鳥と魔女と密猟者

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 〝よだかは、実にみにくい鳥です〟    そんな書き出しの童話があると教えてきたのは、実に鼻持ちならない級友だった。  俺は相手の膨らんだ鼻の穴を拳で潰したわけだが、奴は教師に告げ口し、周り巡って俺の頭にゃ親父の拳が落とされた。  かよう、俺は猟師である親父が付けた『ヨダカ』という名前を好いていなかった。  だからこそ、自分の息子にはケチのつけようのない名を付けたかった。誰が聞いても、待ち望まれた子だとわかる名前。  学が無いなりに頭を捻り、ふさわしい名前を付けた息子はかわいくてならなかった。俺の息子、俺の息子、俺の息子――呼ぶたびに幸福な気分にしてくれる。  長じるほどに賢く、穏やかで、見てくれも良い。  〝鳶が鷹を生んだ〟ならぬ〝夜鷹が鷹を生んだ〟などと陰口を叩かれたが、さほど気にならなかった。  女房が男をつくって出て行った時は、怒るより、悲しむより、息子を置いていったことに感謝した。  そんな息子が十六となり他星系へ留学したいと言い出す。寄星虫学を勉強して、沢山の人を救いたいとのたまって。  一方の俺は、親父の見よう見まねで猟師を生業としており、当然息子も猟師になるものだと思っていた。俺が教えられるのは猟師の業だけだったから。もちろん、親父と違って、拳ではなく褒め言葉をあめあられ流星群と降らせて文字通りの反面教師となるつもりだった。  だのに、俺から離れるなんて。  俺は駄目だの一点張りで、息子にとっちゃ単なる頑固親父でしかなく、優秀さが仇となり、奨学金をもぎとって飛んでっちまった。  大して物が持ち出されたわけではないのに、妙にがらんとした息子の部屋を眺めながら気付く。  息子は従順で、喧嘩をしたのは初めてだった。滅多に俺の怒りを買うこともなく、過去にたった一度だけ。  これを読んでと差し出された絵本――『よだかの星』。  あどけさの残る、断られるなんて想像もしない、信じ切った顔。俺は未だ、物語の結末を知らない。  ★  地球在来種の猟が禁止されて以来、猟師はもっぱら宇宙へ漕ぎ出して地球外生物を狩っていた。俺の親父も、じいさんも、ひいじいさんも、もうずっと前から。  小型宇宙船で往く銀河航路は暗く深く透明で、水底では、転んでばらまいたドロップのように、赤、青、黄、緑、色とりどりの礫が瞬いている。  モニタ越しにその人を誘い込む画を眺めていると、銀色の円筒形の人工物がちらりと映った。大振りな桃缶そっくりな形だが、もちろん、違う。  俺は舌打ち一つと共に舵を切った。  それは手紙や小さな荷物を宇宙空間に射出する輸送ポット『宇宙の缶詰』だった。  基本的な仕組みは大海を漂うボトルレターと同じだ。ある程度目測をつけて銀河に流す、ただそれだけ。当然、到達率は低く、各宙域で転送門(ゲート)が開通し、銀河航路が整い、宇宙輸送業が発展した昨今、ほとんど使われなくなった遺物だ。  だが、磁気嵐や宇宙災害などにより通信不能となった際には、最後の頼みの綱となる。  これらのことから、〝宇宙(そら)()く者〟は、缶詰を発見したら宛先へ届ける(あるいは近づける)最大限の努力を払うことが宇宙航行協定により義務づけられていた。  だからこそ、『宇宙の缶詰』が記録(レコード)されないよう距離をとったのだ。缶詰なんぞにかかずらう暇はねえ。  白一色。突然、モニタが暗転ならぬ白転した。  純白の傘か扇子が目の前で無遠慮に広げられた、そんな錯覚。モニタ越しだとわかっていたが、つい仰け反っちまう。