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さて。
庭の改革については家族会議の議題にしてもらうとして、日暮れ前に庭の植生について穂高と山科にレクチャーする。今は姿を隠しているものもあるので、気をつけるポイントはファイルに書き込む。
どうやらこの庭は、偶に帰ってくる穂高の母親が無断で?種を撒いたり植え付けをしていくらしく、時が来て初めて判明するものもあるらしい。たとえば夏場は目立っていたタチアオイだが、数年前から植えっぱなしとのことで、今年は芽が出るだろうかと話していると、あっ、と気付いたように山科が振り向く。
「タチアオイって、フランスでも育ちますかね?」
「フランス?」
また一気に話が動く、とは思ったが、今日の情報量からすると大したことはない気もした。さすがに海外のことは守備範囲外だが、ここは職人としての意地で、えっと、と遼子は脳内の情報を検索しつつ言葉を紡ぐ。
「ちょっと調べないとはっきりとは……いずれにせよ、苗や鉢植えの持ち出しは検疫に引っ掛かるので難しい思います」
「ああ、そうか、土はダメでしたね」
なんで? と素朴な疑問を口にする穂高に、素早く土中バクテリアの話をする山科先生はさすがだ、と学生のように感心する遼子だった。
しかし二人のやり取りを聞けば聞くほど、いったいどういう繋がりなのかと思わざるを得ない。
「だから、ほら、まだ沖縄がアメリカに占領されてた頃、甲子園の土を持って帰れなかった、って高校野球トリビアにあるだろ」
「え、なんて? アメリカ領? なんの話?!」
「だから第二次世界大戦直後の話で……春夏の甲子園中継で、試合のインターバルにやってる豆知識的な番組のネタにあるだろ」
「楓、そんなん見てるの?」
「? 中継見てれば目に入るだろ?」
入っても覚えないふつう、みたいな抗弁をするかつての甲子園優勝投手を他所に、遼子はいつものスケッチブックにタチアオイ・フランスとメモし、山科はタブレットで世界地図とフランスの気候情報を呼び出す。
「フランスでもパリに近いところなので、ここより寒いですね。あと乾燥しているはずです」
「うーん、やっぱり調べないとですね。種から育てられる思いますけど、それでも検査対象かも」
「なるほど。でもそれなら種の方がいいですね」
「お庭の環境にもよりますけど、品種も多いので種まきからやってみると楽しいかもしれません」
そこそこ丈夫な草花だったとは思うが、土地と植物は不可分だ。一年草なら大丈夫だろうかと思いつつ、タチアオイになにか思い入れが?と山科に尋ねると予想外の答えが返ってきた。
「うちの姉の名前が『葵』なんですよ。それで去年、ここのタチアオイの写真を送ったんですが、せっかくなら甥っ子と姪っ子に本物をと思って」
その答えに、遼子もなるほどと頷いてはみたが、あれ、
「ということは、フランスに」
ご家族が、と続ける前に察しがいい山科は説明してくれる。
「はい、姉の留学先だったんですが、そのままあちらの研究所に就職して、ドイツ人と結婚しましてね」
お姉さんも研究者か、しかも国際結婚、なんだけど超納得、と遼子の大脳も忙しなく活動しつつ、やはり気になるのは……とうっかり穂高の方を向いてしまう。
そして現在のプロ野球選手はしっかり察しがよかった。
「葵さん、先生とほぼ同じ顔ですねえ」
「それはすごい美人なのでは」
「すっごい美人なんですよ」
モデルさんかと思いますよあれ、いや先生もほとんどそんな感じですけどね、とJKのように盛り上がる二人を、だいぶ引き気味に山科が見ている。
おそらく、このやり取りはマリさんともしたんだろうな、と遼子は思う。
一方で、祖父はこの二人とどんな話をしたのだろうとも、思う。
「あ、ということは、甥御さんと姪御さんもすっごく可愛いのでは」
「はい、あれ、なんとかっていう有名な絵描きさんの天使の壁画まんまみたいで」
今度は情報量が少なすぎるのに伝わる謎で、遼子はなるほどあんな感じ、と頷きながら、植木屋が見るのはその家の庭木だけではないのだと、改めて思う。
昨夏に初めて仕事に来た日、山科から聞いた話を思い出す。
きっと昔はキッチンから見えなかったという寒椿。
だが、小林先生には見えなかった寒椿は、きっと、その旦那さんには見えていたのだ。
そうであれば、あの紳士はそのままにしていただろうか。
寒椿が咲いたと妻に告げ、二人で見に庭に出たかも知れないし、その切り花を活けることもあったかもしれない。そういう楽しみ方も……あるのだ。家族の数だけ、無数に。
遼子はふっと振り返り、梅の木を見上げた。
笑顔の似合う婦人は、梅の木の側に佇む夫と樹上にある孫に、何と声を掛けていただろう。振り返った紳士はなにかを応え、少年は羽のように軽く枝を移動して、緑の葉と翠の実が庭に影を作った。
もいだ梅の実を三人で部屋に運び、丁寧に洗って、漬けて……初夏の味を、三人で。
そんな季節がこの庭にあった。
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