ニ、

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 でも、そんな幸せの時間が壊れるのは一瞬だった。  ーー早く着いたから少し探検しよ。  打ち合わせのために訪れた出版社でふと沸いた出来心。受付のお姉さんの編集部に内線を入れてくれるという申し出を断って、一人でエレベーターに乗り込んだ。  西川さんなしで出版社の中を歩くのは初めてだし、いつもは編集部か打ち合わせ用の会議室に直行だったから、周りを見る余裕なんてなかった。なんて事はない風景の筈なのに、心が踊った。  エレベーターを降りて、いつもは右に曲がるところをあえて左に曲がって、大回りで編集部に向かう。その時想像していたのは、少し驚いて、でもいつもの優しい笑顔で迎えてくれる西川さんの姿だった。  でも。 「あー、忙しっ!」  二つ目の角を曲がってすぐ、叫ぶような大声に肩が跳ねた。思わず足も止まる。 「お前忙しいもんなあ」 「ほんとだよ!」  間違いなく西川さんの声だった。だけど、いつもと口調が全然違う。 「残業代もあってないようなもんだし、これでボーナスが悪かったら辞めてやるよ、こんな所!」  こんな乱暴な言い方をするなんて想像もできなかったし。 「この後は?」 「愛川エレナだよ」  呼び捨てだって初めてだ。
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