黒の余白(・・)ができたかと思えば、それは光の筋を曳きながら射放つ速さで遠ざかる。  ――星間渡り鳥、白鷺(イーグレット)。  まさに俺が追い求める獲物だった。船の前に飛び出したソイツは、ぶつかる寸でL字を描き、光さながら突き進む。人類にとって()絶滅危惧種とされる稀少宇宙生物。  俺は自走運転(オート)を解除し、船を加速させた。同時に猟師としての(アラート)が鳴り響く。このまま突き進むと『宇宙の缶詰』を記録しちまう? いや、そんなのは些事で、もっと。  白鷺は天の川上流、清らな水を求めて渡り飛ぶ。だが、現座標は中流にすら達していない。妙だ。  答えが出ないまま、だが逃す気にはなれず――唐突に白影が吹き消される。  今、航行しているのは何十年も前に打ち棄てられた旧航路だった。理由は当然、密猟(後ろ暗いこと)を目論んでいたから。  ぞっとして気付く――廃転送門(ゲート)だ。手動に切り替えたのに注意を怠っていた。最大出力で逆噴射をかけるが間に合わない。  整備されていない廃転送門(ゲート)はブラックホールも同じだ。まるで大口を開けて待ち構える巨大魚。ゆがみ、たわみ、広がり、縮み、どこに出るのか、出口があるかもわからない。  全力以上で脱出を図らにゃならなかったというのに、一瞬思っちまった。このまま呑み込まれたら、あいつがいる石炭袋(コールサック)に流れ着くだろうか、なんて。  ★  ――生きてるかなあ。死んでも蹴り起こすさ。もしかして怒ってる? 歓迎してないのは確かだね。ちょうどいいよ、墓守なんてうっちゃらかして旅行に出ようよ――  無遠慮な会話が頭上で交わされ、二日酔いじみて渦巻く頭を掻き回す。  うるせえ、静かにしろ、吐いちまうぞ! と勢いよく上半身を起こし、目にしたものに言葉を失った。  自分がいるのはどうやら、ちっぽけな惑星のようだった。黒く弧を描く地平線が見て取れる。黒いというのは、土やアスファルトではなく、一面の黒薔薇が揺れているから。  異様な風景ではあったが、俺から言葉を奪ったのはそれじゃない。俺を見下ろす二人の人物――一人は黒ずくめの小柄な婆さん。そしてもう一人は取り立てて特徴のない若い男、だが。 「・・・・・・俺の息子(サン)!?」  留学したはずの息子、サン。久しぶりにその名を声に出し、肺が震える。どうしてこんな所に、無事だったのか、俺が悪かった――様々な台詞が一挙に詰め掛け、結果、喉を塞いじまう。  だが、サンはきょとんとして、次に肩を竦め、 「人違いだよ、よく誰かに似ているって言われるんだけど。ごめんね」  すまなさそうに、けれどはっきり、苦労して配達された『宇宙の缶詰』を宛先違うよ、と突き返すように。サンそっくりな、だけどサンではない青年は言った。 「そういうあんたは誰だい?」  嗄れた声に糾され、我に返り、またも言葉を失う。老婆が見覚えある猟銃を構え、至近距離で俺の頭を狙っていた。   かっこいいアイランド!――老婆の名前か――と青年は囃し、アイランドとやらはにこりともせず鼻をならす。  俺は名乗ろうとして、少しすぼめた口を閉じた。答えたくなかった。いたずらを告げ口されるのを警戒する心持ちのような。こんな宇宙くんだりやってきて。   「まあ、誰だっていい。どうせ鳥を追ってきた密猟者だろう。あんた、怪我はないんだね」  言われてあちこち撫でさするが、目に見える傷はなかった。ただ相変わらず頭はぐるぐると酩酊状態であり、あと左腕を動かすとかすかに傷む。捻挫でもしたらしい。俺の様子にアイランドは不愉快そうにもう一度鼻を鳴らした。 「片腕ならやれるね。立ちな」    銃口に促され、俺は立ち上がる。