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「そんな条件、いくら中古車でもありませんよ」
スーツの男は、いかにもめんどうくさそうにそう言いながらタブレットをスクロールした。
「まあ、こんなところですかね あと何キロ走れるかは知りませんが」
そこに表示されたのは、40年前に販売されていた走行距離50万キロの中古車だった。
「今どき自動運転もついてないですし、部品もないので壊れても直せませんよ」
それでも結局、古ぼけたシャツに身をつつんだ老人は書類に判を押した。
納車の日、やはり変わらずめんどうくさそうなスーツの男は、わずかな紙幣を受け取ると、鍵を差し出し、こう言った。
「簡単に洗車はしましたが他はなにもしてないので、まあご自分でやっておいてください」
老人は鍵を受け取るとそのまま店を出て、車のドアを開け、エンジンをかけた。店員が席を立つことはなかった。
「お久しぶりです。30年ぶりですね。」
老人はどこからともなく聞こえてきた声に驚き、何も言えずにいると、
「覚えていないでしょうか。あの嵐の日に、初めて出会ったことを。そして、突然別れたことを。」
ふっと記憶が蘇った。
「まさか...昔喋る車に乗っていたが...あの時の......」
「その通りです。思い出していただけました?」
そこからその車は、男と別れた30年のことを話し始めた。
借金取りに連れていかれ、遠く離れた中古車屋に売られたこと。そこで優しい青年に出会ったこと。その青年とともに日本全国を旅したこと。世の中のどんな車よりも大切にされたこと。その青年とも突然の別れが来たこと。そして今の中古車屋に売られたこと。
そして今、最初の持ち主である男に再会できたこと。
老人は泣き出した。その涙が後悔なのか、感動なのか、それは老人自身にも、車にも分からなかった。
しばらくして、1人と1台は帰路についた。
30年前、男と車が別れた家よりも小さく、みすぼらしい家に。
それでも、1人と1台は30年前よりも、そして他の誰よりも幸せだった。
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