【作品鑑賞解説 心理試験】

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【作品鑑賞解説 心理試験】

 明智小五郎は、『D坂の殺人事件』一作の登場の予定だったが、好評につき、その後も引き続き登場することとなる。  「新青年」二月号に掲載された『心理試験』のときには既に私立探偵として名を知られる存在となっており、『D坂の殺人事件』のときのように書生ではなくなっていたと作者が断っている。  この作品は、当時欧米でも珍しかった倒叙ミステリーのスタイルをとっており、蕗屋の見事な完全犯罪がどのように看破されていくかの過程が実に見事である。犯人のキャラクター、終盤の心理闘争のシーンなどドフトエフスキー『罪と罰』にヒントを得ている。  なお最初に『罪と罰』との関連性を指摘したのは、平林初之輔(ひらばやしはつのすけ)の評論『日本の近代的探偵小説-特に江戸川乱歩氏に就いて』(1925.四月「新青年」)である。  中島河太郎は、前述した『日本推理小説辞典』の中で特にこの作品を取り上げて、次のように評価している。 <ミュンスターベルヒの『心理学と犯罪』を入手して、その心理試験を裏返しに使ったもので、ドフトエフスキーの『罪と罰』に示唆されて、トリックを思いついた。  着想・論理・意外性を兼ねそなえ、整然とした好短編であ、初期の代表作として衆評が一致している>  松本清張はこの作品の愛読者であり、『江戸川乱歩論』でも長文で紹介している。 <この『心理試験』の骨格となるものを乱歩は、ミュンスターベルヒの『心理学と犯罪』からヒントを取った。ミュンスターベルヒは、犯罪者の心理を或る連想テストによって反応を確かめる方法の効果を書いた。このまま応用するのならば平凡である。しかし、青年乱歩は、さらにその方法を裏返しし、しかも巧みに人間心理の盲点を突いたのであった。ここに、ヒントはミュンスターベルヒから借りたとはいえ、乱歩の独創性があった。  それに、ここでは老婆殺しを出している。若い時の乱歩は、ポオに傾倒する一方、しきりとドフトエフスキーを読んでいる。……なにも乱歩がドフトエフスキーの描写を真似たというのではない。いや、かえって彼は、日本人らしい感覚でこの殺しの場面を描いた。しかも、現在で云うならば、いわゆるアプレの大学生の性格を遺憾なく出し、重量感ある作品に仕上げた。  文章もまた緊密であり、乱歩の最も長所が遺憾なく現れている>  さらに『黒い手帖』(1974 中公文庫)の中の「推理小説の魅力」の中で次のように書いている。 <日本にも本格的な探偵小説作家が出たと驚嘆したのは、江戸川乱歩の出現だった。……私は夢中になった。大変な天才が現れたと思った。ちょうど、一方にはプロレタリア文学の全盛期で、私は小林多喜二、林房雄、村山知義などの作品と一緒に乱歩を愛読した>  さらに『心理試験』を読み、非常に強い読後感を持ったことにも触れている。 ♦平林初之輔  1892~1931   評論家、翻訳家、作家。後に早稲田大学助教授。プロレタリア文学の理論化に力を注いだ。 ♦ミュンスターベルヒ(ヒューゴー・ミュンスターバーグ)  1863~1916  ドイツ出身。アメリカの心理学者、哲学者。
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