見な、とぞんざいに言われて、猟銃で差し示す方を向く。あとになって考えれば、銃を奪う最大の機会だったはずなのに、しなかった。老女に妙な凄みがあったからか、息子に似た青年に見られていたからか。  立ってから改めて眺めるとよくわかる。やはりこの惑星はちっぽけで、ごくわずかなものしかない。地表を覆い尽くす漆黒の薔薇、それ以外には小屋と納屋、そして―― 「植え直すまで逃がしゃしないよ、密猟者」  見事な薔薇園のど真ん中。俺の愛船が、薔薇の茂みを高級ベットよろしく下敷きにして、横たわっていた。  ★  唐突に、俺は猟師から庭師となった。しかも見習い最底辺の。  船を移動させ、潰れた薔薇を取り除き、土を入れ替える――ために、土を造る――ために堆肥を作る。想像以上の重労働だった。  アイランドは、俺が怪我をしているからといって容赦しなかった。弱腰、役立たず、あんたの目は腐ってんのかい、次にやったら飯抜きだよ! 老女は手も口も早く、俺の数倍作業しながら、怒鳴りつけてくる。そしてサンに似たサンではない青年は手伝いもしないで、ニヤニヤ眺めているだけだった。  冗談じゃねえ。  この惑星は旧銀河航路沿いに位置し、過去にも度々船が墜ちてきたという。どうやら付近に出口となる廃転送門(ゲート)があるらしい。  俺の船は旧航路脇に係留されていて、幸いにも壊れていない。だからその気になれば逃げ出せる、のだが。  土の掻き出しで屈めていた腰を伸ばすと同時に、ああ、と叫びにも呻きにも似た声が漏れた。  天の川の支流が伸びるような、純白の反物を広げたような――俺が追い求めていたあの白鷺の群れだった。  やつらは銀河の中州に降り立ち、休息なのか、並んでこちらを向いて動かない。  撃ち獲る絶好の機会だったが、獲物を目の前に涎を垂らすしかできなかった。なぜなら、猟銃を取り上げられていたから。廃転送門で意識を失って墜落した時、俺は先の二人に船から救出されたわけだが、船内も物色されていたのだった。  歯噛みして地団駄踏んで悪態つくが、それで仕留められるはずもなし。 「密猟者、昼食ができたよ。アイランドが呼んでる」  振り返れば、青年が佇んでいた。ああと返答しながらも、その顔から目が離せない。  数日一緒にいて、性格や挙動の違いから、息子(サン)ではないと一応の納得をしていた。だが、見れば見るほどそっくりで違いがわからず、もしやという気持ちも捨て切れない。例えば、あの大惨事(・・・)で記憶喪失になったとか。そんな父心を知ってか知らずか、穴が空くよと、青年はからかってくる。 「俺はただ、なんて呼べばいいか迷っただけで」    いいわけしながら気付く。名を尋ねていなかったことに。  だが青年は笑って、好きに呼べばいい、なんだったら息子の名で構わない、そんなふうに答える。できるわけないと返そうとして、 「〝アイランド〟という名前だって僕が勝手に呼び出したのだから」  思いがけない告白をされた。 「なんだってまた」 「僕は生まれてこの方、働きながら旅をしていてね。彼女が、僕がようやく辿り着いた、たったひとつの〝(アイランド)〟だから」  ――彼女には本名がある。亡夫からもらったという名前。だけど僕にはアイランドと呼ぶことを許してくれた――  青年は嬉しくて堪らないというふうに回り出し、薔薇を揺らし、水滴を渦巻き銀河のように浮き上がらせる。その様子に唖然とするしかなかった。 「なにやってんだい、スープが冷めちまうよ」  小屋の窓から老女が顔を出して叫ぶ。はあい、すぐ行く、今日のメニウはなあにー、と甘ったれた声を出して青年は駆け出す。