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経営統合が発表されて一ヶ月。西川さんが異動してきて十日目。できる限り二人きりになる事を避けてきたけれど、ついにその日はやってきた。
「なら次は夏樹先生だな。榎野、夏樹先生の予定はどうだ? いつ行ける?」
編集長の一声で、次の挨拶回りが夏樹先生に決まってしまった。漫画家への挨拶に担当編集が同行しないわけにもいかないし、もう一人ついてきてもらう程人員に余裕があるわけもない。
必然的に。
「よろしくお願いします、榎野さん」
「こちらこそよろしくお願いします」
二人きりの時間が生まれてしまう。しかも運の悪い事に。
「何で行きます?」
「夏樹先生のマンションまでは乗り換えが多いので車で……」
夏樹先生の仕事場までは車。密室だ。
車に乗り込む前から、心がざわついて落ち着かない。
「俺が運転しましょうか?」
「いえ。慣れてますから」
こちらに来ようとする西川さんを早口で遮って、覚悟を決めて運転席に座った。深呼吸する間もなく反対側の扉が開き、隣のシートが沈む。
隣に並んで初めて気がついた。座っている位置は昔と真逆。でも、香ってくるバレンシアの香りは昔のままだ。無意識のうちに唇を噛み締めた。
「どうかしました?」
「いえ……少し窓を開けますね」
昔はこの香りを嗅ぐ度に、大人の男性の香水にドキドキした。だけど今は違う。西川さんが西川さんである事を突きつけられて、それだけで逃げたいような、どこかに閉じこもりたいような衝動すら覚えてしまう。
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