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7月下旬
竹のことを考えていました。
竹の呪術性というか、竹の神秘というか。
伝承とか。
中国の竹林の七賢人とか、なんで竹林なのかといえば人が迷うからだと思います。
方角がわからなくなる。
どこから入ってきたのかわからなくなるくらい。
普通の森にはだいたい日の当たる方向によって枝ぶりが非対称になるので、それなりに景色を作っていて記憶に残るんだと思います。
筍をとりに竹林に入ったことがありますが、上を見上げても空は見えないし足元は枯れた葉が覆ってるし一面緑だし、異空間ぽいですね。しかも竹林、あまり高低差がないし他の植物も育ちにくいのか。
目印がないと平地でも怖いなと思いました。
植物には陰と陽があります。それは生育状況による枝ぶりで、陽の向きに枝が繁ればその下に陰が面を増やして共存していくという。
うまいこと出来てるなー、と思います。
そうそう、生け花にもこの考え方はあります。多分どの流派にもあると思います。
花材の向きは決まっています。
重心のこともあるから、なるべく陰陽に逆らわない使い方をした方がいい。
竹に戻りますと。
竹は陰を生まない植物と言えるのでは。
陰が悪ではないのですが、竹林は陰陽から離れた感じがします。
だから結界に使われるんだ!
と昔の私ならホイホイ調子に乗って言うところでしょうか。
小説のネタに強引にあれこれ結びつけるのはもう性分なので、見るのすべてを民俗学という器に入れた好きなもの全部のせ丼みたいなことは、手癖のようにやりがちです。
竹がいろんな物語や意匠に使われるのは、加工しやすく保存もきいて身の回りにあったんでしょう。
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