その軽やかな後ろ背に真っ白な翼が生えているように見えるなんて、俺の目も大概だった。  あんたもさっさとしな、ぶっきらぼうに言われ、持っていたスコップを放り投げてのろのろ歩き出す、と。  ザァっ――頭上から無数の影が降り注ぐ。一斉に鳥たちが中州から飛び立ったのだ。  世にも珍しい宇宙生物が、二十、三十、五十、いやもっと。畜生、今、猟銃があったなら。  だが、願いむなしく、型で抜いたような白影は、扇形の隊列を組み、見る間に星々の彼方へと翔んでゆく。  と、溜息と同時に腹の音が鳴った。老女の作る食事は意外にも美味い。俺は早足になり、小屋へと向かった。  ★ 「アイランド、僕も手伝う、一緒に行くよ」 「アイランド、ほら見て、彗星がゆくよ、願いごとを唱えなよ」 「アイランド、ねえねえ、アイランド、アイランド」  どうにも奇妙だった。人里離れた旧銀河航路沿いの小さな惑星、日長一日薔薇を世話する老女とその後ろを纏わり付く青年。  二人の年齢差は祖母と孫でありながら、そうは見えない。  青年が息子にそっくりな手前、認めがたい、認めたくはないが、どう見たって。 「まるで恋人同士? 何言ってんの、密猟者」  一週間もしたある日、俺は青年が一人の時を見計らい、二人の関係を尋ねた。返答にほっと胸を撫で下ろしたところで、 「まだ僕の片思いだよ」  青年は濁りのない瞳で巨大隕石を落としてきやがった。背中にゃ翼が生えて見える天使の幻視付きで。    ――三日に一度は求婚してるんだけど首を縦に振ってもらえない、まあ、急かすつもりはないよ、そういう一途さも好きだし―― 「本気(マジ)か」 「本気(マジ)だよ、パパ」  最近、青年はそんなふうに俺をたじろがせ、面白がっている。〝パパ〟なんて呼び方、サンはしなかったというのに。 「どれだけ年の差があると思ってんだ。釣り合わない」 「年の差や外見なんて関係ないよ。貴方は何十年か後に息子に会ったとして、今、知っている姿と変わってしまっていたら、息子ではないというの?」  俺は黙り込んだ。息子の顔でそんなことを言われて、一体何を返せたろう。  相手を凝視して――ふいに思い出す。青年と息子の違い。  そう、サンの額にゃ、傷があった。子どもの頃、俺が止めるのも聞かず、猟師道具にいたずらして、誤って怪我をさせた。どうして忘れていたのだろう。普段は前髪で隠れていて見えなかったから。 「……額を、額を見せてくれ!」  いいよ、と青年は頓着なく柔らかそうな前髪を掻き上げる、寸前。 「いや、やめろ! やっぱりいい、見せなくていい」  俺の矛盾した言動に、青年は気を悪くしたふうでもなく手を下ろす。  傷があったなら、あるいは無かったなら。  そのどちらが良いのか。傷の有無で決まるというのなら、息子の本質は〝傷〟ということになるのだろうか。  こんなこと、普段の、猟師の、俺なら考えない。全体、この惑星は妙だ。俺まで変になる。  しばらく、両者共に無言で、ただ星々が輝き、薔薇が揺れ、鳥の影が過るばかりだったが。  アイランドはともかく、と青年が口を開いた。 「僕は心の底から彼女を愛している。それがおかしいかどうか、見ていたらわかると思うよ」  ★  言われずとも、見知っていた。  二人がどれほど互いを思い遣っているか。  食事を始めるタイミングだったり、ドアの開け閉めだったり、髪の屑を取る仕草だったり。  青年だけではない。老女もまた、ぶっきらぼうではあるが、青年を愛おしんでいたと思う。  気を付けるんだよ、美味しいかい、ならまた作ってやろうね。  薔薇園の修繕のため、俺も小屋に寝泊まりしていたが、おやすみ代わりに二人が頬を寄せ合う仕草を幾度か見掛けた。