心理試験に対して平気でいることが出来るでしょうか。
『ア、これは俺を試すのだな、どう答えたら疑われないだろう』
などという風に動揺するのが当然ではないでしょうか。
ですから、そういう事情の下に行われた心理試験は『無辜のものを罪に陥れる』ことになりはしないでしょうか」
「君は斎藤勇のことを云っているのですね。イヤ、それは、僕も何となくそう感じたものだから、今も云った様に、まだ迷っているのじゃありませんか」
判事は益々苦い顔をした。
「どうでしょう。それとなく蕗屋君をここへ呼ぶ訳には行きませんかしら。そうすれば、僕はきっと真相をつき止めて御目にかけますがね」
明智の希望が聞き入れられて、蕗屋の下宿へ使いの者が走った。
「御友人の斎藤氏は有罪と決まりました。それについてお話したいこともあるかので、私の私宅まで御足労頂けませんか」
これが呼出しの口上だった。さすがの彼もこの吉報には少なからず興奮していた。嬉しさの余り、そこにある罠のあることを、まるで気づかなかった。
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