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② 明智小五郎の履歴書~デビューの頃
明智小五郎の初登場は、1925年(大正十四年)一月。ミステリー小説専門誌「新青年」(博文館)増刊に掲載された『D坂の殺人事件』である。
名前を名乗らない「私」という語り手を通じて、事件は語られる。
明智はまだ無名の青年に過ぎない。
「私」は明智小五郎について次のように紹介している。
<彼が、これという職業を持たぬ一種の遊民であることは確かだ。強しいて云えば書生であろうか、だが、書生にしては余程風変りな書生だ。いつか彼が「僕は人間を研究しているんですよ」といったことがあるが、其時私には、それが何を意味するのかよく分らなかった。唯、分っているのは、彼が犯罪や探偵について、並々ならぬ興味と、恐るべく豊富な知識を持っていることだ。
年は私と同じ位で、二十五歳を越してはいまい。どちらかと云えば痩せた方で、先にも云った通り、歩く時に変に肩を振る癖がある、といっても、決して豪傑流のそれではなく、妙な男を引合いに出すが、あの片腕の不自由な、講釈師の神田伯龍を思出させる様な歩き方なのだ。伯龍といえば、明智は顔つきから声音まで、彼にそっくりだ、――伯龍を見たことのない読者は、諸君の知っている内で、所謂好男子ではないが、どことなく愛嬌のある、そして最も天才的な顔を想像するがよい――ただ明智の方は、髪の毛がもっと長く延びていて、モジャモジャともつれ合っている。そして、彼は人と話している間にもよく、指で、そのモジャモジャになっている髪の毛を、更らにモジャモジャにする為の様に引掻廻すのが癖だ。服装などは一向構わぬ方らしく、いつも木綿の着物に、よれよれの兵児帯を締めている。>(戦前の全集を基に著者の責任で漢字などを減らして引用。以下、戦前の作品については全て同じ)
モジャモジャの髪を引っかき回す癖は戦後の作品にも登場し、明智小五郎のトレードマークとなっている。明智のキャラクターは作品によって変遷するのだが、この癖だけは本格短編から通俗長編、少年物まで共通して登場するのである。
「新青年」二月号に掲載された『心理試験』では前作の数年後で、すでに私立探偵として名声を博していることが紹介される。
明智は、この年、「新青年」に発表された『黒手組』『幽霊』『屋根裏の散歩者』にも登場する。
1926年~27年に「東京大阪朝日新聞」に連載された『一寸法師』では、上海帰りと紹介されている。ここでも「講釈師の伯竜に似た顔」と紹介されている。
一応、断っておくと当時「朝日新聞」は「東京朝日新聞」「大阪朝日新聞」に分かれていた。
『一寸法師』は大ヒットして映画化され、講釈師の神田伯知が高座にかけた際に、
「この小説の作者の江戸川乱歩先生には同業の伯竜もなどもご懇意を願っています」
と述べていたという。小説の中で「伯竜に似た」と紹介していたからだろう。
実際には神田伯竜とは戦後になって座談会で初めて顔を合わせ、明智のモデルにしたことを話し合ったという。ただし伯知が高座でわざわざ伯竜の名前を挙げたことでも分かる通り、伯竜自身は、モデルにされたことは早くから知っていたのではないかと、乱歩は推測している。
<伯竜自身も明智のモデルに使われたことを知っていて、恐らく少し迷惑に感じていたであろう>
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