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 ある教授が若いころ出会った人物で忘れられない男がいる。その男は教授――当時医学生だった――と同じ下宿先に住んでいた。好奇心と恐怖を感じさせる奇妙な人物であった。ある日、医学生の家にその男があいさつもなしに入りこんできた。部屋に入るなり、外国語の発音を教えてほしいという。偶然言葉を知っていた医学生は男に発音を教えてやった。男はそれを聞くと礼もいわずに自分の部屋に戻った。なにやら研究をしているらしい。光の当たるものではないだろう。怪しげなものにちがいない。ある夜遅く、医学生が下宿先に帰ると、男の部屋から話し声がした。男ともうひとりだれかいる。話の内容はわからない。外国の言葉で話しているらしい。緊迫した空気を感じる。男が追いつめられているようだ。医学生はドアの前で男を助けたほうがよいのだろうかと迷った。そのとき、すぐそばで部屋にいるはずの男の声が聞こえた。きみにわたしを助けられる方法はない。自分の部屋に帰りたまえ。医学生は恐怖を覚えて、あわてて部屋へ帰った。医学生は男と積極的に交流はしなかった。それでも男はごくたまになんの断りもなく部屋へやってくる。その日は本を借りに医学生の部屋へやってきた。勝手に本棚から目当ての本を取りだす。いつものように例もいわず帰っていった。それからしばらくして、男の部屋から物音がした。その威圧感は上の階の医学生にも伝わった。ただごとではない。医学生が男の部屋へ向かう。ドアを開けてなかへ入る。そこには男以外なにも見えなかった。しかし、たしかに何者かがいる。それも複数。注の存在を医学生は感じとった。男に声をかける。自我を失っていた男は声に反応した。意識を取りもどす。よくない状況であることを自覚した男はなにやら言葉を発した。男が言葉をいうと、その存在は消え去った。男がいう。きみが来てくれて助かった。しかし、これ以上ここで研究をつづけるのは危険だろう。わたしかきみかどちらかが死ぬことになる。医学生はすぐに下宿先から去った。それ以来、あの男にあっていない。貸した本もそのままだ。  知りあった男が怪しげな研究をしていたという怪奇小説でした。昔は怪奇小説のブームがあったらしいですが、最近はめっきりこのタイプの話は消えましたね。
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