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第二話 契約
男の人の名前は、ウェルさんだと教えてくれました。それから、ウェルさんは魔界という、私たちには見えない世界から来た悪魔だというのです。
悪魔はいつも、魔力を使って私たちには見られないようにしているのですが、私がびっくりさせちゃって、気が緩んでしまったのだとか……。
「あ、あの……ウェルさん?ごめんなさい。私のせいで……」
「んー?いやいや、嬢ちゃんが謝ることじゃあねえよ、ドジっちまったのは俺だしな」
さっきまであたふたしていたウェルさん。どうやら落ち着いたみたいで、胡座をかきながら私に向かって笑っていました。
「あ、でも、ほかの悪魔にゃあ内緒にしててくれよ?バレたら厄介だからな?」
しーっ、と口元に人差し指をあてながら、ウェルさんはそう言いました。私も真似してしーってしながら、こくりと頷きます。
「……ひょっとして、ウェルさんは私がお絵描きしてるのをずっと見てたんですか?」
「はは、察しのいい嬢ちゃんだな。あんたの絵、見るのが好きだからさ、傍で見させてもらってたんだ」
「もっと絵が上手い人はいっぱいいますよ?だびんちさん、とか、ごっほさん、とか……」
テレビで聞いたことのある有名な画家さんの名前を、次々と挙げました。すると、ウェルさんはうーん、と唸っていました。
「……そりゃま、天才だとか言われて人間共にもてはやされてる絵はいっぱいあるけどさ、俺が求めてるのは、そういうんじゃねえんだよな……もっとこう、ほわほわする感じの……」
「私の絵、ほわほわするんですか……?」
「あぁ、ほわほわして、すげぇ幸せな気分になれる……だから、あんたの絵、大好き!」
「……!!」
へにゃり、と顔をほころばせるウェルさんの顔。それを見た私は、胸の奥がすごく暖かくなってしまいました。だって、こんな風に、私の絵を見て喜んでくれる人は、今までにいなかったから……。
「あ、あの……」
「ん?」
私は震える手で、今まで描いた絵が載っているスケッチブックを、ウェルさんに差し出しました。
「……よかったらこの絵、ウェルさんにプレゼントします」
「……へ?」
ウェルさんは、私の顔とスケッチブックを交互に見た後、目をぱちくりさせて言いました。
「うーん……そいつはいいかな」
「や、やっぱり……ご迷惑、でしたか……」
「あ、ち、違う違う!!そうじゃねえって!!」
しゅん、と俯く私を見て、ウェルさんはオロオロ慌てます。
「そいつは嬢ちゃんの思い出の品だろう?それに、悪魔が人間から貰うのは、契約の代償だけって決まってんの」
「……けーやく?だいしょー?」
「つまりな、俺が嬢ちゃんの頼み事を聞かなきゃ、それは受け取れねえってわけ」
幼い私には聞き慣れない言葉を、ウェルさんはわかりやすく教えてくれました。契約も代償も、よくわかっていないけれど、とにかくその時の私は、初めて私の絵をちゃんと見てくれたウェルさんにお礼をしたくて、頼み事をしようと、グルグルと頭を悩ませていました。
すると、私の頭の中の電球が、キラリと光りました。
「あ、あの、それじゃあ!私、します!頼み事!」
「え、マジで?あー…じゃあ聞いてやるけど、あんまりでっかい頼み事はするなよな?後で面倒になっちまうから……」
人間は欲深いから困るんだよな、なんて溜息をつきながらツノをいじるウェルさんを、じぃっと見つめる私。そしてついに言ったのです。
「こ、これからも……毎日、会って……くれますか?」
……やっとのことで、口から出すことができた言葉……。私はまだ、体から緊張が抜けませんでした。ウェルさんはといえば、ぽかんとした表情で私を見つめていました。
「……え、そんなことでいいの?」
「はい!」
「金とか地位とか……いらねえの?そんなの?」
「はい!!」
物珍しそうな顔で質問を投げかけるウェルさんに向かって、私は何度も大きく頷いてみせました。
ウェルさんはしばらく、顎に手を当ててうーん、と悩んだ様子を見せていましたが、うん、と声を上げ、私の方を見ました。
「……よし、そういうことなら、契約成立、だな!」
「けーやく……せーりつ……?」
「お前さんの絵をもらう代わりに、毎日お前さんに逢いに来てやるってこと!」
「……!!ほんと……!?」
キラキラと目を輝かせる私と目線を合わせると、ウェルさんはツノや翼とは対象的な色の白い歯をにっ、と見せて、大きな手で私の頭を、優しく撫でてくれました。
「いつまで続くかわかんねえけど、これからよろしく頼むな、嬢ちゃん!」
「あ、あの……私の名前は、小桜エリです……!」
「コザクラ、エリ……うん、よろしくな、エリ!」
こうして、お絵描きが大好きな私は、変わった悪魔さんと契約して、お友達になっちゃいました!
これからの生活は、きっと楽しくなる……私はワクワクして、仕方ありませんでした。
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