永続シークレットガーデン

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 ああ……  その感覚は知っている。  遼子はようやく気付く。自分にもあったではないか。脚立に上って見た国宝のお庭は、あまりに美しくて息を呑んだ。 「あの寒椿の生垣も、キッチンからの見え方が変わるんだそうです。背が低いとね、あまりちゃんと花が見られなかったみたいで。あんなにいい色だったのに気付かなかったと、驚いてましたよ」  今ではキッチン以外でもずっと履いてますね、あのスリッパ。  そう山科は楽しそうに笑ってから、しかし、すこし俯くと続ける。 「つまり、小林先生もおそらく、キッチンからは寒椿が見られなかったんですよ」   !  それは、と、遼子は山科の端麗な横顔を凝視する。 「親方がね」 「……はい」 「それからいくらか工夫されて、植え替えとかもちょっとしたのかな。それであの生垣が今のかたちに」  この家を建てた設計士さんも大工さんも、植木屋さんも、男性ばっかりだったんでしょうね。  台所から見える庭の風景、考えてみなかったんでしょう。  あんなに嬉しそうな顔が見られるのにね。 「そもそもメンバ構成の性別を限るというのはね、その業界にとって不幸なことなんです。世界の半分を占める才能の宝庫をドブに捨てている。成長に必要なのは多様性だというのにバカな話です」 「たよう、せい……?」  また聞き慣れない単語につまずくうち、山科の話は自在に動く。 「研究分野でもそうです。うちの研究室にも後輩に有能な女性研究者がいます。私よりもむしろ優秀なくらいなのに、なかなか就職先が決まりませんで」 「えっ、K大の学生さんでもですか?」  K大の学生だからかえって、というのはあるんですが、と山科先生は痛そうに笑った。 「しばらくポスドクで頑張ってたんですが……そのうち、逆に先輩にあたる先生が運良く他所に教授として採用されましてね。玉突きで、ようやく彼女にポストが回って来ました」  よかった、とまず思ったが、オチはそこではあるまい。 「私が関わっている分野のある基礎実験では、まず予備的な観測が要るんです。24時間、定時的に観測したデータを処理した上で、結果の検算も必要です。ま、だいたいは若手がやるんですが、しばらく前に、その彼女がプログラムを開発して、検証までまるっと自動化されました。途中でコケても、やり直しを記録できるようにもなってます」  一日中張り込んで観測者の体力と根気に頼るより、ずっと建設的だし、正確で速い。それなのに、それまでは改善しようという声はどこからも出なかった。 「彼女曰く、低血圧で朝は苦手だそうで。自分が楽をするためです、と言ってましたが、それが創意工夫だし、誰にでも出来るようにするのが文明です。やり方を踏襲するのは簡単だけれど、拡張性がなければ限界が来るのも早い。画一的な環境は他の方法を編み出すチャンスを逃してしまう」  山科の言いたいことは、なんとなく解る気がした。  そういえば、と遼子も思い起こす。  京都は国際観光都市だ。おかげで、いちはやく英語や仏語だけではなく韓国語や中国語の看板も増えた。公衆Wi-Fiも都心より速く普及したという。古都とは云え、いやだからこそ、新しい試みが必要だったのか。 「そういう機会をね、体力のある若手にやらせて放置してる場合じゃないんです。ま、学生実習ではまだ、学生さんたちに自力でやってもらいますけどね」 「な、なんでですか」 「それは、学生にとっては体験の方が重要だからですよ」  なんだか騙されたような気がする。  腑に落ちないふうの遼子に、山科はくつくつと笑う。そうして「とにかく」と言いながらガラムとマッチをポケットにしまった。 「小林先生との縁以上に、ここの家は非常に……デリケートなんです。なにより信用出来る職人でないとダメだ。親方は慎重に引き継ぎ相手を探したと思いますよ。やはり身内がいいという判断もあるとは思いますがね、真柴さんが最適だった」  最適、ですか、と。  遼子が口の中で呟くと「ええ」と山科は声に出して頷いた。 「なので、持ってるものを卑下する必要はありません」  そこに至って遼子はようやく、やたら遠回しだが恐らく励まされている、と気付いたのだった。
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