🔱特集・江戸川乱歩の履歴書

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 こうして乱歩は「新青年」を中心に、斬新なトリックを用いた本格短編を次々と発表。  1925年(大正十四年)。日本のミステリー小説史上最初の名探偵、明智小五郎(あけちこごろう)が初登場する『D坂の殺人事件』、続けて日本のミステリー小説史上に残る傑作、『心理試験』を続けて発表。  雨村、不木の後押しもあり、職業作家に専念することを決意。「新青年」を中心に次々と短編小説を発表。  卓越した着想の『屋根裏の散歩者』『人間椅子』(1925「苦楽」掲載)は読者の度肝を抜き、高い評価を得た。  『赤い部屋』(1925)では、「罪を問われない完全犯罪の殺人」に挑み、短編の中にいくつもの完全犯罪を登場させる驚愕のストーリーを成功させた。  この作品と『火星の運河』(1926)は、恐怖と神秘を描いた佳作である。  乱歩はデビュー後、僅か十年足らずの間に本格短編、ミステリー小説の趣向を盛り込んだ文学性の高い短編を発表。  社会派ミステリーの巨匠、松本清張は、総じて横溝正史ら戦前戦後のミステリー作家に冷淡だったが、江戸川乱歩ひとりだけには最大限の賛辞を述べている。 <…乱歩の出現から真に日本の探偵小説は始まったと云っていい。  乱歩は、その十数編の短編小説によって全生命を燃焼し尽くしたのである。  まことにその一連の短編小説は永遠の光芒を放つ。 …彼の初期の一連の作品群は……燦然として不滅の栄光を放っている。彼のような天才は、これからも当分は現れないであろう。少なくとも、今後四半世紀は絶望のように私には思える>(『日本推理小説大系』第二巻「江戸川乱歩集」1960 東都書房)   短編ミステリーを確立した後、「新青年」に連載した『パノラマ島奇談』(1926~1927)など長編小説にも進出。「東京大阪朝日新聞」に『一寸法師』(1926-1927)を連載。大いに探偵趣味を鼓舞し、新進作家として注目を浴びた。  しばらく休筆した後、友人の横溝正史(よこみぞせいし)が編集長を務めていた「新青年」に連載した『陰獣』(1928)は、妖異な雰囲気の中に本格ミステリーのタッチを織り込んだ独特の筆致で騒然たる話題を呼び、第三回最終話が掲載された号は増刷された。乱歩の代表作に挙げられる。  『押絵と旅する男』(1929)では、幻想、異常心理の世界を掘り下げ文学性の高い短編に完成させた。さらに長編『孤島の鬼』(1929~1930「朝日」)は、スリルと謎、心理描写も出色の傑作であり、男性の同性愛をテーマとしている。  1929年(昭和四年)は乱歩にとっては大きな転機となった。  講談社からの懇願に応えるかたちで『蜘蛛男』(1929~1930 「講談倶楽部」)、『黄金仮面』(1930~1931「キング」)などの通俗長編を講談社の雑誌を中心に連載。  強烈なスリルとサスペンスで読書界を風靡し、一躍大衆小説界の寵児となった。これを機に、日本に空前の「探偵小説ブーム」が巻き起こったのである。  講談社の傘下に入った「報知新聞」では江戸川乱歩の人気を利用しようと長編小説の連載を依頼。乱歩は再三辞退したが、ついに講談社社長の野間清治(のませいじ)が直々に乱歩に懇願。『吸血鬼』(1930~1931)の連載が実現した。  江戸川乱歩の人気に注目した「平凡社」では、社の経営危機を江戸川乱歩の全集で打開しようと、社長の下中弥三郎(しもなかやさぶろう)自ら乱歩を説得。ついに1931年から翌年にかけて、デビューして十年足らずの乱歩の全集が刊行された。  当初全十二巻の予定が好評につき一巻増巻。自伝『探偵小説四十年』では、 <雑誌『平凡』の失敗で金融の難しくなっていた平凡社だったが、全集の成功により融通を受ける信頼を回復したことは大きく、私の全集が平凡社を救ったと噂が立った>(要旨) と明記している。乱歩は自伝では、自分自身について謙虚な姿勢を貫いているので、非常に説得力ある文章である。  戦後は本格長編『化人幻戯』(1954~1955「宝石」)などを発表。  さらに戦前、戦後と書き継がれた「少年探偵団」シリーズは、ラジオドラマ、映画、テレビドラマ化されるなど少年読者に圧倒的人気を呼んだ。  作家として不滅の足跡を残したが、一方では研究、評論にも着実な成果を示した。  古今東西の探偵小説を縦横に探求した『幻影城』(1951 岩谷書店)は、緻密な労作として、第五回探偵作家クラブ賞を受賞した。  戦後、横溝正史を中心に本格長編ブームが起こったのは、乱歩が全国への講演活動、文筆活動を通じて欧米のミステリー界の状況をつぶさに伝え、本格物の発展を訴えた努力が大きい。  1947年。「探偵作家クラブ」が結成されると、初代会長として五年間任に当たり、その後、名誉会長となった。  1954年。日本のミステリー小説の発展を願って私費を投じ、今日まで続く「江戸川乱歩賞」を創立した。  1957年。ミステリー小説の専門誌「宝石」が経営難に陥ると自費を投じて編集経営に参画。  松本清張(まつもとせいちょう)大藪春彦(おおやぶはるひこ)高木彬光(たかぎあきみつ)などの新進作家の作品を積極的に連載し、彼らの大成を助けた。  1961年には長年のミステリー小説への貢献が認められ紫綬褒章を受章。  1963年に社団法人日本推理協会が設立されると初代理事長に選出される。  1965年(昭和四十年)に亡くなるまで日本のミステリー小説の発展に私費を惜しまず貢献し、推理作家のみならず各界からの多くの尊敬を集めた。    文芸評論家の荒正人(あらまさと)は、1960年に刊行された『江戸川乱歩傑作選』(新潮文庫)の解説で次のように述べている。 <一般に探偵小説は、犯人が判ってしまうと再読に耐えない。だが乱歩の場合は例外で、普通の小説と同じように、何度読んでも印象が新鮮である。  乱歩は、日本の本格探偵小説を確立したばかりでなく仮に恐怖小説とでも呼ぶべき芸術小説を創り出したのである。その功績は、文学史上に残るものと思われる>  江戸川乱歩はミステリー小説の域を超え、多方面に大きな足跡を残した作家として、これから先も語り継がれるであろう。d5645d0c-1928-4522-8ecf-a26f1f418a9f
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