伊勢

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伊勢

2ヶ月ほど前に伊勢に行きました。 この文章をかなりあとになってから書いているのですが。 伊勢で本も買いましたが、 その反動で諏訪の本を読んでいます。 安倍首相の事件から犯人の動機が明らかになるにつれ 原始の信仰を求めてるのかもしれません。 信仰の根元には死への恐怖があり、昔はもっと死が近かったので諦観というか、怖がる時間も短かったのでは。 神道もいろいろありますし神道系の新興宗教もありますが 古い仏教とか神道は信仰抜きにしても学問として貴重な資料があるので、優劣なく保護するべきだよなと思っています。 宮沢賢治の銀河鉄道の夜で 「そんなんじゃなくて、もっと本当の幸せ」 「あなたの神様、嘘の神様よ」 という場面があるのですが 子供の頃から宮沢賢治に傾倒していたこともあり いろんな場面で思い出します。 みんなが自分の信仰を持っているなら、それが良いのかもしれないと思います。 何か耐えられないような目に合ったときに自分以外の存在のせいにできるというのは、信仰の活用方法としてアリだと思います。 信仰を持たずに、全てが自己責任という思考は危ないというか、それこそ差しのべられた救いの手(に見えるようなもの)にどっぷり絡め取られてしまいそう。 諏訪信仰の前では人なぞ小さきもので、おすすめです。 いきなり諏訪はちょっと、 という方には もののけ姫みたいな感じだと思ってもらえれば。 原始の世界には人にとって怖いものがたくさんあり、恐怖心を鎮める論理が信仰だと思っています。 獣、日照り、冷害、疫病、 それをなるべく避ける知識の積み重ねが信仰になっていってのだと思います。 自分の不幸を埋めるように入り込んでくる教えというのは、不自然だと感じます。 粘度というか。 勧誘してくる人のべっとりとした善意が苦手です。 自分で求めた哲学や宗教の教えは年月で薄まっているのか、さらっとして目の前の苦しみには全然効かないんです。 そんなもんでしょう。 その程度が私には合っているように思います。
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