親愛な、濃やかな、けれど薄紙一枚、気遣いとも、余所余所しさともとれる切なさの残る行為。わかるからこそ苛立った。  俺からはとおの昔に喪われたものだったから。  くそ、とスコップを振り回し、薔薇を数本なぎ倒す。  銀河くんだりまで来てどうして庭師の真似事をしなくちゃならん、獲物はすぐ側に鈴なりなのに、早くしなけりゃ手遅れになる―― 「薔薇が嫌いなの、密猟者」  気付けば傍らに青年がいた。音もなく降り立った、そんな錯覚を覚える。 「本当は僕も嫌いなんだ。薔薇なんて」  小屋の煙突からは煙が出ていて、老女は夕餉の支度をしている。今日の青年は珍しくやさぐれたふうで、よせばいいのに、どうしたなんて訊ねてしまった。  通算二五九回目の求婚に失敗したとのことだった。  元々、この惑星は、アイランドが亡夫を待つために購入したという。夫婦には色々なわだかまりがあったが、晩年、夫はアイランドの元に帰ってきた。そして夫の病死後、彼女は夫が好きだった薔薇を黒一色に染めて喪に服している。もう何年も、そしてこの先もずっと―― 「僕はアイランドと一緒に宇宙を旅して回りたいと思っていた。彼女は、旅行はもう飽き飽きと言っていたけど、そんなのは建前で、結局、亡夫が眠るこの惑星から離れたくないんだ。それでもいいよ、僕だって離れない。だのに彼女は迎えが来てるんだから帰れって――」  失恋者特有の、相手の困惑に忖度しない勢いで、青年は捲し立てる。 「……密猟者はどうして鳥を捕まえたいの?」  かと思えば、憑き物が落ちたような顔で、そんなことを訊いてきた。 「あの白鷺はまだ誰にも捕まっていない。獲ったなら、一番の猟師という証明になる」 「証明?」 「認められる」  誰に、と。青年は問うたが俺は答えない。訊き直されなかったので、単なる呟きだったのかもしれない。  密猟者、青年は足元の薔薇を踏みつけ、もう半歩寄ってくる。 「内緒で銃を返してあげるよ。その代わりお願いがある」  お願い?  馬鹿みたいに繰り返せば、青年は頷く。 「この惑星にやってくる白鷺を撃ち獲ってほしい。もちろん、持ち帰ってもらって構わない。でも、一羽も漏らしちゃあいけない」  ――数えて九十九羽、絶対に。  言い終えて、くるり背を向けて、小屋の方へと走り去る。  ふいに気付く――青年は薔薇を踏んだはずなのに、彼がいた場所には花弁の一枚も落ちていなかった。  ★  深夜、眼を覚ますと寝床の枕元に猟銃が置いてあった。  クリスマスじゃあるまいし。黒光りする長身の相棒を掴めば、久方ぶりというのにスコップよりもずっと手に馴染んだ。  アイランドに知られてはならない。俺は音を殺し、相棒と共に小屋を出た。  暗い群青の絨毯に牛乳がこぼれ、赤、青、緑茶縞の大小のビー玉が散らばっている。薔薇園はいくつもの衛星(つき)から光を浴び、宇宙(そら)との境目を夜明けの稜線のように輝かせていた。ちっぽけな惑星の夜は静かに賑やかだった。  果たして、鳥たちは滔々と流れる銀河を挟み、中洲の木に鷺山を成して休んでいた。  〝 数えて九十九羽、絶対に 〟  左腕はまだ痛む。惑星から中洲は距離があり、心許ない。俺は場所を変えることにした。  鳥たちは、まるで枝々に灰白い燈火を吊り下げたという具合だ。この一つ一つ、全部、漏らさず、絶対に。  絶好のポジションで狙いを定める。親父から盗んだ、息子に譲るつもりだった業で。俺は銃弾を撃ち放った。  タンタンタンタン、タンタンタアーン  突然の銃声に目覚めた鳥たちは夜宙へと逃げ惑う。それはタンポポの綿毛が一斉に吹き飛ばされる様に似ていた。