間に合いそうですか?

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「たっ……タクシー!」  止まってくれなかった。車行き交う道路の傍で、タクシー会社へ電話する。 「諦めてバスで行かね?」  危機的状況にも関わらず、落ち着いている友人。視線の先には、人の並ぶバス停があった。しかしあれではゼミの発表に三十分遅れてしまう。 「それじゃダメなんだよ! ああ~なんで寝坊しちゃったんだろ……昨日の夜は十時に寝たのに!」 「大変だな」 「お前もだろ! 何でお前は余裕なんだよ!」  電話がタクシー会社へ繋がる前に、ポンと肩を叩かれる。見ると、友人がタクシーを停めてくれたらしかった。僕は電話を切って慌てた乗り込み、行先を伝えた。友人も乗り込むと、ドアが閉まり動いた。朝の時間ということもあってそこそこ混んでいるらしい。スマホで時間を確認する。間に合わない。ああ、とため息をついた。 「俺めっちゃ眠いから寝るわ」  友人の間の抜けた一言。 「え……?」 「おやすみ~」 「ええ……??」  友人とてゼミの発表会には現在進行形で遅刻しているのだが……僕なんかとかまるで違うその度胸にちょっと感心した。  集合時間十分前。今日のタクシーは亀のようにのろまだ。 「すいません、何分かかります?」 「混んでるので、大体三十分ですね」  声を上げながら肩を落とす。 「お約束に間に合わなさそうですか?」 「はい……すいません……」  なぜ謝ったのか分からない。とにかく心を楽にしたかったんだと思う。  隣から静かな寝息が聞こえる。僕は深くため息をついた。  ポン、と軽快な音が車内に響く。僕は思わず運転手を見ると、彼はこちらへ振り返って穏やかに微笑んでいた。その手には、蓋の空いた小瓶が握られている。中では水色の液体がたぷたぷ揺れていた。思わず見つめていると、彼はぱっとそれを離した。小瓶が落ちていく。液体が零れ落ちる。 「これから見ること、誰にも話さないでくださいね」  ——直後、後ろへ強く引っ張られる。座席へ縛り付けられるような力。車は、まるで強風の中を突っ切っているような振動に揺られている。前へ、前へ、前へ。  ふと窓の外を横目で確認した。そこに景色はなく、ただ青色の雲がごった返していた。それらは風に揺られて形を変えながら、車のスピードに振り落とされている。  ガシャン、と大きな音を立てて、気付いたら窓から大学が見えた。そこを起点に、あたりの景色もだんだん大学近辺の街並みに変わってゆく。青い雲は消えていた。 「はい、着きました。あなたは全て忘れます」  穏やかな男性の微笑み。僕の何かが溶けていった。 「……あれ、行かなきゃ。おい起きろ!」  隣の男の肩を激しく叩く。薄らと目を開くが、再び閉じて俺に背を向けた。 「あと二分……」 「殴るぞ!!!」  僕はリュックを開いて財布を取り出そうとしたが、奥底に眠っているらしく、なかなか見当たらなかった。 「おい、俺が払っとくからさっさと行け」  ゴソゴソ慌てる僕に、友人は欠伸をしながらそう告げた。 「でっでも」 「いいから行け。すぐ追いつく」 「う……ごめん!」  僕はリュックを閉じてタクシーを降りた。間に合わない! 間に合わない! 電話しなければ、と開いたスマホには、なぜか発表時間の8分前が表示されていた気がした。 「送ってくれてありがとうございます。いくらですか?」 「三千円です。間に合いそうですか?」 「何とか。ありがとうございました、助かったっす」  青年はキャッシュトレイに三千円と、その上に赤色のチケットを置いた。運転手がトレイごと受け取り、赤いチケットを手に取った。およそこの世界のどこにも見られない言語で文字が連ねられている。だが運転手にはその言語が理解できた。知っていた。 「非魔術師に対する魔術陳列罪で、お前を現行犯逮捕する」  青年は手帳の白紙ページを見せた。運転手には分かる、この白紙こそが彼の職業を示している。おそらく手を触れればこれは警察手帳になるだろ。そういうページだ。 「…………申し訳ありません。しかし、記憶消去処理は行いました」 「記憶処理を行えば見逃されるなんて決まりはない」  青年は手帳を閉じたかと思うと、それで膝を叩く。手帳を持ち上げると、そこには1匹のネズミがいた。辺りを見渡して鼻を鳴らしている。 「非魔術師の前で魔術を使ったのは初めてか」 「……いいえ」 「送迎以外で使用したことは」 「ありません」  ネズミは膝から運転手の席へ飛び移り、彼の肩に登った。ネズミはキッと鋭く鳴いた。 「なぜ使った」 「お急ぎでしたので」 「……詳しい話は署で聞こう。捜査官に従え」  青年は開いたドアから降りようとした。 「あ!」 「何だ」 「段差、お気をつけて」  青年は少し驚いたが、すぐに冷ややかな表情に戻った。ドアを閉めた後、車はそのまま走り去った。青年は振り返らなかった。
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