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補足説明をすると、シロヤナギとハルオミが婚約関係にあるというのは、実際、ある程度まで事実だ。この街、つまり「光ケ丘」でも有数の企業集団/シロヤナギ財団の経営一族の娘であるシロヤナギ・ルカ。そして市民会議の有力派閥のトップの立場にあるウエダ上院議員のひとり息子であるハルオミ。
市内の上層市民の中でも最上位に位置する二つの家系のあいだで、今から十二年ほど前に取り交わされた協約がある。政治と経済、それぞれの高みに立つ二つの家同士が共闘して利権を保持し続けようとするしたたかな戦略がまずそこにあり、そこに実際、当時4歳だったルカとハルオミの将来の結婚も含まれていた。
あくまで二つの家庭間のゆるやかな協約であってそこには罰則を伴う強制力はないのだが、協約成立の日から十二年がたった今でも、二人の関係はとくに破綻をきたすことなく、今もゆるめに継続している。二つの家は、家同士の距離も近く、二人は幼馴染の範疇に入れても良い。なにしろ十二年来のつきあいだ。
外見的にはいささか不釣り合いな二人の公然の婚約関係になかば嫉妬し、「美女と野獣」という言葉で二人の関係を揶揄する男子生徒らが学院内には少なからずいる。しかし正確に言えば、ハルオミの外観は痩せ気味で小柄で、野獣と言うには精強さ・ワイルドさにも欠けている。まとまりの悪い黒髪がくるん、くるんとあちこちカールしているミドルショートヘアの彼を表現するには、温厚無害な「森の小動物」程度がいちばんふさわしいかもしれない。
「あれ? だけどハルオミ。サキは? 一緒じゃなかったのか?」
食後のコーヒーに口をつけながら、タカキをハルオミに話を向けた。
「ん、なんか午前の講習が延長になったって。講師の人が明日これなくなって、かわりに今日、あと2時間続けてやるって言ってたみたい。だから3人でランチ先食べといて、って言ってた。行先も決めといてくれてOKってさ」
「マジかよ。はた迷惑な講師だな、そいつ」
「ところでキミ、どう? 行先の目途はついたのか?」
シロヤナギがパイをほおばりながらタカキにきいた。両肘をテーブルの上につき、二つの手のひらで自分の顎の重みを支えた姿勢で。
「ん、まあ、だいたいな。旧世界の地図見ながら、よさげな目的地いろいろ探して、そこそこ可能そうなとこ見つけてきたよ」
タカキが答える。タカキはなんだか急に無表情になって、それほど旨くもなさそうにコーヒーをすする。
「お。行動が速いな。そこは評価しよう」とシロヤナギ。
「いや。べつにお前の評価は求めてないから」
「で? どんなところ? 山? それとも海?」
シロヤナギがペーパーナプキンで唇をぬぐいながらきいた。
「海、だな。おれとしては、やっぱなんか、夕陽が綺麗に落ちてくビーチが見たい。そういういかにも絵になりそうなとこ中心にいろいろ検索して」
「ほう?」
シロヤナギがナプキンを動かす手を止めて、ちらっとタカキを横目で見やった。
「ん。でもたいがいは、南岸の遠すぎるエリアでさ。とても二、三日では付けない。散々探して、ここからそれほど遠くない西岸エリアで、よさげなビーチを発見。それがプランその1」
「ビーチかぁ。その言葉自体がもはや伝説的だよね」
と、ハルオミがグラスの水に口をつけながら感想を述べた。
「ってほどでもねーだろ。バーチャルツアーだと普通に行けるし。おれも先月、オールドナハだかのリゾート、親と一緒に行ってきたぜ。って言っても全部バーチャルで海水の感触もぜんぜんなくて、マジでつまらなかったけどな」
「ふむ。で、そこまではだいたい、距離はどの程度?」
シロヤナギが優雅に首を傾けてきいた。
「距離な。直線距離にすると36キロ。」
「お。わりと近い?」
とハルオミ。さきほどよりも少し、この話題に興味を持ったようだ。
「でも直線距離でそれだから。実際歩きで、44、5キロってとこじゃないかな。ルートにもよるけど。過去の資料見る限りでは、そこらはどの時代にも工業区に指定されてなかったから、たぶん今でも天然の砂浜ってやつがそこに綺麗にまるごと残ってる、はず。」
タカキはそう言ってカップのコーヒーを飲みほした。追加オーダーでメニュー表に目をやったが、コーヒーおかわり「580クレジット」の表記をちらりと見て、タカキはこっそりため息をつく。最終的に追加オーダーの動作をしなかったところをみると、今日のタカキの予算的にはここでの追加出費は不適切との判断だったのかもしれない。
「44キロ。うーん。すまない、正直わたしは長距離走をやった経験がない。競歩も知らない。だからそれが遠いのか近いのか、即座に判断ができないな。」
シロヤナギが感想を述べた。その視線はテーブル上のどこかを見ているが、正確にどこに視点を合わせているのかは限定しづらい。
「実際おれもよくはわからねーけど、何もない平地だと1キロの歩行に15分ってところだろ。15×44、距離をちょっと長めに見積もって、×48として、答えはいくつだ?」
「その程度の暗算は瞬時にしたまえよ、君」とシロヤナギ。
「いや。おれはもう答え知ってるから、計算よわそーなおまえにあえて聞いたんだよ」
「失敬な。わたしを誰だと思っている?」
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