いくつかは中洲に落ち、枝に引っ掛かり、あるいは川に流される。けれど、弾丸が届かないほど遠くには逃げられていない。俺は実に正確に漏れなく鳥を撃ち抜いていた。狩りに出ると、時折、神がかって集中力を発揮できる時があるが、今夜はよほど冴えていた。  十、十一、十二、十三、十四、十五――  どうして、どうして、むごいこと  勘定しながら撃っていると、どこからか唱和が聴こえる。  三十五、三十六、三十七、三十八――  あなたは薔薇を育てる人ではなかったのですか  六十九、七十、七十一、七十二――  勝手な勘違いだ。俺はガキの頃から一番の猟師を目指してきた。認められる唯一の方法だったから。親父は老齢で数年前から施設に入っている。本当は猟師になった息子を会わせたかった。親父が俺を猟師にして正解だったと思わせたかった。  あなたは彼の友人ではなかったのですか  九十一、九十二、九十三、九十四――  だが、息子は留学先で乗った銀河特急鉄道(エクスプレス)で小惑星群追突事故に遭い、もう帰らない。別れた女房に訃報を伝えると元女房は俺に言い放った――あの子はあんたの本当の子じゃない。  ――九十六、九十七、九十八、九十九!  撃ち終わり、ぼおと甲板の上に突っ立った。係留してあった小型宇宙船を旧航路へ移動させ、甲板から撃っていたのだ。  集中し切った後の常で放心する。約束は果たした、あとは仕留めた白鷺を持ち帰るだけ……でも、どこへ?  ふと、惑星に目をやると、黒い影と白い影を捉えた。一つは銃声に起きてきたのであろうアイランド、もう一つは。  蛋白石の輝きを帯びた羽毛に包まれ、首はしなやかなS字カーブを描き、ふっくらとした背や胸からは細い生糸のような飾り羽を垂らしている。遠目にも一際立派な雄鳥。  一羽、数え間違えていたか――俺は狙い定めて引き金を引いた。  ちっぽけな惑星に戻った俺を出迎えたのは、わけのわからない光景だった。  黒薔薇の園の真ん中、血を流して虫の息の青年が、老女に搔き抱かれているなんて。 「……なんっ?」  息が詰まり、言葉にならない。  老女は俯かせていた顔を上げ、端的に説明してきた。 「あんたは鳥を撃った。この子は鳥だった。それだけのことさ」    ★  星から星へ移り住む、星間渡り鳥。()絶滅危惧種。つまりは特殊な能力から人類を滅ぼしかねない危険種に指定されている。  群れのリーダーは、外敵に近付き、脳に影響を与える波動を発する。それにより相手の奥底に眠る、最も心を揺さぶる存在を探り当て、自身に投影・具現させることで外敵の注意を引き付ける擬態(・・)の能力を持つ。  普通は天敵の姿を投影するが、食物連鎖の頂点にいる人間には『天敵』はいない。結果、恐怖するもの、憎むもの、尊敬するもの。そして、愛するものを現す。 「今まで密猟者にゃ息子に視えていた。でも、惑星を離れたことで、密猟者に向けた擬態は解かれた。そうして、あたしに向けてだけの擬態が残った」  老女の最後の一言は消え入りそうなぐらいに小さかった。 「僕、しあわせだ……」  青年――俺にとって息子の擬態をしている――は、微笑む。 「僕を僕として視ていてくれたんだね」  ――亡夫ではなく。 「アイランドの真心が知れて、うれしい」  それきり、鳥だった青年は目を開けなかった。  弔いはごく簡素なものだった。  薔薇園に穴を掘り、青年から鳥に戻った身を横たえ、土を被せ、柔らかな花びらを降らせるだけ。夜明け前に全て済んでしまうほどの。  一度小屋に戻った老女が次に姿を現した時には、旅支度を整えていた。  黒いコートに、黒い帽子に、黒い手袋。ますます魔女然とした格好に、ぱんぱんに膨らんだボストンバックを提げて。 「旅に出ようと思ってね」  ――前々から誘われていたけど、踏ん切りつかなくて。  誰に、とは訊ねない。わかりきったことだから。  船で送ると言えば、彼女は首を横に振る。旅は慣れたもので、自分も小型船を所有しているから、と。 「あれは群れのリーダーで、ずっと群れを率いて働いてね。怪我をして廃転送門に入り込んじまって、あたしの惑星に墜ちたのが運の尽きさ」  あんたと同じさね、そう嘯く彼女に居たたまれなくなる。 「アイランド、俺は、」 「どこか落ち着いたら手紙を流すよ。住所を教えておくれ」  謝罪か、懺悔か、言い訳か。口を開こうとした俺を制し、彼女はそんなことを言い出す。  そして、ちっぽけな惑星を後にして、二度と訪れはしなかった。  ★  自宅に戻った俺が受け取ったのは、施設から病院に移動した親父の容態急変の連絡だった。  駆け付けたものの、手ぶらの俺に何ができるわけでもなく、また親父も明瞭な意識がなく、一月後に死んだ。  これで本当に、俺には何も無くなってしまった。ヨダカなんて変な名前を付けやがってと、宇宙生物を手土産に詰ることもできない。  古い手紙(メール)を頼りに訃報を出せば、意外にも猟師仲間の十数名が集まってくれた。親父と同世代で、今にも星になっちまいそうな爺さんばかりだったが。  弔いは夜更けには宴となり、酌をして、零れた酒を拭き、酔い潰れた老人らに毛布を掛ける。と、その内の一人から声を掛けられた。 「倅も猟師だったなあ。なあ、あんた、儂の孫連中を仕込んでくれんか。自分で教えてやろうにも、身体がついてゆかん」  俺は、息子と同年代の若者相手に教師の真似事をすることになる。死んでからの親父を介して。  それから十年、独り身だったが、忙しく、賑やかな日々を過ごした。  ふいに俺はあのちっぽけな惑星を思い出す。こんなことを考えるのはどうかと思うが、もしかしたら一羽と一人に担がれていたのではないかと。群れのリーダーを返せと迫いかけてきた鳥たちを撒くための狂言。ぱんぱんだったボストンバックの大きさはちょうど一羽の白鷺が入る大きさではなかったか――もちろん、願望だ。  そしてある日、俺は再び病院から連絡を受け、とある病室を訪れた。 〝あなた宛ての『宇宙の缶詰』が届きました、すぐ来て下さい〟――いまいち要領が掴めず、何故、病院なのかもわからないまま。  職員に案内された個室には、一人の男が横たわっていた。あちこち凹み傷つき、旅経た貫禄のある缶詰を腹の辺りに抱えている。彼がわざわざ届けてくれたらしい。  男の顔を覗き込み、息を呑む。歳の頃は、三十半ば。いやもっと老け見える。痩せこけ、倦み果て、瞳は虚ろ、だが。 「俺の息子(サン)?」  俺の知っている息子とは全然違う、そうであっても血の繋がりがないかもしれない、けれどサンに違いなかった。  職員が早口で喚き立てる――急にお呼び立てしてごめんなさい、まさかあの事故の生存者が見つかるとは、私共もどのように対応すべきか混乱して、なにせ彼は――続きは、俺の耳に届かない。  名を呼ぶが、サンは困ったふうな、泣きそうな、ひどく心細げな表情を浮かべる。 「……ごめんなさい。何も覚えてないんです。あなたが誰なのか、わからない」  咄嗟、俺はサンの額に手を伸ばし――ふれる前に下ろす。  これがどんな魔法か、わからないが。  まずは、応えるべきだった。寄る辺なく、この上なくひとりぽっちの老青年に。 「俺の名はヨダカ。俺は、お前の――」
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